Notae ad Quartodecimani

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ポワティエのヒラリウス

                                               ,
Hilarius Pictaviensis、315年頃 - 368年頃
彼の両親は富裕な異教徒であった。彼は西方の優れた教育を受け新プラトン主義哲学者であったが、キリスト教徒になるに際し学んでいた哲学を捨てて、妻と妹と共に受浸した。
古来、聖イラリウスからキリスト教に入ったポワティエ[ピクタヴィウム]のエクレシアは350-353に満場一致で有能な彼をエピスコポスに任じた。当時のガリアでは単性論のままのキリスト教が大勢を占めていた。そこで彼が第一に行うことを宣したのが、単性説キリスト教指導者への攻撃であった。そのため彼は後に「アリウス派への鉄槌」や「西のアタナシオス」とも渾名される。
まずアレラーテ[Arles]のエピスコポス、サトゥルニノス[Saturninus]をその擁護者シンギドゥナンムのウルサシウス[Ursacius]とムルサのウァレンス[Valens]の破門、排斥を確立することを画策し、皇帝には三一派弾圧に抗議する書”Ad Constantium Augustum liber primus”「ウァランス反駁書」c.355とも、を提出した。(これは部分が現存)
しかし、単性派の反撃を受けたうえコンスタンティウス二世がベジエ(Biterrae)で開いた宗教会議356で示された勅書により、トゥールーズのローダヌス[Rhodanus]と共にフリュギアへ追放されることになった。http://d.hatena.ne.jp/Quartodecimani/20131029/1383040266
それは結果として四年間に及んだ。(この件はクラウディウス・シルヴァヌスのクーデターとも関係するとの指摘あり)彼はフリュギアに追放されたことによってギシリア語に通じるようになった。
この間に、二つの著作あり[De synodis][De fide Orientalium]共に強硬な神学論争を主題とする。また358年にはゴールだけでなく、ゲルマンやブリトゥンの態度の不鮮明なエピスコポイに書簡を発している。彼は流刑中も宗教会議に出ており、その中にはセレウキア[Seleucia] (359)で議会を含む。その会議はホモウージウスの論議を禁止する決定の為されたものであった。360年コンスタンティノープルの会議ではアルミウム[Ariminum]とセレウキアの議決を再承認するものであったので、彼はここで苦渋を飲んだ。<ここで彼はアタナシオスに会ったに違いないし、大バシレイオスにも知己を得ただろう>
彼はまた[De trinitate libri XII]を著し、キリストの神性を認めない者とヨハネ第一を援用して「反キリスト」として断罪している。
361で彼の司教区に戻ると同時に、ホモウーシオス主義が単に伝統的な単性派の聖子従属説のための口実だけであったと地元の聖職者に説き伏せようとすることに最初の2または3年を費やした。以後ガリアでのいくつかの会議は、Ariminium (359)の会議で広められる信条に反駁したものとなった。
彼はメディオラヌムのアウレンティウスを追い落とそうとしたが、この人物は皇帝の愛顧を受けており、不面目は追放を受けたのは彼のほうであった。⇒ http://d.hatena.ne.jp/Quartodecimani/20130825/1377405411
そのため[Contra Arianos vel Auxentium Mediolanensem]を著している365
これに加え、その頃崩御した帝を批難する声明も公にしている。
コンスタンティウス二世は361に崩御、対立皇帝にされ始めていたユリアヌスが継承するも363に戦死。翌年ウァレンティアヌス朝が始まる。東帝はウァレンス
彼は367年にポワティエで亡くなったとヒエロニュモスは言っている。この年に9歳のグラティアヌスが第三皇帝に据えられた。


彼の親族の内8人が列聖されている
聖アブラ Saint Abra (c.343-c.360)は彼の娘で、父の追放からの帰りを待ちわびつつその直前に18歳で逝去。父からの勧めで処女の誓いをしていた。
父のヒラリウスがキリスト教徒になる以前に生まれ、父母ともに受洗しているので、ヒラリウスの転向はおよそ343年以後になり、伝承では35歳であった。父が流刑から戻る直前で亡くなったのなら、14歳の年に別れたことになる。但し、アブラに関する情報は僅かで、確たることは言えない。


"De trinitate"『三位一体論』 V,3
「それゆえ、モーセが一つの神を宣べ伝えるとき、神の子について神であると表示したと理解されることは疑いの余地がない。われわれはこの表示の権威によった立ち返ろう。そして、問おう。どの神を表示したのか。真の神と理解しなければならないと教えたのか。ところで、真理が本性と力とからなることは誰も疑わない。たとえば、真の小麦は針状の棘を備え、毛に覆われ、もみ殻を取り除かれ、粉にひかれ、パンになり、食物として食べられ、このようにしてそれ自身からパンの本性と役割とを表すのである。」
(PL 10, 131C-132D)〈Keio,ac〉

→ ヒラリウスの三位一体論について




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