Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

エゼキエルの異様な文言

 

関連⇒「エゼキエル40章以降」

    ⇒「エゼキエル書の構造」

 

前572年に与えられた第40章以降の最後の啓示に含まれる異様な文言

 

あなたをここに携えて来たのは、これをあなたに示すためである。あなたの見ることを、ことごとくイスラエルの家に告げよ 40:4

 

彼らはその敷居を、わが敷居のかたわらに設け、その門柱を、わが門柱のかたわらに設けたので、わたしと彼らとの間には、わずかに壁があるのみである。そして彼らは、その犯した憎むべき事をもって、わが聖なる名を汚したので、わたしは怒りをもって、これを滅ぼした。
 今彼らに命じて姦淫と、その王たちの死体を、わたしから遠く取り除かせよ。そうしたら、わたしは永久に彼らの中に住む。43:9

アハズの処置 ⇒王二16:20 ⇒代二28:27

バアルの為に鋳物の像を作り、ヒンノムの谷で犠牲の捧げ子らを焼いた。その結果として神はシリアとサマリヤに攻めさせたが、アハズはアッシリアに頼り、ティグラト・ピレセルに謁見するために向かったダマスコスで大祭壇を見て感心し、同じ型の大祭壇を作らせて犠牲を捧げさせ、銅の祭壇を脇に退けた。アハズは父祖らと共にダヴィドの街に葬られた。

 

人の子よ。イスラエルの家が自分たちの不義を恥じるために*、彼らに宮と、その外形と、設計とを示せ  *新改訳 43:10

"Son of man, describe the temple to the house of Israel, that they may be ashamed of their iniquities; and let them measure the pattern.43:10

 

彼らがその犯したすべての事を恥じたら、彼らに、この宮の建て方、設備、出口、入口、すべての形式、すべてのおきて、すべての規定を示せ。これを彼らの目の前に書き、彼らにそのすべての規定と、おきてとを守り行わせよ。
宮の規定はこれである。山の頂の四方の地域はみな最も聖である。見よ、これは宮の規定である。 43:8-12

 

 門のかたわら、内側に四つの台、外側に四つの台があって、合わせて八つの台である。その上で、犠牲の物をほふるのである。40:41

אַרְבָּעָ֨ה שֻׁלְחָנֹ֜ות מִפֹּ֗ה וְאַרְבָּעָ֧ה שֻׁלְחָנֹ֛ות מִפֹּ֖ה לְכֶ֣תֶף הַשָּׁ֑עַר שְׁמֹונָ֥ה שֻׁלְחָנֹ֖ות אֲלֵיהֶ֥ם יִשְׁחָֽטוּ׃

 

 

人の子よ。神である主はこう仰せられる。祭壇の上で全焼のいけにえをささげ、血をそれに注ぎかけるために祭壇を立てる日には、次のことが祭壇に関する定めとなる 43:18 新改訳

 

44:1 彼が私を聖所の東向きの外の門に連れ戻ると、門は閉じていた。
44:2 【主】は私に仰せられた。「この門は閉じたままにしておけ。あけてはならない。だれもここから入ってはならない。イスラエルの神、【主】がここから入られたからだ。これは閉じたままにしておかなければならない。
44:3 ただ、君主だけが、君主として【主】の前でパンを食べるためにそこにすわることができる。彼は門の玄関の間を通って入り、またそこを通って出て行かなければならない。 新改訳

 

 

44:9 それゆえ、主なる神は、こう言われる、イスラエルの人々のうちにいるすべての異邦人のうち、心と肉とに割礼を受けないすべての者は、わが聖所にはいってはならない。
44:10 またレビ人であって、イスラエルが迷った時、偶像を慕い、わたしから迷い出て、遠く離れた者は、その罪を負わなければならない。
44:11 すなわち彼らはわが聖所で、仕え人となり、宮の門を守る者となり、宮に仕えるしもべとなり、民のために、燔祭および犠牲のものを殺し、彼らの前に立って仕えなければならない
44:12 彼らはその偶像の前で民に仕え、イスラエルの家にとって、罪のつまずきとなったゆえ、主なる神は言われる、わたしは彼らについて誓った。彼らはその罪を負わなければならない
44:13 彼らはわたしに近づき、祭司として、わたしに仕えることはできない。またわたしの聖なる物、および最も聖なる物に、近づいてはならない。彼らはそのおこなった憎むべきことのため、恥を負わなければならない
44:14 しかし彼らには、宮を守る務をさせ、そのもろもろの務と、宮でなすべきすべての事とに当らせる。 口語訳

