Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

スピノザの聖書へのアプローチ法

 フィヒテ曰く
「彼ら(ユダヤ人)に市民権を与えるとなれば、(話は別である)そうするために手段はひとつだけである。今居るユダヤ人の頭を一晩のうちにすべて切り落とし、いかなるユダヤ思想をも持たない頭に挿げ替えることだ。それにユダヤ人の災厄から我々を守る手立てもただ一つ、すなわち、彼らに約束の地を征服してやったうえで、連中をすべてその地に送り返すことだけだ」

以上は、ユダヤ教徒が、世界を憎悪と偏見の目で見ているゆえに、ユダヤ差別をもたらしているのはユダヤ人自身である。という異邦人感を代弁しているという。
所見;ローマ時代のミサントローピアと同じで、ローマ大火のような政変(ナチ党の政権奪取)や大災害の時に自らの周囲への優越感が災いを招くのでは?ユダヤ人の体制は常に頑なであることを良しとしてきたが、大きな災厄を自ら招くのだろう。今日では、ユダヤ教に呆れるユダヤ人も居て、理性的に考え、異邦人と対等に振る舞うのを見るのはホッとさせられる。だが、鋭利な無神論に走るのが気にかかる。反作用か?カルト宗教の子のような精神背景を見る想い。それから、約束の地に送り返すというのは、ユダヤ思想を強大化することになり、世界に覇を唱えかねないのでは?現にそうなりつつある。人口が少ないから弱小な民なのではなく、逆境によく耐え、地道な努力をし、猛烈な生命力と知恵を持っている。(誉めるまでもなく)


M.メンデルスゾーンは、スピノザ政教分離を受け入れ、ユダヤ人が近代国家の枠内に生きる道を探った。
ユダヤ教は法であっても宗教ではない」
所見;ヘルツルの道はこの辺りからスタートしているのでは?

スピノザユダヤ教から破門され、キリスト教徒にもならない状態で一生を終える。
しかし、東欧のユダヤ啓蒙思想家の間では、やがてスピノザの思想がユダヤ教の本来の在り方であるかのように再評価されてゆく。それが「内的、倫理的解放」であるという。⇒「ブネイ・アリヤー」ベルンフェルト1860-1940
この「解放」とはユダヤ教からの解放にほかならない、と

しかし、これはM.メンデルスゾーンが伝統的ユダヤ思想を上手く近代社会に適応させようとした努力を砕くものになる。だが、メンデルスゾーンの「頭と体の分離」は最初からこじ付けがあり、パドヴァのシュモエル・ダヴィド・ルツァト(1800-1865)は、スピノザの思想そのものがユダヤ教と相容れないことを強調し、はっきりと拒絶している。

スピノザは人間の行動の善悪を自分の益に見る。
彼は哲学の伝統に立ち、人間の本質を「理性のみ」としたため、彼は「倫理」を「自己保存」という原則に還元せざるを得ない。対してユダヤ教は、理性に加え「憐れみ」が加わると考える。そこで「理性」において利己的でも、「憐れみ」に於いて他者の苦しみに共感できるとする。この点でシャダルは、人間から「憐れみ」はなくならないことを「宴会を楽しむ者」の例えで示す。


スピノザの聖書解釈を鮮明にするのは「神学・政治論」1670であり、この書はホッブスの「リヴァイアサン」と共に「神を冒涜し毒を流すもの」として印刷流布がオランダで禁止された。(すでに彼は1656年にアムステルダムのシュナゴーグから追放されている)

スピノザは「神への愛」「神の認識」を最高善としていたが、それはユダヤ教徒のようではなかった。
「聖書ならびに霊的な事柄に関する全知識は聖書の中からのみ求められるべきであって、自然的光明によって認識する事柄から求められるべきではない」(神学・政治論)
彼は聖書の核心に神からの啓示や預言が存在するという明確な認識を有していた。
初めの数章で、自然と啓示、預言と預言者、神の法と人の法、奇跡と預言の区別を論じている。
しかし、彼は聖書理解に普通の仕方では到達することができず、個人の気ままな聖書解釈の恣意性を正す「意味の秩序」を要すると論ずる。
その秩序は「合理性」から来るのではなく「歴史」認識からくると彼は主張する。
第一には、ヘブライ語を歴史的に理解する努力
第二は、文章の文字通りの意味を知る努力
第三には、聖書の著者の生活、風習、意識などの事情、また、誰が誰に宛てて書いたか、その文書は誰の手に入ったものか、テクストにはどんな読み方もあるのかを探る努力

