Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

クルアーンの世界

◆概要

クルアーンは聖書ほどに記述がまとまっておらず、天地創世の内容もクルアーンの中に散乱して存在している。それは聖書がモーセの時代から収集され16世紀かけて綴られたのに対し、ムハンマドには四十歳から六十歳までのおよそ二十年間、その時々に天啓が与えられたことによる。
その神は聖書の神よりも超越的であり、人は『神の象りに創られた』というような記述は無い。超絶的に隔てられた神は、人間の能力によって知ることも描くこともできない絶対の不可知の神である。そのため人が自ら作り、手で触れられる偶像を強く禁忌する。
人は地上に『神の代理として創られた』とはあるが、管理運営の僕であり、主人として改変させる権威を有しない。それでも、この世界は人の利益のためであり、自然界は神の恩恵であると教える。
天地自然を創られた神は、その自然が神の存在証明の証しとなっている。神の創造の業は間断なく続いているものである。

神に創造された世界には、始りがあり、始りあるものには終りがある。この世界は有限なものであり、創造から終末へと向かう直線の中に人は位置している。神は初めから人間も有限な寿命あるものとして創られた。その時間の中にあっても創造の神は普段に新しい創造を間断なく行われている。
クルアーンでは、人は生きている間も、死んでからも神の指導と指針に即して生きることが求められている。
生命ある間は、地上で規範に従い神の意志に基づいた道徳秩序を築き上げ、死後は、天地の終末まで墓の中に眠り、終末に現世での行為の質に応じて天国と地獄の地位が決まる。
現世は有限であるが、来世は未来永劫続く無限の時間となる。来世は現世の褒賞の場でもあるが、地獄であっても修行を重ね刑罰の度合の低い層に上げられることもある。また、天国でも下層に甦った死人も、多くの善行を重ねて、神の玉座に近い上層に挙げられることもある。そこで、人間にとっては有限な現世よりは、永遠の来世こそが目標とするべき真の生きる場である。後にイスラームの中からも輪廻思想への接近も観られている。
イスラーム以前のアラビアの多神教では、現世だけが人の命のすべてであり、来世への再生という概念がなかった。ムハンマドがマッカの住民から嘲笑されたのも、人が蘇って永遠に生きるという考えに原因があった>
クルアーンは死生観を神の恩恵のひとつとして把握し、死は永遠の生に至る「通過点」と見做した。
聖書は神の経綸の進展に伴い時代に意味を与えたが、クルアーンムハンマドの召命と終末論とが深く関係している。クルアーン歴史観は、旧約の契約遵守とも、キリストの救済とも目的を異にし、神の代理人として地上に道徳的秩序を造り上げることにある。それは自然界と共に神の被造物としての秩序を保つことであり、イスラームは自然を服従させるものではない。

死生観では、遺伝子組み換え(食品)や心臓死による臓器移植は多くのイスラム諸国で行われており、コンセンサスは確立されている。
しかし、自殺が厳格に禁止されているため、安楽死尊厳死については認可されない。埋葬については、ユダヤ教のように終末の復活を期して土葬されるのが正しく、遺体を火で焼くことは火獄へ行くべき者とした処置とされる。

他方で、堕胎については、妊娠120日までは、未だ胎児に霊魂が備わっていないと判断され、許可されている。

ジハード(「努力」の意)とされる自爆テロは「殉教」かを巡る論争には普遍的で明確な答えは提出されていない。多くの法学者らが、「ジハードに名を借りた犯罪だ」としつつも、出口のない紛争の中にいる人々から見れば、現状を打破するために命を捧げた殉教者に見えるとしても仕方がない。<うち続く紛争のそのものの原因を問い、武力闘争に訴えない方法での解決を目指すという点では、イスラームに欠点があることは否めない>殉教者は穢れが無いと見做されるので、死体を洗うこともなく、そのままに埋葬される。


◆来世の楽園
人は皆、神の被造物であるから、現世の寿命が尽きると神の許に戻るべき存在である。それは「終末」に於いて起こる帰還となるが、その「帰天」こそが神の計画の成就である。
『これは重要な教訓である。神を畏れる者たちには、良い帰り場所がある。それは永遠の楽園であり、その門は彼らに開かれている』(38:49-50)
「終末」には、既に死んでいた者も、そのとき生きている者も、すべての人間は、神の前で最後の審判を受ける。神を信じ畏れる者には楽園が、多神教徒#や不信仰者には罰として火が燃え盛る火獄の苦しみが待ち受けている。<#経典の民を含んでいない>
楽園では、緑豊かな果樹園のようであり<アラブは砂漠の民>、澄み切った水をたたえる川、腐ることのないミルクの川、酔うことのない美酒の川、純粋な蜂蜜の川が流れ、果樹園にはあらゆる種類の果物が豊富に実り、住民はどれも食べ放題、飲み放題なうえ、豪華な錦の敷物の寝台が与えられて、そこに永遠の若さを保つ美少年たちが酌をして回っている。この楽園の住民には、伏し目がちの大きく輝く瞳をもった美しい乙女ら#が、現世での善行に応じた褒美として与えられるが、彼女たちは永遠に清らかな乙女である。
<このように、「楽園」には人間の持つ、食欲と性欲が限りなく満たされるのだが、この世俗性は特にキリスト教側からの攻撃に曝されてきた。しかし、イスラーム内部からも、イヴン・スィーナー(1037d)
やガザリー(1111d)、イヴン・タイミーア(1328d)などの、むしろ精神性を重要視すべきであるとする主張がなされた。しかし、初期の信者の拡大にこの教えは貢献したものと考えられているし、現代でも有効である>
この楽園観は男性の願望であることは余りに明白だが、一応は『女性の信者にも、下に川が流れる楽園に永遠に住むことを神は約束された』とも書かれている。(9:72)