 

 

45:9 神である主はこう仰せられる。イスラエルの君主たちよ。もうたくさんだ。暴虐と暴行を取り除き、公義と正義とを行え。わたしの民を重税で追い立てることをやめよ。 新改訳

 

45:18 主なる神は、こう言われる、正月の元日に、あなたは無傷の雄牛の子を取って聖所を清めよ。
45:19 祭司は罪祭の獣の血を取って、宮の柱と祭壇のかさねの四すみ、および内庭の門の柱に塗れ
45:20 月の七日に、あなたがたは、過失や無知のために罪を犯した者のために、このように行って宮のためにあがないをなせ。
45:21 正月の十四日に、あなたがたは過越の祭を祝え。七日の間、種を入れぬパンを食べよ。 口語訳

 

46:1 神である主はこう仰せられる。内庭の東向きの門は、労働をする六日間は閉じておき、安息日と、新月の祭りの日にはあけなければならない。
46:2 君主[הַ נָּשִׂ יא]は外側の門の玄関の間を通って入り、門の戸口の柱のそばに立っていなければならない。祭司たちは彼の全焼のいけにえと、和解のいけにえをささげ、は門の敷居のところで礼拝して出て行かなければならない。門は夕暮れまで閉じてはならない。 新改訳

 

46:1 神である主はこう仰せられる。内庭の東向きの門は、労働をする六日間は閉じておき、安息日と、新月の祭りの日にはあけなければならない。
46:2 君主は外側の門の玄関の間を通って入り、門の戸口の柱のそばに立っていなければならない。祭司たちは彼の全焼のいけにえと、和解のいけにえをささげ、彼は門の敷居のところで礼拝して出て行かなければならない。門は夕暮れまで閉じてはならない。

 

 

・「長」の用例

7:27

וְנָשִׂיא֙ 12:10 

44:3 [הַנָּשִׂ֗יא] 第三神殿については初出

[אֶת־הַנָּשִׂ֗יא נָֽשִׂיא־ה֛וּא יֵֽשֶׁב־בּ֥וֹ לֶֽאֱכָל־ (כתיב לֶֽאֱכָול) לֶ֖חֶם לִפְנֵ֣י יְהֹוָ֑ה מִדֶּ֨רֶךְ אוּלָ֚ם הַשַּׁ֙עַר֙ יָב֔וֹא וּמִדַּרְכּ֖וֹ יֵצֵֽא:]

[The prince [I permit]-he is a prince; he shall sit therein to eat bread before the Lord; by the way of the hall of the gate he shall come, and by the same way he shall leave.]

 

43:7-8

[וַיֹּ֣אמֶר אֵלַ֗י בֶּן־אָדָם֙ אֶת־מְק֣וֹם כִּסְאִ֔י וְאֶת־מְקוֹם֙ כַּפּ֣וֹת רַגְלַ֔י אֲשֶׁ֧ר אֶשְׁכָּן־שָׁ֛ם בְּת֥וֹךְ בְּנֵֽי־יִשְׂרָאֵ֖ל לְעוֹלָ֑ם וְלֹ֣א יְטַמְּא֣וּ ע֣וֹד בֵּֽית־יִ֠שְׂרָאֵל שֵׁ֣ם קָדְשִׁ֞י הֵ֚מָּה וּמַלְכֵיהֶם֙ בִּזְנוּתָ֔ם וּבְפִגְרֵ֥י מַלְכֵיהֶ֖ם בָּֽמוֹתָֽם:]

And He said to me, Son of man, [this is] the place of My throne and [this is] the place of the soles of My feet where I shall dwell in the midst of the Children of Israel forever, and the House of Israel will no longer defile My Holy Name, they and their kings with their harlotry, and with the corpses of their kings in their high places.