所見;「自然的認識」をスピノザが否定し続けた理由は、ガリレイが戦っていた事柄に関連するのではないか?現代人、とくに宗教的背景の無い人からみると、「自然的認識」と「歴史的認識」との差が無いかのように見え(手島氏)、スピノザ固執しているかのように読めるのではないか? だが、(レンズ磨きをしていた)彼にとって、(望遠鏡を覗いた)ガリレイの苦境は自らの苦境ではなかったか?この時代での人文科学と自然科学の差が不明瞭であったうえ、純客観的な自然科学の手法(チュービンゲン学派のような)では聖書の作者の意図には到達しないと言っていたように思う。⇒神はなぜ信仰を求めるか
とすれば、スピノザは今日のキリスト教界を二分する自由主義神学の限界を先見予告していたことになる。というか、既に当時にその萌芽があったからこそ強調したのだろう。19世紀以降のキリスト教界は、というよりは、チュービンゲン学寮やヘーゲル左派は、最初からスピノザとは聖書に対する目的が異なって「信仰の破壊」を目指していたので、その思想を生かそうともしなかったと言うべきだろう。



・これは何の宗教や思想でも同じだが
ユダヤ教徒はどんな価値観を持ち、何を至上のものにしているのだろうか?
あるいは、スピノザは、「人はなぜ道徳的に生きるべきか」の根拠を探す必要が生じていたのではないか?宗教を中立的に捉えると、必然的にこの問題にぶつかる。そこで神を不在にするから「益」とか「徳」とかを持ち出さないわけにゆかなくなる。結果的に個人の中に目的を持たざるを得なくなって、確固たる動機を失い、そこが脆弱な論理になるが、そこが価値観の基礎になる部分であるので、述べる論旨の全体が脆弱になってしまう。(M.モンテーニュがそうでは?)
純客観的な倫理では、その目的さえ存在しないにも関わらず、「人類の進歩」であるとか、「子孫への幸福」などのお題目をあげることになっている。(学者の能力主義の延長か?)つまり、子孫という他者への倫理であり、論議としては退潮した感覚が否めない。(無回答の円環理論)結局は親子の情に収斂してゆくだけではないか。「倫理」というそのものの存在が何か、その価値は何かを明らかにしているとは言い難い。やはり自然科学に立脚した手法で「倫理」を説くことには初めから無理がある。

・これは余談かもしれないが、自分を度外視して見ると、様々な学者を身近に観察して、一般人より愚かな面がほぼ共通して見える。真の人格者は本当に少ない。あれで倫理を云々するとなると・・どういうことになるか。もう少しは人間的に苦労した方が良いように見えるのだが・・

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マイモニデスのプシャットへのアプローチ法
二つの言葉の間に矛盾があると感じられる場合
その理由は言葉にあるのではなく、作者と読者にある。
”モネ・ブレヒーム”の中でその七つの原因を挙げている。
1.異なる意見の発言を多様な人から集めたが、各々の発言が誰か整理されていない
2.著者が後になって見解を変えてしまう
3.発言によっては字句通りで、別の発言では隠喩を成している
4.主題があるべき場所で語られていない
5.弟子に理解のための基礎知識が備わっていると教師が思い込み教える
6.一見矛盾がないように見えて、前提に遡ると矛盾する(高等者も陥る)
7.奥義を語りながら一半を明かし、他を隠す場合(3と異なるか?)
マイモニデスによればミシュナーやタルムードに於ける矛盾発言の多くは1.2であるという。
彼によれば、修正を必要とする聖典の預言の言葉は存在しない。

”モネ・ブレヒーム”の1-71
トーラーに付随する口頭伝承の一部として哲学がイスラエルの賢者に伝承されてきたが、民に混乱を与えることを避けるために人々に伝えることも書き表すことも禁じられてきた。(?)
それは「スィトゥレー・トーラー」と呼ばれ
「マアセ・ベレシート」「マアセ・メルカヴァー」などは
自然学と形而上学にまたがる哲学であったと
そこでギリシア哲学に接近する彼は「スィトゥレー・トーラー」を自分たちに代々伝えられた密議とするカバリストらから敵視を受けることになる。
中世ユダヤ教の中では、このようにカバラーとアリストテレス哲学の狭間での争いがあったと
そこで、スピノザがマイモニデス批判を開始する前に、まず、カバリストらの「超自然的光明で聖書を解釈する」ことを批判することから始める。



所見;12世紀のスペインというのは、イスラムキリスト教が混在し、そこにアリストテレス哲学が流行を見ていた時代思想で、ルネサンスの入り口のようなところであると思う。
そこで諸科学に通じていたマイモニデス(ラムバム)が、ユダヤ伝統に潜り込むカバリストらと、思想の基盤が違っていたように思われる。
しかし、カバリストはスィトゥレー・トーラーをどう見做していたのだろうか?
聖典理解と雖も、その人の立つ時代のエピステーメーのようなものも避けられない。それは誰もそのようになると思う。それはスピノザにしても
そういえば、エジプト密議由来の「三位一体説」もカバラー的に分類されることになるのでは、つまり、あれは聖典をそのまま読んだら成立し得ない魔術的教理だから。



聖典理解に於けるスピノザの立ち位置というのは、超自然的でも自然科学的でもないところに在ったのだろう。
スピノザという人物は、ユダヤ教から破門され、キリスト教にも属さず、なお信仰者であったところに特性がある。つまりは、貧しくとも個人的信仰者で生涯を通した。それがやがて様々に評価、また脅威ともされていった。


⇒「聖書解釈の彷徨」(マイモニデスについてのスピノザ)






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