Notae ad Quartodecimani

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ヒュペークオー

 

[ὑπηκούω] 服従、従う 

[Καὶ ὁ λόγος τοῦ θεοῦ ηὔξανεν καὶ ἐπληθύνετο ὁ ἀριθμὸς τῶν μαθητῶν ἐν Ἰερουσαλὴμ σφόδρα, πολύς τε ὄχλος τῶν ἱερέων ὑπήκουον τῇ πίστει.]

 

【NKJV】
Act 6:7 Then the word of God spread, and the number of the disciples multiplied greatly in Jerusalem, and a great many of the priests were obedient to the faith.

 

Act 6:7 こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。  【口語訳】


Act 6:7 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。【新共同訳】 

 

レヴィのそれもサドカイ派が占める祭司団が信仰を同じくしてナザレ派の集団に入るというのは、当時の状況からするとほぼ有り得ない。神殿祭司らがナザレ派となった例が聖書中に見当たらず、ナザレ派はガリラヤ人とディアスポラが多く、イエスの一件からはじめ、例え使徒らへの信仰を懐いたにしても、一般市民でさえ好意を懐いても公に弟子としての行動が憚られたのであればAct5:12-13、イエスから継承した癒しの奇跡のゆえに個人的に好意を持つことはあったとされるが、この以前の記述からすると、ナザレ派は毎日神殿を訪れ、神殿祭祀を重んじている姿を見せているので、現場の祭司たちから好意的に見られたことを言うのであろう。そこでこの[πολύς τε ὄχλος τῶν ἱερέων ὑπήκουον τῇ πίστει.] は「多くの祭司の者たちがこの信仰に従った」との直訳からして「その信仰に温順になった」とするところが相当と思われる。彼らナザレ派の主敵はサンヘドリンの祭司長派とタナイームとそれに追随するパリシームあり、大祭司も含むが、日毎に中庭に立って犠牲を捧げたのは下位の祭司ら(サドカイ派)やネティニムであったことは間違いない。

そう訳しているのが【新世界旧訳】で"great crowd of priests began to be obedient to faith."としている。(beginに相当する原語はないが)「非常に大勢の祭司たちがこの信仰に対して従順な態度を取るようになった」【日本語旧版】

 

但し、本来の[ὑπηκούω] は奴隷の服従を指すRm6:16/Tit2:9。また、完全に支配下に置かれた者が示すべき態度Lk17:17-20 預言者にその霊が従うこと1Cor14:32 などがある

一方では、信徒が示すべき態度としてはほとんど実例がない。

「肉の思うところは神の律法に服従し得ない」というくらいRm8:7

 

やはり新約に於いて、またキリスト教に於いては「服従」は基本的精神とは言えない。それは『キリストの掟』に従うべき『聖なる者』についても、新約聖書はその根拠を提出しているとは言い難い。

 

「クリスチャン」に「服従好き」が多いのは、生き方に於いて、それが簡単であり、指導した者に行動の責を求められる安易さがウケるからではないだろうか。この姿勢でいると多少強引な者に従う傾向があり、新興宗教の教祖には十分にその素質が見られる。

だが、キリスト教徒での没人格的な服従ユダヤ教に出戻る愚行というほかない。いや、そう言ってはユダヤ教に失礼なほどで、意図せずパリサイ派の轍を踏むだけであり、その規準が十戒を始め律法を簡単にしたものに置き換えているだけのことで、その不自由さの中では無理をしている分ほど「良い子に褒美」の自己義認の誘惑が強く、アガペーが育成される環境とは言い難い。それは奴隷と自由人ほどの差がある。まさしくパウロがガラテア書簡で言った通りである。

 

 

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