Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

翻訳への抄

・Mt11:12
バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われ[βιάζηται]ている。そして激しく襲う者たち[βιασταί]がそれを奪い取って['απάζουσιν]いる。(口語)



・Luk16:16
律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずく[βιάζηται]でそこに入ろうとしている。(新共同)
律法と預言者ヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これに入ろうとしています。(新改訳)
律法と預言者とはヨハネの時までのものである。それ以来、神の国が宣べ伝えられ、人々は皆これに突入している。(口語)
律法と預言者たちとは、ヨハネに至るまでである。そのときから、神の王国[の福音]は告げ知らされ、皆その中へ暴力的*に[なだれ]込んでいる。(岩波委員)*比喩的表現との註有

論考記事



・Rom20:4-5
エゼーサンを「生き返る」と訳すか?


・Mt8:11
なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、


・1Joh5:20
οἴδαμεν δὲ ὅτι ὁ υἱὸς τοῦ θεοῦ ἥκει καὶ δέδωκεν ἡμῖν διάνοιαν ἵνα γινώσκωμεν τὸν ἀληθινόν, καὶ ἐσμὲν ἐν τῷ ἀληθινῷ, ἐν τῷ υἱῷ αὐτοῦ Ἰησοῦ Χριστῷ. οὗτός ἐστιν ὁ ἀληθινὸς θεὸς καὶ ζωὴ αἰώνιος.


・Luk23:46
And he said unto him—Verily, I say unto thee this day: With me, shalt thou be in Paradise.(EBR)


★Act2:42.ησαν δε προσκαρτερουντες τη διδαχη των αποστολων και τη κοινωνια, τη κλασει του αρτου και ταις προσευχαις.

46.καθ ημεραν τε προσκαρτερουντες ομοθυμαδον εν τω ιερω, κλωντες τε κατ οικον αρτον, μετελαμβανον τροφης εν αγαλλιασει και αφελοτητι καρδιας,

ThayerLexiconによると動詞"κλάω"には「分け合う」また「交わり」の概念を含むらしい


Act2:46

そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、(口語訳)

そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、(新改訳)

そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、(新共同訳)

また、日ごとに一致して神殿参りに熱心であり、家々ではパンを裂き、喜びと真心をもって食事を共にし、(岩波委員会)

『そして、心を合わせて神を(神殿で)崇拝する毎日を過ごし、家々に集まってはパンを分け合い、喜びと純粋な心のうちに食事に招き、』(試訳)

そして,思いを一つにして日々絶えず神殿におり,また個人の家々で食事をし,大いなる歓びと誠実な心とをもって食物を共にし,(新世界訳)

たいていは、そう違和感のない新世界訳ながら、ここはどうもいただけない。
カトオイコンを例の分配とするなら此処でも用いるべきでは?(「家から家へと食事をし」!?)自派教理を擁護するための翻訳の手加減には本当に倦まされる。また「パンを裂いた」からとて、習慣的聖餐を証拠立てるまでに至っていない。新世界では日常陪餐を恐れてか「アルトン」(パン)まで入れ替えている。こうしたことが意図的との疑念の種を植えるようなものではないか?ここに大多数を占める主日陪餐とニサン14日晩餐の負けまいとする抗争が見えるかのようだ。

両者の間でこの句の捉え方は随分と異なる。

日常陪餐として捉えると、神殿で崇拝した上に、家々では聖餐を行うという二重崇拝となる。それならエルサレムに逗留している人々が市内の人と食事を共にして生活していたことと、イエス派の崇拝が兼ねられるという複雑さをこの句に読むことになるだろう。果たしてそこまでの意味があるだろうか。しかも無酵母パンの祭りでもなく律法に熱心なユダヤ人たちが。もし、これらユダヤ人の儀式として確立されたとなれば、相当なことであり、ルカの几帳面な記述によりはっきりと残らなかったものだろうか。

一方でκλασις;「クラシス」からκλασμα「クラスマ」「パンを裂くこと(秘蹟)」を造語したからといって初代から儀式化されたかは確定できないように思える。聖書中では誰もクラスマを行ったなどとは書いていないのだから。例えその言葉を根拠にできても、ヘブライ概念を捨てなければならなくなり、そうなると古代のキリスト教ユダヤ教の不仲のままに今日も論争するようなことになるだろう。それはパンを裂いて分け合う初代の愛ある姿とは程遠い。信徒にしてみれば、儀式化された「パン裂き」と友誼満ちる「愛餐」ではどちらに価値を見出しただろうか。

シリアのイグナティオスの書簡からみると、主日集会の勧告など、使徒パウロが聞けばどちらでもよいように思うであろうその発言にはすでに異邦人化が窺え、初代とは異なる概念を含む。例え、彼が「クラスマ」の語を用いたとしても、歴史の前後関係からすれば、日常的陪餐にも、小アジアの風習にも敷衍できないように思う。

もうひとつの句

★Act20:7

Εν δε τη μια των σαββατων συνηγμενων ημων κλασαι αρτον ο Παυλος διελεγετο αυτοις, μελλων εξιεναι τη επαυριον, παρετεινεν τε τον λογον μεχρι μεσονυκτιου.

