Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

「罪」に関する思考実験

命題1

アダムがエヴァの差し出す実を食べなかったら人類はどうなっていたか?

 

エヴァが存続を続けてアダムの子を産んだ場合、やはり人類に罪が広まる。

 

エヴァが退けられ、アダムに新しい妻が与えられた場合、その妻が試みにどう対処するかによって事情は異なる。もしエヴァと同じ結果となった場合、アダムの配偶者は次々に入れ替わることになり兼ねない。ゆえに、神がエヴァに代替する別の妻を与えることは無限ループに陥る危険もあり、その実際性や倫理性を考えるとまず無いといえる。

 

また、神が比喩的にも『悪しき者らを悪しき事のために創造された』のであれば、罪を犯したエヴァをそのまま存続させる深慮遠謀がないとも言えない。

 

ただし、夫婦で試みを通過できても、子らの各人に試みが臨む。その場合には、人類は永生を持つ者と持たずに寿命を迎える者らがまだらに混じることになる。しかし、この状態は寿命を迎える者を観察する子孫が、その結末のゆえに強制されて倫理的に振舞おうとして、却って各人の内面が裁けなくなる。やはり裁きは隠されるところがなくてはならない。ここに神がアダムとエヴァを監視しなかった理由もある。これはまた、終末にキリストが視認できない状態で臨在するというのも、この点から明らかになる。

 

また、この場合でもアダムは贖い代を提出できない。なぜなら、人類全体がよって立つ祖先を失うことになり、血統という命脈を失うことになって大矛盾が生じてしまう。また各人の命は各人の倫理性によるのであるから、やはり人間の血統の外部から贖い主が現れ、人間の命を放棄する必要がある。

 

神はホクマーをキリストとして遣わしたことは、上記の理由から極めて適切であり、且つ、ホクマーが『被造物の初子』であることから、神と被造物の倫理の関係性を証明するためには他に代替が利かない、唯一の要の存在者である。

ゆえに、エフェソスやフィリッポイの句で、神が天と地のすべての者を御子の下に集めるという計画は、ホクマー以外に適任者があり得ないことになる。

したがって、アブラハムがイサクを供えたように、神は初子を人類のために犠牲とすることはまったく理に適った、というより唯一の方途であったことになる。

 

このように考えると、三位一体説はまったく成り立ちようがないという副産物も得る。

 

(「まだらに混じった状態」の場合については、ここで十分に考慮していないが、裁きの観点からすると、各人の倫理的判断がほとんど不可能になる。神はその状況を許さないのではないだろうか)

 

 

 

命題2

創造の意図に反した人間を神はなぜ直ちに処置しなかったか?

 

まず子孫を地に満たすという目的があった。

第二に命題1の無限ループの問題がある。

 

それから永遠の命に相応しいか否かを判別するために誘惑者を要している点がある。

アダムの子孫の一人一人に都度誘惑をサタンが仕掛けるか否か、それによって最終的結論が各人にもたらされるかは微妙なところがある。

加えて、『この世』という集団的環境の可否がある。これは「サタンの側」という倫理上のひとつのグループ、また世界を成している。

地に増え広がったアダムの子孫は、個々に時間差を置いて裁かれることにはかなりの不都合が考えられる。即ち、永遠に生きる者と寿命尽きる者の差が顕在してしまえば、そこに誘因が働いて内心が裁けなくなる。

そこで、例え神の前に義を得て『神の子』の立場に立つ者らが現れても、『罪』のままに寿命尽きる者との生命上の具体的差を顕在させるわけにはゆかないことになる。

現に、新約での聖徒らに与えられた『義』は仮のものであり、なお永遠の命に至るて手前に在った。

また、聖徒の概念を離れてみる「この世」という集団の中での個々の人についても、真にその人の内奥を裁くことに於いて、終末の千年期を挟んだ後での裁きは、全体が揃った状態での有効な方法と言える。

従って、誘因を与えずにすべての人の倫理性を見極めるには、一度に裁く必要があると言える。

では千年期の役割は何かとなれば、生ける者の贖罪という点が残る。

即ち、生きたままで『死の酬い』を受けていないにも関わらず、贖罪されてアダムの倫理状態に死者と共に到達する必要を満たすための期間であり、同時に諸世紀から復活する人々への証しとなる働きも考えられる。

総じて、アダムの代で処置を執行してしまうことには無限ループの問題があり、次いで地に人を満たすという目的の未達成のため、それは行われず、アダムとエヴァを地に放つ方法が採られ、今日まで十分な人類が生み出されてきた。

人類史がどれくらいの人数を生み出したかは多過ぎるくらいの上、凡その数ですら謎である。

しかし、神は当時生まれていない人物の到来を何度か予告しており、登場すべき『魂』の総数を把握している可能性がある。

そこに十二人中の一人というユダ・イスカリオテを予告していたように、人類総数に対する数値的予測を立てることは創造者として不倫理性はない。

従って、神は創造の目的に適う人数を確保するために、悪の現状をそのままに保存されてきたと言える。言い換えれば、すべての『魂』を存在させるために、この世とその悪は延長されてきたということになる。

 

□結論として

神が永く悪を容認してきた理由は

アダムとエヴァについては「倫理的無限ループ」

その子孫については「裁きの有効」そして「すべての魂の創造」にあると言える。

 

 

 

 

 

 

 

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