Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

ネブカドネッツァルの七つの時

・ネブカドネッツァルに臨んだ「七つの時」

 

この期間の役割は、支配権の保存により、神が最も身分の低い者に全世界の支配権を賜ることを表している。

 

最も身分の低い状態の象徴として大王自らが野生動物のようになって草を食らう状態に陥る。これは当然に王位後退や簒奪の好機となることであったが、銅と鉄の箍を掛けられ、生育が抑制されてはいても、その大木の根は残されており、大王が王権に復帰する機会が意図的に残されていた。

 

一年後に、大王の見た夢は現実となってその身に降りかかったが、「七つの時」とされる期間が経過して後、獣の心から人の心に戻り、王座に服すると前にも増した権威を帯びるまでになった。

この経験から大王は天の神を賛美し、神は地で最も地位の低い者をさえ最高支配の座につけることが可能であることを身を以て知ったことを布告している。

 

以上の要点からすると、全地の支配権を最終的に獲得するのが、地上では権力によって重罪人として処刑されるキリストとその伴なる聖徒らであることから、ダヴィドの王朝を一時的に終わらせたネブカドネッツァルを介して、神はあらゆる支配の権威者に対して、特に終末の支配者らが、聖なる者らを自分たちの権力によって退け処刑することへの警告を意味していると捉えられる。

そこで『七つの時』とは、キリストら神の王国の支配権を有する者らが低められる期間の象徴であると解することができ、おそらくそれはキリストの公生涯の三年半と、終末の聖徒らが荒布を着て預言する42か月の合計を表している可能性がある。

どちらも、支配権を与えられる者でありながら、地に在っては何の支配権もなく、むしろこの世の為政者らによって捕縛され処刑される。しかし、彼らの支配権は神の許に保持されており、『七つの時』のすべてが終了するときには、天界にキリストの王国、真のイスラエルが構成され、全地への支配を開始することになる。

ネブカドネッツァルが身を以て学んだことはその象徴であったのであろう。

 

 

 

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終末時系列考

 

Dan11:31-32

彼から軍勢が起って神殿と城郭を汚し、常供の燔祭を取り除き、荒す憎むべきものを立てる」

”And forces shall be mustered by him, and they shall defile the sanctuary fortress; then they shall take away the daily sacrifices, and place there the abomination of desolation.”

以上の行為者は「北王から出る者」

 

彼は契約を破る者どもを、巧言をもってそそのかし、背かせるが、自分の神を知る民は、堅く立って事を行い」

”Those who do wickedly against the covenant he shall corrupt with flattery ; but the people who know their God shall be strong, and carry out great exploits.”

以上、「北の王」が主体

 

テサロニケ第二4:3-4

「まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
2:4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。」

これは自らを神とする者が背教から生じる「不法の者」であるとしている。

詩篇82篇

82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。82:6 わたしは言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。82:7 しかし、あなたがたは人のように死に、もろもろの君のひとりのように倒れるであろう」。

この詩篇は神々を裁く神が描かれるが、これは異教の「神々」ではない

 

黙示録13:4-7

「13:4また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。
13:5 この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。
13:6 そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。
13:7 そして彼は、聖徒に戦いを挑んでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。」

以上、七つ頭の野獣が主体、この段階で既に偶像と成るべき権威を悪魔から得ている

 

ダニエル11:36

11:36 この王は、その心のままに事をおこない、べての神を越えて、自分を高くし、自分を大いにし、神々の神たる者にむかって、驚くべき事を語り、憤りのやむ時まで栄えるでしょう。これは定められた事が成就するからです。
11:37 彼はその先祖の神々を顧みず、また婦人の好む者も、いかなる神をも顧みないでしょう。彼はすべてにまさって、自分を大いなる者とするからです。

この主体者は「北の王」で自分を神とするために神々を認めず冒涜する無宗教的に振る舞う。

 

ダニエル9:8-12

その角の一つから、一つの小さい角が出て、南に向かい、東に向かい、麗しい地に向かって、はなはだしく大きくなり、
8:10 天の衆群に及ぶまでに大きくなり、星の衆群のうちの数個を地に投げ下して、これを踏みつけ、
8:11 また自ら高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した
8:12 そしてその衆群は、罪(背き)によって、常供の燔祭と共に、これに渡された。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。」

8:12 Because of transgression, an army was given over to the horn to oppose the daily sacrifices; and he cast truth down to the ground. He did all this and prospered.