週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。(口語訳)

この日曜日の「パンをさく」が主日の聖餐であったとする説もある。

では、その晩に再び「パンさいて食べ」るのは不自然ではないだろうか。(20:11)聖餐が続いていてエウテュコが落下したのではなく、一度食事は終わっていなければパウロが雄弁に話すことはないに違いない。9節では「話」が長くなっていることが述べられており、聖餐が深夜に及んではいない。蘇生が行われると再び彼らは「パンをさいて食べ」ている。この一連の流れでは「パン裂き」とは単に「食事を共にする」の意とされないと、彼らは一日に何度も偏執的に聖餐にこだわっているかのようになってしまう。しかも、夜の訪れによって日付が替っていたなら、主日ばかりか、その翌日もパンを割いていることになる。もし、「パンさき」が聖餐も愛餐も共に表すと云うのであれば、すべてをどちらとも看做せることになり、ますます日常聖餐の確たる証拠とはできなくなるだろう。

エスが晩餐を制定する以前、例えれば四千人に食事を与えた場面(マルコ8:4)では七つのパンを裂いて(動詞の原型は"κλάω")分けている。それは主の晩餐の場面(14:22)も同様となっている。ユダヤの聴衆にパンを配ったことと使徒らに自分の体としてパンを与えたときも同じく「パンを裂いて」おり、それは食事の分け与えであって、その行為そのものが聖餐独自の特殊な意味を持ったようには思えない。エマオに向かった二人もイエスがパンを裂いたことそのものにではなく「感謝した」言葉や裂き方で見分けたのであろう。文脈からして彼らは使徒ではなく主の晩餐を未だ経験していなかったようにもとれる。(ひとりはクレオパス、Luk24:33-34では11人が居る)



使徒ヨハネに連なる多くの人々はその語「クラスマ」を用いなかっただろう。加えて小アジア側からみると、初期シリアの指導者には黙示録批難などの後の明らかなシリア性に連なる萌芽も見受けられただろう。この辺りは互いに忍耐していたようだ。

思うに今日主流を占めるグレコ=ローマン型キリスト教は何も無理をして初代に自らの根を求める必要も無いのではないか?そちらはヘレニズムからのものであり、今や堂々たる世界一の宗教であるし、ニカイアやカルケドンが基礎であることを公言している。対して小アジアキリスト教ヘブライ由来で、かつて消滅してしまったものである。

わざわざ、苦労して原初の過去に根拠を求めようとしなくても、第五世紀までに、ヘレニズム思想から新たな「キリスト教」労作していたわけであるし、その後、欧州各地の信仰対象も取り込んで普遍化という横への進展には大成功したわけであるから、そのうえ何を求め、また中世期よろしく少数派を迫害する必要があるのだろうか。いまさら原始キリスト教とは異なると聞いても、信徒は特に離れもしないだろう。

結論として日常的か年一度かという問題も、蓋然性を選んだ上で、どちらを信じたいのかという問題に落ち着かざるを得ないだろう。その点、問題は第二世紀からいくらも変わっていない。だが第二世紀の時点では双方とも自分だけが正しいとは押し通さなかった。ローマのウィクトルが言い掛けたがエイレナイオスの仲介で止めている。初代に近い人々は神の前に賢いものである。

秘蹟化への推進の背景には、キリスト自身がキリスト教をほとんど儀式宗教のようには制度化しなかったことがあるだろう。儀式を望むとなれば聖餐はまずその対象から逃れられない。それがバプテスマと共に数少ない儀礼であるから。あるいは、キリストがユダヤ教のような儀式と祭服の崇拝を残していてくれたらと儀式宗教を望む人々は思っただろうが、しばらくすればキリスト教ユダヤの神殿崇拝の次元の宗教となっていた。それは聖書に緻密に整合するような教訓的意義が薄れてゆくところではどうしても要請されることなのだろう。教訓的意義の最たるものは聖霊の教えであったろう。

聖霊が去り、教えが混濁するにつれ、教訓以外の何かが必要とされれば、そこで見た目のよい儀式は格好の民心掌握の材料であったに違いあるまい。人々が集まっても、聖霊によるプログラムが絶えてしまい、することが無いのでは司式する側がたいへんに困るのである。だからと言って晩餐を昼にしたり、儀式を大仰にイリュージョン化したり、一方で仔細な指示で縛って平信徒にまでプログラムを負わせるのも如何なものかとも思うが、そこが正解のない宗教の相貌なのだろう。各々そう願う人たちはそうすればよい。原点回帰を望む人たちもそうすればよい。しかし、パルーシアが起こって聖霊が帰ってくるなら皆が従わねばならぬ。それぞれに申し開きの必要はあるだろう。



☆「エクレシア」を「教会」と訳すことの無理
リッデルとスコットのレキシコンは「キュリアコス」[κυπιακός](主)について、こう付記している。

Assumed to be original os the Teutonic kirk,kirche,church; but how this Greek name came to be adopted by the Northern nations,rather than Roman name ecclesia,has not been satisfactorily explained.

The Encyclopedia Britannicaによれば・・
In the New Testament, "ecclesia" (signifying convocation) is the only single word used for church. It (ecclesia) was the name given to the governmental assembly of the city of Athens, duly convoked (called out) by proper officers and possessing all political power including even juridical functions.
つまり「評議会」という意味で使用されていたギリシア語が、キリスト教徒の聖徒の集まりに用いられたと見ることができる。



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ヘブライ語動詞の7態

能動
パアル態⇒標準
ピエル態⇒強調
ヒフアル態⇒使役

受動
ニフアル態⇒標準
プアル態⇒強調
ホフアル態⇒使役

ヒトパエル態⇒再帰


「シャローム」でもパアル態動詞では「完全にする」の意、ピエル態では「償う」「報いる」


ヘブライ語の定冠詞と前置詞
(אותיותהשימוש、translit Otiyot HaShimush)
定冠詞ha-(/ ha /)(= "the")
前置詞be-(/bə/)(= "in")、le-(/lə/)(= "to";前置詞elの短縮形)
mi-(/ mi /)(= "from";前置詞の短縮版。接続詞ve-(/və/)(= "and")
she-(/ʃe/)(= "that";聖書の接続詞アッシャーの短縮版)
ke-(/kə/)(= "as" 、 "like";接続詞の短縮版(kmo)




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