◆行為者としての人

「人は善にも悪にも、信仰にも不信仰にも、服従にも不服従にも行為主であり、自己の行為に対して報われるものである。至高の神は、これらすべてに人間の能力を与えた」ワーシル・ブン・アター


◆キリスト(マシーフ)

エス(イーサー)は最も優れた預言者のひとりであることがクルアーンに記されており、処女マリア(メラヤアム)から生まれた「神の言葉」で「神の霊」であるとされている。それでもイエスは神そのものではなく、三位一体は全く否定される。
『実にメラヤアムの息子でありマシーフであるイーサーは神の使徒である。彼は神がメラヤアムに与えた御言葉であり、神からの霊である。だから神と使徒たちを信じよ、「三位」と言ってはならない。』(4:171)


ユダヤ教

ユダヤアブラハムの子イツハクを嫡子とし、献供物語があるように、クルアーンではアブラハムの長子イシュマエルこそが献供物語に登場する継嗣とされる。

ムハンマドに対するマディーナのユダヤ人の抗争事件があったように、イスラームユダヤには難問があった。
そこで初期から、イスラームと対立を強くしていたのはユダヤ教の方であった。
だがそこに、キリスト教が三位一体を掲げるようになり、そこでイスラームははっきりとキリスト教に反論を加えるようになっていった。
一方で、域内のユダヤ教徒とは和解があり、ユダヤ教徒はズュンミーとして税金さえ払えば、ユダヤ商人は自由に移動も商売も許された。ムスリム支配下では、ユダヤ商人はイスラムともマニ教徒とも、キリスト教徒とも自由に商売ができた。これは欧州におけるキリスト教徒のユダヤ教徒への扱いとは対照的であり、イスラームは寛容であったと云える。
実際、1911年までイスラーム支配下にあったパレスチナでは、宗教は並立しており、それぞれの信条を保ったまま交流することが可能で、敵対心を持つまでもなかった。そのような環境でユダヤ人は教学院を維持することができ、中世にはタルムードを生み出しているが、その過程で厳格な保守性を後にしている。こうした教学院の運営費の一半はアッバース朝地方税が当てられており、残りがユダヤ教徒献金から出されてもいた。


◆政祭一致

ユダヤ教は神に対する恐れに基いており、キリスト教は神の愛に、イスラームは神の知識に基づいている」とナスルは言う。
だが、アスランは、「イエスは『カエサルの物はカエサルに』として、人間による規範(法)と神による規範との厳格な区別を設けた。他方、ユダヤ教イスラームでは「法」は神から与えられたものであり、それを遵守することは神との聖なる契約である。西洋の人々がキリスト教を通してシャリーアの意味や役割に理解が困難なのは、この理由による」



◆終末

最終的な世の終りが何時になるかを知るのは神のみであり、天地の崩壊が始まっても多くの人々には分からない。
終末について詳しく述べるのは、クルアーンよりはハディースである。

エゼキエル書の影響を受けているようで、終末前には「ヤージュージュ」と「マージュージュ」つまり『ゴグとマゴグ』の襲来があり世界は掻き乱される。

終末期はアルダジャル、イーサー(イエス)、マフディの三者の時期がある。アルダジャルは偽マシーフであり右目が見えない#、イーサーに誅される。#Zec11:17?
しかし、イーサーはマフディがアルダジャルと戦っている時に、ダマスカスに降臨し、マフディに加勢する。
マフディはイーサーの力を借り、イスタンブールとイランのデラム山<Deylam?>を征服しイスラム教を回復させる。マフディは広い額と尖った鼻の持ち主である。彼はエルサレムとドームを住処とする。
マフディの死後、イーサーは指導者となり平和と正義が成就する。
イーサーの40年の期間の後、イーサーは死んでメディナに葬られる。
<この終末のイーサーは結婚し子を設けている>

最後に「ヤージュージュ」と「マージュージュ」が壁に穴を空け、彼らが急増する。彼らは山を下って突き進む。
カーバは破壊される

そこで神は虫を送り、彼らを殺す。




塩尻和子「イスラームの人間観、世界観」を中心に補足しつつ記載


?:アルダジャルというのはペルシア語由来では?



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