Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

アポカタスタシス

[ἀποκατάστάσις]「万物が改まる」

終末時に於ける普遍的救済や変容を説く。
その基礎をAct3:21に置く 『万物の復興(実現)の時期まで天が受け入れておかねばならない』
即ち、天はその時までキリストを受け入れる場となるが、『その時』をもたらす事態が「アポカタスタシス」である。
またこの語は同じく使徒言行録の1:6で同じ語幹を持つ動詞があり、そこは『主よ、イスラエルのために王国を復興されるのは今なのですか』。
この語は後のユダヤ教神秘主義、また異教由来の終末論的な語として創造が「更新された」状態を指すとも見られている。
しかし、ルカの意図はキリストの王国の実現を指している。

この語の捉え方はクレメンスalxを経てオリゲネスによって大成された。
オリゲネスからニュッサのグレゴリウスへ展開。
キリストの再臨より救いが到来することに「復興」「回復」として捉えられてゆく。

アポカタスタシス(普遍的救済)論では、キリスト再来時に行われる救済が万物に及ぶか否かが中心になる。この論では悪霊までもが救済の対象として考慮もされる。
1Pet3:18から派生したこの論議外典の「ニコデモ福音書」(第二部)から民間伝承化したらしい。

他方でユスティノスmtの系統では、「種子的ロゴス」論において、哲学に携わった者たちは、キリストに先駆けてロゴスに与っていたので、キリストを預言していたという。クレメンス(多分alx)はその中にホメロスら詩人までをも包摂させた。そこではギリシア哲学ユダヤ起源論も唱えられている。(この先駆はもちろんフィロン

これらの初期の議論の背景には、ユダヤキリスト教の枠組みの外に広がり、しかも非常に古い異邦諸国の文化をどう取り込み、異邦人とどう交わるかという問題があった。

しかし、六世紀のオリゲネス弾劾に至り異端となる。
それでもマクシモス・コンフェッソル(聖証者)らの修正を以って現在に至るまで東方教会に特徴的なこの語の視座として継承されている。



「遅れて来たキリスト教」のこの問題は、終末論とも関わりを持つと解釈され、キリスト教が諸国民をどう照らし出すのかが問われている。

アポ[απο](後)カタスタシス[κάθαστασις]
四世紀ドナトゥスは劇を三つの部分に分けたプロタシス、エピタシス、カタスタシス そのうちのカタスタシスは「大詰め」(climax)に当たる。
カタルシス[κάθαρσις](浄化、瀉血);アリストテレスは悲劇の効果をパトスの浄化にある*としてこの語を用いる。ピュタゴラス派に於ける魂の罪からの浄化。(*この論は傾聴に価する)
「終末」は「終わりの日」(エスカテー ヘメーラ)と「終局」(テロス)が主に新約で用いられる。「エスカトス」と「テロス」の両者は使い分けられている。「アポカタスタシス」の場合、「大詰めの後」の意になるので、終末の後の贖罪(Mt25のような)を意図したものと思われる。
(「テロス」は「滅び」と三主要聖書に訳されるが・・)
(「デ ホース」を「終わりに」として良いか?Mk8:9)
「アイ ヘメーライ エケーナイ スリプシス」「その患難の日々」Mk13:19

エイレナイオスでは、万物が改められる時と聖なる民の復活とを関連付けているが、黙示録21:5を援用して千年期の結果として「人間は神の都に住むことになる」としている。(反駁V:35)
このV巻35では、イザヤやパウロも用いて旧世界の更新という、アウグスティヌスが後に否定することになる世界秩序の変革を語っている。


所見:
所謂「万人救済説」の始まり、当時は異邦人をどうキリスト教に包摂するかという宣教上の手管として練られたようである。「地獄」の閉鎖性に対する反証としてとり上げたように見えるが、ひとつの瑕疵を補うために新たな傷を作っているかの観あり。
新約の確立以前には外典などの影響が強かったようで「老いた女たちの騙り」の類いが堂々とまかり通ったかのようである。民間伝承化という言葉にも、出版と考察が行き渡らなかったであろう古代での難しさが想像に難くないように思う。
使徒後教父の時代に、これらの人々もまた終末を自分の世代かそれに近いところを想定した。そこで実際とは異なる無理な教理を編み出している。
だが、彼らの想いとは関わり無く歴史は進み、すでに21世紀となっている。そして相変わらずSDAやエホバの証人などもこの教父たちの同じ轍を踏んでいる。終末を自らコントロールしようという意図である。それでもやはり歴史は進む。
ユスティノスmtという人物はアウグスティヌスやアンブロジウスよりも本質的にキリスト教を改変した張本人といえる。「トリュフォンとの対話」も非常に違和感があったが、まるで後の三一を先取りしているような二一論があった。

それから、クレメンスとオリゲネスに直接の子弟関係は無かったそうで、このふたりを結んだのはエジプトという、あるいはムーサイオンの多い学術都市アレクサンドレイアという環境、またエクレシアの教理傾向であったというのは妥当なところと思えてならない。アレクサンドレイアの思想環境を想像するに、ローマさえも「田舎」であり、エクレシアは世界の結び目での消えかけた灯心のように思える。二世紀末から三世紀にかけて、ここでキリスト教は恐ろしい変質に遭っていたに違いない。これに正面から抗したのが小アジアであったろう。

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2Cor3:3「文字は殺し、霊は生かす」これはもちろん律法との比較でパウロは言うのだが、そこに深い含蓄があるように思う。


J.ダニエルー;1905-1974
リュバックと共に1940年に「キリスト教古典叢書」を発刊。これはニュッサのグレゴリウスに関して現在なお基本書とされている。
プラトン主義の神秘神学」1944
「未来の秘跡」1950
「ニカイア以前のキリスト教教義史」Ⅰ/1958、Ⅱ/1961、Ⅲ/1978
以上が代表作
W.イェガーと共に、ニュッサのグレゴリウス研究を推進した功績が大きいと。


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ウルフィラス 311ca-383
非ゴートでカッパドキアギリシア人の出身、蛮族によって奴隷にされた、或いは奴隷に生まれたか、若年期に捕虜になったかもし知れない。ゴート族として成長し、彼は後でギリシアとラテンの言語に熟達した。
彼はニコメディアのエウセビオスにエピスコポスに任命されたが、彼の出身地のゴート族は彼を宣教者として迎える。
ゴート族の首長の迫害の348年に、コンスタンティヌス二世の許可の下にモエシアのイストルムのニコポリスに逃れる。
そこで彼はギリシア語からゴート語に聖書を翻訳する。その過程でゴートアルファベットを考案。その写本はウプサラ大学図書館で1648年以来保管されている。それが「銀の聖書」と呼ばれるオストロ・ゴート王テオドリックのために作られたもので、ウルフィラスからおよそ百年後にラヴェンナブレシアで製作されたものと考えられる。
彼は後にドロストルムのアウクセンティウスとなる男子を養子にとっている。
彼については主に五つの人物伝が伝えられているが、ふたつはアリウス派で三人がカトリックによる。








『プネウマとカルディアとプシュケーが日本語に移され、訳語固有の連想が働き始めると、読解は妄想に近くなる。「日本教」が混入し、和臭が漂う。』







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