以上は、ギリシアに相当する四本の角から生える角が主体、但し「背き」については不明。南と東とはまずエピファネスの戦争地域か?これを終末に当てはめると、「北の王」の最終的軍事行動は単一の国家ではなく集団で行われるのかもしれない。

 

ダニエル7:20

「7:20 この獣の頭には、十の角があったが、そのほかに一つの角が出てきたので、この角のために、三つの角が抜け落ちた。この角には目があり、また大きな事を語る口があって、その形は、その同類のものよりも大きく見えた。
7:21 わたしが見ていると、この角は聖徒と戦って、彼らに勝ったが、
7:22 ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。」

この主体者は第四の獣の十本の角の後から生える角=七つの頭の野獣

 

黙示録17:3-6

「17:3 わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚す数々の名で覆われ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
17:4 この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、
17:5 その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
17:6 わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。」

ダニエル11:39

「11:39 異邦の神(a foreign god)の助けによって最も強固な城にむかって、事をなすでしょう。」異邦の神[עִם־אֱלֹ֣והַּ נֵכָ֔ר]eroha 単数⇒「一人の女」

ダニエル書の文脈で「北の王」は伝統宗教を否定しながら、上記39節では異邦の神の助けを得ている。これは彼の力をもってしても協力が必要であるかのように描かれるが、それは便宜的なものに過ぎないらしい。この「異邦の神」が何を表わすかはダニエル書には解答が無い。総合して観ると、自分は無宗教的でありながら、別の宗教的な要素の助けを借り、シオン攻撃を行うと解せる。おそらく一度目のシオン恫喝の事ではないか。その以前に聖徒攻撃を『腕』によって成功させているが、そのときに異邦の宗教を利用しているなら、それがGBの罪とも言える。女が一人というのは、聖徒に対抗するために合同するのかも知れない。

 

ダニエル12:1

「12:1 かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
12:2 また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。」

ヨハネ5:28-29

「 5:28 このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、5:29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、裁きを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。」

ルカ22:29

「22:29 わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、
22:30 わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族を裁かせるであろう。」

黙示録7:2-3

「7:2 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とを損なう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
7:3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印を押してしまうまでは、地と海と木とを損なってはならない。」

以上は第一の復活と裁きを指し、聖徒の先立つ復活の理由を示している。

 

まず、Dan12:1からの大いなる悩みの日の直前で「北の王」が絶えている。直後に天界に「第一の復活」が起り、「幕屋は煙で覆われる」段階に入る⇒「七つの鉢」

この以前に天界の祭司団は機能できる状態に入っているのであろうから、「額に証印」はすべて押され、十二部族の裁きも終了していると思われる。

この時点まではGBは存在しており、比較的に健在であるらしい。この時点は天の聖所の奉仕の準備が整う段階、つまり「七つの鉢」の段階に入るところに在る。

そうであれば、シオンの民のこの世の「三分の一」への攻撃によって「鉢」の警告の暴露が成されるか、少なくとも時期は重なる。

「三分の一」への攻撃によってGBの滅びが誘発されるという可能性もある。

しかし、それ以上に誘因となるのは「不法の者」「アンチ・クリスト」への崇拝であり、「騎兵隊」の攻撃はシオンへの人々の更なる流入を促すものであるかも知れない。⇒「あなたがた、わたしの民よ」

聖徒攻撃が終了した時点は、ひとつの時間的区画が終わるところであり、「奥義は終了する」

そこから先については、神の民というものが聖徒から信徒である「シオン」の民に移り、救いを見る、また隠されるなどの恩寵を得るとされるのは、地の民になる。(ヨハネ17:20-21)

 

GB攻撃の主体については「十本の角また野獣」とあり、この時点で「野獣」は健在らしい。

すると、聖徒攻撃からGBの滅びまでは非常に近いことになる。(騙し討ちか?)GBに関してはFが当てはまる。

 

