Notae ad Quartodecimani

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ダニエル12:4 新世界訳の無理

 

וְאַתָּ֣ה דָֽנִיֵּ֗אל סְתֹ֧ם הַדְּבָרִ֛ים וַחֲתֹ֥ם הַסֵּ֖פֶר עַד־עֵ֣ת קֵ֑ץ יְשֹׁטְט֥וּ רַבִּ֖ים וְתִרְבֶּ֥ה הַדָּֽעַת׃

そしてダニエルよ 汝はこれらの言葉を留め[סְתֹ֧ם]置け そして封印[וַחֲתֹ֥ם]せよ この巻物を 終りの時代まで [彼らは]逸れて行き[יְשֹׁטְט֥וּ] 多くのものら[それぞれ]が そして増えるだろう 知識というものが[定冠詞]。

[יְשֹׁטְט֥וּ]=swerve 「逸れる、歪む」

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ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。【口語】

 

ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」【新共同】

 

ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」【新改訳】

 

"But you, Daniel, shut up the words, and seal the book until the time of the end; many shall run to and fro, and knowledge shall increase."【NKJV】

[run to and fro] 

But thou, O Daniel, shut up the words, and seal the book, [even] to the time of the end: many shall run to and fro, and knowledge shall be increased.【KJV】

 

KJVを範とする文語訳では

ダニエルよ終末の時まで此言を秘し此書を封じおけ衆多の者跋渉らん而して知識増すべしと

 

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καὶ σύ, Δανιηλ, κάλυψον τὰ προστάγματα καὶ σφράγισαι τὸ βιβλίον ἕως καιροῦ συντελείας, ἕως ἂν ἀπομανῶσιν οἱ πολλοὶ καὶ πλησθῇ ἡ γῆ ἀδικίας.—  【LXX】

 

多くの者らが放っておかれて、不正の知恵が満たされるに至る

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このLXXの翻訳がヘブライ語本文の意味を補足しており、それによればこの句の後半に良い意味はなく、新共同訳のように「動揺する」と訳す理由は存在している

従ってこの句では、ダニエルによって少なくともその書かれた内容の本意は記録されず明かされず、その結果としてダニエルの記した巻物の内容の探求を試みる多くの者らがいるにしても解明されることはない。

「知識が満たされる」と訳されても、それは理解されて本意に関する知識が増えるとは言わず、むしろ、「逸れた解釈」が多く出て来ることを述べている。実際、ダニエル書にある『荒らす憎むべきもの』が何であるのか一つでも、多様な見解が続出していて、定説というものはなく、それぞれの宗派の解釈が様々に述べられているばかりではないか。まさしく『雑多な知識が横溢』しており、知ろうとする者はそこから切実な意味を読み取るわけでもない。福音書が『読む者は悟れ』と注意書きしているのだが、だからと言って好奇心を満たす程度の解釈で終わっていて、終末の恐るべきそのものについては薄っすらと危険が説かれるだけで終わっている。

やはり『雑多な解釈が横溢する』とするなら、この句の意味は鮮明と思える。

その原因はダニエルがその言葉を封じたからであり、それは「終わりの時期」まで開示されない。そこには人類社会の裁きが関わっているのであるなら、その実体を誰にでも教えるわけにもゆくまい。『耳のある者は聴け』と言われたキリストの姿勢は、初臨にも再臨にも同様の意義を持つのであろう。

 

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tu autem Danihel clude sermones et signa librum usque ad tempus statutum pertransibunt plurimi et multiplex erit scientia. 【Sacra Vulgata】

[statutum pertransibunt plurimi ] 「ほとんどのものは通り過ぎ」

[multiplex erit scientia] 「知識は複雑になる」

 

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こうして比較してみると、「多くのものが行き巡って知識が増す」と肯定的に捉えるのはKJVの訳を読んでそのままに解釈した視野の狭いものであり、一般的英語聖書に判断材料が限られていた19世紀の世俗環境からのものであることが判る。翻訳聖書というもので判断できない事が要所要所に存在しており、重い意味を持つ箇所は原語や他の翻訳と照合しないで解釈すると理解の土台も覆され兼ねない。

この句一つでも、上述のように日本語訳ではKJVの影響の濃い文語訳以外はこの解釈を退けている。それでも欽定訳がその解釈の意味を持っているか確たるところはつかめない。

だが「ものみの塔」の新世界訳が

Many will rove about and the [true] knowledge will become abundant.

