Notae ad Quartodecimani

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「上なるエルサレム」考

「上なるエルサレム」Ga4:26

[ἡ δὲ ἄνω Ἰερουσαλὴμ ἐλευθέρα ἐστίν, ἥτις ἐστὶν μήτηρ ἡμῶν·]

 

用例

Co3:1-2[Εἰ οὖν συνηγέρθητε τῷ Χριστῷ, τὰ ἄνω ζητεῖτε, οὗ ὁ Χριστός ἐστιν ἐν δεξιᾷ τοῦ θεοῦ καθήμενος· 2 τὰ ἄνω φρονεῖτε, μὴ τὰ ἐπὶ τῆς γῆς.]「上にあるものを求める」「上にあるものに思いを留める」

 

Heb12:15[ἐπισκοποῦντες μή τις ὑστερῶν ἀπὸ τῆς χάριτος τοῦ θεοῦ, μή τις ῥίζα πικρίας ἄνω φύουσα ἐνοχλῇ καὶ δι’ αὐτῆς μιανθῶσιν πολλοί,]「(苦みが)上に生え出る」(Due29:17のLXX引用)[μή τίς ἐστιν ἐν ὑμῖν ῥίζα ἄνω φύουσα ἐν χολῇ καὶ πικρίᾳ;]「(またあなたがたは木や石や銀や金で造った憎むべき物と偶像とが)彼らのうちにあるのを見た。」「彼らの上に生え出る(直)」

 

Act2:19 [καὶ δώσω τέρατα ἐν τῷ οὐρανῷ ἄνω

καὶ σημεῖα ἐπὶ τῆς γῆς κάτω,
αἷμα καὶ πῦρ καὶ ἀτμίδα καπνοῦ.]

上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを」

 

留意点;筆者はハガルとサラの対照で、律法締結の「シナイ山」については述べるが、『新しい契約』について「エルサレム」とは言っても「シオン山」に言及していない。

彼が訴えたかったのは、地上のエルサレムに勝る別のエルサレムが有るということであることは明らかなので、このガラテア4章には、省略があると捉えるなら、契約締結の二つの山については語られなかったが、そこに暗示されていると言える。背景としてはガラテア書の宛先の人々がユダヤ教化の危機に面しているほど旧約聖書に通じていることがある。

加えて、後にパウロヘブライ書で、シナイ山とシオン山の対照を記していることからすれば、ガラテア書での暗示的省略も蓋然性があることになる。

したがって、『上なるエルサレム』という語には、「シオン山上の」との解釈が可能であり、律法契約が「シナイ山麓」で締結され、モーセ一人が山に登って十戒を受けているところにもそう言える論拠がある。山は違えども山頂と山麓の違いがあり、この観点から『上なるエルサレム』を捉える可能性もあることになる。

・・だが、もうひとつ決定打がない。

 

そこで『天のエルサレム』との兼ね合い

Heb12:22 [ἀλλὰ προσεληλύθατε Σιὼν ὄρει καὶ πόλει θεοῦ ζῶντος, Ἰερουσαλὴμ ἐπουρανίῳ, καὶ μυριάσιν ἀγγέλων, πανηγύρει]

翻訳によっては[ἄνω Ἰερουσαλὴμ]のどちらも「天のエルサレム」とする翻訳もあるが、原語では別物(エポーラニオー)になって明らかに「天」のもの。

これは聖徒の集合した王国の実現を指しているので、天のもの以外にない。

しかし、ガラテアでの聖徒らの母となると、必ずしも天のものということにならず、そこで『上の』とされたとも言える。

 

ガラテアの『上なるエルサレム』を天のものとしてしまうと、聖徒理解のない場合に混乱は大きい。または、聖徒らの母が「天使の集まりである」とするとイザヤやミカなどの預言との整合性を欠き、聖書全体からの視界を失うことになる。

 

Ps48:2 [יַרְכְּתֵ֣י צָפֹ֑ון]

Ezk38:2 [מִיַּרְכְּתֵ֣י צָפֹ֑ון]

 

 

 ・ハモナー 

 Ez39:16 הֲמֹונָ֖ה

39:15「ゴグの群衆の谷」 אֶל־גֵּ֖יא הֲמֹ֥ון גֹּֽוג 

モナーが二回あり、ハモナーそのものが「(組織された)集まり」また「群衆」の意あり。

「ゴグの群衆」の群衆がハモンであり、ハモナーで女性形。また「数えられた」の意あり。

「海の東」は死海を指すとのこと、「海の道」を意味しない。

敷衍して、「ゴグに蝟集した者たちの組織された群衆」。

16節では都市の名としてハモナー(f)であり、この都市が突然現れるかのように訳されているが、新共同訳は「そこで、ハモナ(軍勢)という名の町ができる」としている。ヘブライ語の簡略さがその由来の詳細を明らかにさせない。

ここでの『街』というのは、ニムロデの都市国家を含意していると捉えると、その墓としての象徴的意味に解せる。⇒『ゴグとマゴグに惑わされた民は地に広がり、聖なる者たちの宿営と愛される都市を囲む』Rev20:8-9

『その日、わたしはイスラエルのうちに、墓地をゴグに与える』の『墓地』はシェオルでなくケベル[ קֶ֜בֶר]になっている。通常の墓の意ではなく「埋葬地」となるけれども、「死体置き場」に近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

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