順からすると、GBは野獣と角によって滅ぼされ、その後野獣は姿を消す。

<次いで野獣は偶像化し、既に据えられていたシックーツが第二の獣によってその座に就く。その偶像崇拝は強制化し、猶予は残されないほどになる。>ここに問題あり

しかし、行動を起こすのはゴグの故地の方であり、

そうなると「天から火を降らす」というのは、異論を認めないという意味かもしれない。

 

そうすると、シオン側からばかりの観点では全体は見えないことになり、一つ一つの観点から見直す必要があるらしい。

それぞれを丁寧に見直した上で総合しないと前後もはっきりしない。

 

 

◆整合箇所

黙示録

16:12 第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために枯れてしまった。
16:13 また見ると、の口から、の口から、預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。
16:14 これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。⇒ここで『裸で歩いて』がある

◎召集とGBへの攻撃がセットされている

ヨエル

3:2 わたしは万国の民を集めて、これをヨシャパテの谷に携えくだり、その所でわが民、わが嗣業であるイスラエルのために彼らをさばく。彼らがわが民を諸国民のうちに散らして、わたしの地を分かち取ったからである。

◎既に神の民は散らされている。従って近いのはGB攻撃とシオン攻撃になる

 

△問題は、この以前に偶像化が起っているべきこと。しかし黙示16ははっきりとそう言わない。

GB攻撃の時の野獣というのは偶像なのか?<何故なら、その以前に北王は消えている。たしかに『十本の角と野獣』17:16とある>

[καὶ τὰ δέκα κέρατα ἃ εἶδες καὶ τὸ θηρίον οὗτοι μισήσουσιν τὴν πόρνην καὶ ἠρημωμένην ποιήσουσιν αὐτὴν καὶ γυμνὴν καὶ τὰς σάρκας αὐτῆς φάγονται καὶ αὐτὴν κατακαύσουσιν ἐν πυρί.]

そして十の角、見た、そしてその獣、それらは憎む・・「十本の角を持つ野獣」[τοῦ θηρίου τοῦ βαστάζοντος αὐτὴν τοῦ ἔχοντος τὰς ἑπτὰ κεφαλὰς καὶ τὰ δέκα κέρατα]とは言っていない。双方の違いはただの省略だけでもなさそうには見える。

動機からすると像の方が遥かに女への敵意を懐き得る。

では敵対者はPhか犬か

 

ケニ人はイスラエルカナン人ではなく、且つイスラエルに寄り添う特異な部族で明らかに遊牧民であり、あり続けようとしていた。モーセを通してレヴィに姻戚関係に入ったが、彼らはネティニムではなく、常にイスラエルの同伴者であり続けた。捕囚後にはエルサレムの南東の地域を任され城壁の一部(灰の門)を共に修理したらしい。

北王国に在ってはオムリの家の法を憂いていたであろう。その後アッシリアへの捕囚に遭った可能性はバラムの預言に見える。

しかし、エレミヤの活動中でその経験な生活に焦点が当てられており、散らばって住んでいたと思われる。そのほかでは一人エホナダブ(YHWHは偉大也)として現れ[ יֵה֛וּא ]と行動し検証者となる。

 

やはり騙し討ちかも知れない。全軍の召集されている時にGBはまだそこに居り、逃げも隠れもしない。聖徒攻撃の使嗾は信徒にも向けられているように見える。そして黙示録では招集者が居ないがエゼキエルはゴグであると言う。

しかし、ゴグはイスラエルへの攻撃について関与が書かれているが、聖徒攻撃についてははっきりしない。しかも、その行動は一度限りに読める。この点ではエゼキエルは最終行動に限定して述べているのかも知れない。それから「イスラエルの山地」というものが天界の聖徒らの王権と関わるであろうことは良く分かる。(もう一度読み直す)

あるいは、蝗害と騎兵隊の時期は重なるのだろうか?<そうしないと時間が足りない>

 

 ◆訂正

イスラエルの山地』についての解釈が間違っていた。

これは逆の意味であることを当の預言者が詳しく語っていた。

まったく、読みが足りないからこんな事になる。

 

 ⇒「マゴグの地のゴグ」の素性