大胆にも(真実の)との挿入により原語本文とLXXから逸れた解釈を披露している。この教派では、終わりの日に秘儀が解かれることの預言であるとしているので、更に付け足して『多くのもの』とは探し求める人間ではなく、知識であると教えている。即ち、今終末が到来していて自分たちがその真実の解釈を得たと言うのであり、このダニエルの句がそれを予告していたと言う。だが、原語で『逸れて行く』のが『多くのもの』である以上、これはどうにも成り立たない。

これは無理に無理を重ねることで、自説の正当化のためにこの句を利用しようという下心が恥かしほど隠せない。だが、詳しくは調べない一般の人々を納得させてしまうだろう。そのため「言った者勝ち」となっている。

ダニエルに語られた言葉の理解が封じられたのであれば、人が預言の文章を読み込んで理解が得られてなお(並立的に)増えるというのは矛盾があり、却ってどれが真意であるのか迷うことになろう。また人間の理解力に期待する点で楽観的に過ぎる。賢者ダニエルも言う通り、解き明かしは『能力ではなく神による』2:30

こう言ってダニエルはネブカドネッツアルに神に問う時間を所望している。聖霊を待たない『罪ある人間』に何ができようか。精々が聖句同士の整合性の追求であり、一つの聖句を意図的に捻じ曲げるなら、他の句との連携も自ら難しくしてしまう。

 

なお、その「逸れた理解」は、後に現れる『北の王』また、『契約から離れ落ちる者ら』『違背』の手先によって利用される危険を孕んでいるとも考えられる。

そうでなければ、終末の状況への情報が露わになってしまい、偽キリストが暴かれてしまうことになり兼ねず、特にダニエル書に貴重な『汝の民』の正体、またそのなり行きが明白となれば、人類への裁きに障碍となってしまう。

これらの言葉に関する知恵は、聖なる民に知らされる必要はあるが、それに敵対する者、無関係な者らには知らせるべきものではない。

その理解を与えるべき者の峻別を、理解そのものを封印することで神は真意の保存を担保している。そして実際に多様な見解が現れ、人々を煙に巻いている現実がある。この趨勢はやがて究極の偶像崇拝に利用される危険があるとしても、それも神意なのであろう。聖句の誤解によって人の内奥を見極め、また本人も敢えてその誤解を選び取ることで、自らをも裁くことになると言える。

 

後半を試訳すると

『多くの者らが惑い往来し、雑多な知識が横溢する』。

世にあるダニエル書の多様な解釈を俯瞰するに、現実もこうではないだろうか。

19世紀であれば、ミラー派のように巨像と四つの獣の意味が解けたところで舞い上がったのかも知れないが、それもダニエル書の巧妙な不整合で、すぐに行き止まりの壁にぶつかることになる。原因のひとつは聖徒の苦難と滅びの理解を拒むからである。

「クリスチャン」は救われるという前提条件に問題があるのだが、西洋人とはどうしてそこまで自分に甘くなれるのか?よく読めば、人間みな裁きを前にした罪人であることは聖書に明白であるのに、聖霊注がれる聖徒の祝福を自分のものだと思い込んでいる。

聖霊が無いのであれば、逸れる危険を常に警戒すべきではないだろうか。

 

19世紀のダニエル書解明図

数字に夢中になっている内に、肝心な事が置き去りにされていたようだ。

それが「神の裁き」という要素であり、裁く立場がこれから裁く罪人になんでもかんでも話して裁きの抜け穴など教えはしない。計算の帳尻合わせではなく、問われるのはメシアの初臨がそうであったように、その人の内面ではないか。「何時になったら自分は救われる」という発想そのものに疑念はなかったか?結果としてオカルトに接近し、1843年と翌年の「大失望」を刈り取ってしまったように見えるが、それを1914年に延長したら世界大戦が始まった・・

 

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LF