Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

東方系初期人士

 

Ήγεσιππος (c. 110 – c. April 7, 180 )
エウセビオスによれば、彼はユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ人であると
彼は旧約、ヘブライ福音書、口頭伝承、シリア語福音書を引用している。
アニケトゥスの時にローマに来訪しエレウテルスの時まで執筆したらしい。彼の生涯中にハドリアヌスの愛人アンティノウスがナイルで死亡し神格化されたことは分かっているという。
彼の著作は全く失われており、エウセビオスの八つの引用だけが知られている。それによれば五巻の"Ὑπομνήματα"「備忘録」があったという。
彼はアニケトゥスの時に東方からローマに至る過程でコリントスに立ち寄り、各地のキリスト教の均一性について証しすることができたという。HE6:22 Hegesippus
ということは、アニケトゥスからウィクトルまでの間に何か変化があったのかもしれない。あるいは、彼はエフェソスやミレトスには寄港しないでコリントスに向かったか?コリントスはポントスと共に反小アジア的であることが知られている。

 

 

 

ウルフィラス 311ca-383
非ゴートでカッパドキアギリシア人の出身、蛮族によって奴隷にされた、或いは奴隷に生まれたか、若年期に捕虜になったかもし知れない。ゴート族として成長し、彼は後でギリシアとラテンの言語に熟達した。
彼はニコメディアのエウセビオスにエピスコポスに任命されたが、彼の出身地のゴート族は彼を宣教者として迎える。
ゴート族の首長の迫害の348年に、コンスタンティヌス二世の許可の下にモエシアのイストルムのニコポリスに逃れる。
そこで彼はギリシア語からゴート語に聖書を翻訳する。その過程でゴートアルファベットを考案。その写本はウプサラ大学図書館で1648年以来保管されている。それが「銀の聖書」と呼ばれるオストロ・ゴート王テオドリックのために作られたもので、ウルフィラスからおよそ百年後にラヴェンナブレシアで製作されたものと考えられる。
彼は後にドロストルムのアウクセンティウスとなる男子を養子にとっている。
彼については主に五つの人物伝が伝えられているが、ふたつはアリウス派で三人がカトリックによる。