[בְּתִתָּ֨ם סִפָּ֜ם אֶת־סִפִּ֗י וּמְזֽוּזָתָם֙ אֵ֣צֶל מְזֽוּזָתִ֔י וְהַקִּ֖יר בֵּינִ֣י וּבֵֽינֵיהֶ֑ם וְטִמְּא֣וּ | אֶת־שֵׁ֣ם קָדְשִׁ֗י בְּתֽוֹעֲבוֹתָם֙ אֲשֶׁ֣ר עָשׂ֔וּ וָֽאֲכַ֥ל אוֹתָ֖ם בְּאַפִּֽי:]

By placing their threshold with My threshold and their doorpost beside My doorpost, and the wall [was] between Me and them, and they defiled My Holy Name with their abominations which they committed, and I destroyed them with My wrath.

他の類似語 [מֶלֶך, קֵיסָר, נָשִׂיא]

 

 

エゼキエル神殿ではシェキーナーについて何度か言及されている

44:4 しかもそれは東から到来し神殿の中に入っている43:5

 

・第三神殿とモーセ祭儀の異なり

大祭司だけでなく祭司全員が至聖所に入る 44:15-16

婚姻の規定が大祭司だけでなくあらゆる祭司に及ぶ 44:22

ニサン1日を聖日としている 45:18

その日に屠られる山羊は宿営の中で屠られる

しかも神殿の戸柱、門柱にその血が塗布される

 

・祭壇の聖別がない

 

・異様なペサハ

各戸で行われる祭礼が、神殿での長による国民祭にされている

子羊の犠牲が雄牛に変えられている

ペサハとマツォートの区別なく七日の祭日になっている

 

・常供の捧げ物の数と時刻が合わない

・スッコートが異邦人にも義務付けられている

<体系的意味ではゼカリヤに連なるが、ここは奇妙>

 

・携挙信奉者は天に去った者と地上の神殿の存在の矛盾を

イスラエルと教会の区別として解決できるとする

 

メシアニックジューは、キリストの再臨により新たな律法が与えられ

第三神殿を用い、悔い改め回復したイスラエル国民によって崇拝されると解釈する

 

 

・ダニエル書と共にエゼキエル書中では「シオン」「ゼデキヤ」をまったく用いない

「シオンの娘」イザヤ、エレミヤ、ミカ、ゼパニヤ、ゼカリヤ

『シオン』イザヤ、エレミヤ、ヨエル、アモス、オバデヤ、ミカ、ゼパニヤ、ゼカリヤ

 

エルサレムから真西に向かうと海岸まで50kmほどしかなく、48章の区割りでは100kmが要り、どうしてもはみ出しが出る。

これを陸地内に調整すると、神殿の位置はヘブロン近郊の死海に近い地点になる。しかもエゼキエルはシオンやモリヤという言葉を一貫して述べないし、神殿の幻については『高い山の南』というだけである。この「南」という単語に含蓄がある>

 

<第三神殿そのものは巨大ではないが、1550mほどの正方形の外周の、特に幅を満たそうとすると、現状のモリヤには乗らない大きさになる。

あれほど精密にサイズを描くエゼキエルの幻が、神殿外周と部族の割り当てでこのようなはみ出しを指定しているのか?しかも、聖域の四隅について『山の頂の四方の地域はみな最も聖である』という>

 

<それから440m毎に水深の深まる流れを作ることはまだ不可能ではないとしても(乾燥地なので循環させないと難しい)、死海を淡水にして漁業が営めるほどにするには、湖底の塩をさらう必要があるだろうが、これは相当な無理がある。南側1/3が干上がったところに上から加工して済ませば何とかなるにせよ、預言の成就というにはみっともない限りだが>

 

