Isa66:21
[וְגַם־מֵהֶ֥ם אֶקַּ֛ח לַכֹּהֲנִ֥ים לַלְוִיִּ֖ם אָמַ֥ר יְהוָֽה׃]
And I will also take of them for priests and for Levites, saith the LORD. KJV
"And I will also take some of them for priests and Levites," says the Lord. NKJV
口語
「わたしはまた彼らの中から人を選んで祭司とし、レビびととする」と主は言われる。
新共同
わたしは彼らのうちからも祭司とレビ人を立てる、と主は言われる。
新改訳3
わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする」と【主】は仰せられる。
BHSとLXXもほとんど同じ意味なので、この前の文脈から判断するのみ
そrでも「与えられた者」(ネトゥニム)を表すと捉えるとコンテクストと合致する。
その点で口語訳は深い意味を捉えている。
この捉え方でゆくと
それらの者らが祭司やレヴィそのものとされるとは言われていない。
しかし、献じられた『兄弟たち』とは異なる諸国に散らされた者たち
が誰なのか?
ここの理解は非常にむずかしい。
自身もイスラエルなのか、それであれば、使徒時代には合致する。
逃げ延びた人々の全員が生徒であれば・・そうではないかも知れない。
それが散らされた後となると終末とは異なっている。
ユダヤ教の立場からすると、本来はレヴィ族の血統にない者をレヴィ人として、まして祭司としての役職に就けることは律法に反する。熱心な正統派であれば、これは到底認められないであろう。
但し、現在では系図が失われたためその立場を証しできる者がおらず、せめて、代々の言伝えや、姓くらいで、祭司団もレヴィ族も律法に則って再構成するのは難しい。
そこで異邦人に崇拝の中枢への関与は、ネットゥニムが順当ではある。
敷衍すると、新しいエルサレムの崇拝について地の領域で関わるものを選び取ることを神が表明されているという解釈も可能と思われる。
ここには、終末での誤解を誘う意図があるかも知れない。