世にこの神殿は反キリストが座すためのものではないかという見解も少なくない。確かに、終末に動物の犠牲の必要もなく、却ってキリスト教への否定となってしまう。また、エゼキエルは『王』とは言わずに『君侯』(ハ ナシー)で一貫している。そういえばこの預言者はゼデキヤをハナシーと呼んではいなかったか?傀儡王であるのでそうしたと何かで読んだ。<ベレキンソップだったか?>

神殿再建の許諾をする偽メシアの登場はユダヤ教徒にとっての歓喜の理由になるに違いない。イスラムも口頭預言の成就としてとれるなら歓迎しかねない。しかもそれはイーサーであるところがキリスト教と協調できる。

この背教を推進するのが、ユダヤ教徒ユダヤかぶれのキリスト教徒であるのが既に見えている。イスラム岩のドームを保って場所を別に変えるなら反対しないだろうし、再臨のイーサーを見るとすれば、賛成することも充分有り得る。

エルサレムの街並みを整理して、谷を埋めオリーヴ山を削ればできなくはないのだが、指示通りに祭司、レヴィ族、YHWHシェマーの土地を取分けようとすると、現在の岩のドームの位置に造らないことが神意ということになる。しかし、問題はゼカリヤの預言とぶつかるところがあり、これは皆目見当も付かない。<これは見えてきた2021>

そのうえ、建設の最大の障碍はイスラムの聖地となっているところにある。加えて、指示では「王たちの死体から遠ざけよ」とあり、そうなると、エホヤキムのようにどこに埋まっているか分からない王も居て、ますますエルサレムには建てることができなくなる。

建物そのものは建設するのに難しいほどには見えない。分からないサイズは祭司の食堂くらいで、あとは面の表面の柄や、細かい意匠や装飾類であるけれども、エゼキエルに会った天使は建てるように言っている。現状でさえデザイン感覚に優れるユダヤ人は相当に美麗なものを建てることができるに違いない。或いは、アラベスクや十字架さえモチーフにするかも知れない。それから「折り戸」など幾らかの言葉の正確な意味が不明なところが若干残る。

ただ、ユダヤイスラムが三一を認めるか否かは難しい。再び発音されるYHWHアッラーをどう帰一させるだろうか。この点でアッラーは必ずしも固有名と見ない道理もあるらしい。(元来アラブ土着信仰の主神であったとのこと)

聖霊さま」には悪魔がそのままスライドできる余地がある。<おそらく三宗教共に神名を避けるのではないか>

ゼルバベルがアリヤーの35年前に啓示されたこの設計に従おうとしなかった理由などは聖書には不明。もっともシオンやモリヤには作れないし、広大な地域の線引きが要るし、帰還事業は細々としたもので、当時には様々な無理があった。例え知っていても建設は難しい。特に死海への流れ塩分を薄める水流は現状でも不可能。

ヨセフスはエゼキエルが二巻の預言を残したとしたが、その第二巻とは啓示が14年も隔たった今日の40章以降ではないだろうか?ぜルバベルもエシュアもエズラもこの神殿に言及しない理由がそこにあったのかもしれない。

骨の谷やゴグの幻に辺りから預言書というよりダニエルのような黙示の書になっている。第二神殿を語りながらあらぬ方向に進むゼカリヤの預言書にも通じるところがある。

エゼキエルの設計の外周と部族の割り当て地を考えると、やはり神殿はヘブロンの東の高地で、エン・ゲディに近い荒野に作られる可能性が非常に高い。そこなら住居を退かすことなく、整地すれば1.5kmの正方形の土地を境内にするにおそらく問題なく、俄かの祭司団を作って1万キュビトの中に棲むことができ、そこは「新エルサレム」と呼ばれる誘惑は相当に強いだろう。(だが黙示録はそれを否定する天文学的数値を書いている)

問題といえばパレスチナ人との関わりだが、岩のドームとイーサーの出現を条件とすれば同意は考えられないことではない。

しかし、大祭司を誰にするかという問題が起る、ザトクの嫡流を証明できる証拠が存在しなくなっているから。だが、エゼキエルは自らがザドク系であり、40章以降でザドク系に拘る文言を4回預言している。

そこで、反キリストであれば、自分を王なる祭司としてしゃしゃり出る危険性が高い。なぜなら、系図が失われているからこそ、偽ザドクが可能ともいえるからである。しかも、ナザレのイエスは母方がザドクの流れを引いてはいても、パウロはイエスがユダ族であったことを強調している。問題はユダヤ教徒が非イスラエルの偽メシアをどこまで容認するか、あるいは偽メシアはイスラエル系かその混血なのだろうか?

『長』とい官職は王でもなければ大祭司でもなく、ダヴィド王朝より多くの領分を得、さらに祭儀に関わっているが、ゼカリヤの『新芽』とされ金銀の冠を得るのではないか?

もしゼカリヤ6:13をキリスト教側のように解釈するのであれば、メシアと大祭司の二人組ということもあり得るのかも知れない。

それとも、復活し再来するメシアなのであるから、初臨の血を引いていると強弁しても納得してしまうのか。

脱落聖徒らを含めて、雲の内にあってはすてられているので、地で誉めそやされること以外にもはや活路がない。本気で信じていようといまいと、その道を突っ走る以外にない。

レヴィ人がアモリ人のような扱いを受けているが、そうなるといったい誰が祭司として働くのか?→マゴグではないのか、彼らにも奇跡の霊力が働くのであれば、ゴグが大祭司となる整合性がある。その以前に今日のユダヤ人は誰がレヴィかを系図で指摘できなくなっている。コーヘン姓がレヴィだと言うが、他の姓でも自分はレヴィ系だと言う人々は少なくない。だが、エゼキエルの言葉によれば、それはまったく誇りに価しないことになる。エゼキエルの言う「ザドク」を別の意味にとるのだろうか?また終末でのネティニムのようにされる偶像崇拝を助長した祭司という者らの実体は何か?

実際にマゴグは縦25000、横10000キュビトの土地を占有することになるのかも知れない。もし、そうなればユダヤ人はその西側から住むのだろう。だが、エゼキエルの土地分割にパレスチナ人はどうするだろうか。

それから「ハ ナシー」がメシアより格下の扱いを受けており、尊大な偽メシアはその位を自分に適用しないだろう。だれか別の者を『長』に任じるのではないか。

この神殿が反キリストのためのものと多くの人々が言うのは、証拠が多くて、まず間違いない。だが、その意見は多くても拮抗する程度に抑えられなくてはいけない。そうでないなら誰も建てようとしないからである。それだから、この意見は激しく反対される必要もあることになる。その反対者の方が多くなるのであろう。

ユダヤ教のオーソドックスが神殿再建を認めるには、メシアの身許を確認できなくてはならない。そうなるとベツレヘム・エフラタ出身の件をどうするか。

それでも、やはり、これは実際に建てられ、終末に荒らす憎むべきものの座を提供しなければならない。背教の総仕上げ、サタン最後の栄光の時を迎える。

しかし悪の勢力までをも動かすとは、なんという神の言葉の恐ろしさ。

新神殿の位置を『新しいエルサレム』やら『ベラカ』やらに命名しようとする誘惑があるだろう。『ベラカ』も『ツィツ』も位置は不明のままで、エン・ゲディからそう遠くないことは分かっている。但し、さすがに『新しいエルサレム』には無理を承知で名付けるほかない。

 

無千年信奉者からすれば、キリストの犠牲を最後のものとする以上に付け加えるものはないと主張する。

しかし、彼らはイスラエルの最終的な回復の預言を文字通りに受け取りながら、エゼキエル神殿と犠牲の預言を寓話化することを余儀なくされ、そこに矛盾がある。

千年信奉者は、乾いた骨の光景が象徴的であるのなら、神殿と犠牲の光景も象徴的でなければならないと主張する

 

ディスペンセーション派では千年神殿として捉えるが、やはりキリストの犠牲と動物の犠牲との間の矛盾から、神殿そのものを象徴のものとしている。

メシアニックジューは ⇒ 「エゼキエルの後半註解