Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

メモ

1.塵の中に眠る聖徒の裁きは確定している。 裁かれるべきは、生ける聖徒たちであり、人類の裁きの進む過程で共に精錬されるようだ。眠る聖徒は復活そのものが裁きとなるので、霊と出るか、肉と出るかの違いが生じるだろう。 肉に出た場合、反王国の群集の一…

キリスト教における曖昧な正当と倫理

倫理上完全でない人間が倫理的正当を称え得るか?政治党派にせよ、宗教教派にせよそれは現実に存在するか?殊に、宗教において信仰者は自派の正当を信じ込んでいる。 それは相対的なものでさえない。自分たちが間違いを犯さないわけではないが、自派は正当で…

信者も悪魔への反証を提出しうるか

キリストの犠牲は多くの面をもっている。贖罪としての犠牲の奉献だけでなく、神の善性を疑わなかったアブラハムへの神の友情に従う子としての思い、神を神をするべき理由という全創造界にこれ以上なく重大に関わる証拠の提出もある。この最後の証拠の提出に…

キリスト教の独善性に関する断章2

他の宗派を批判して自派を高めるは明らかに相対善である。にも関わらず、自派を唯一正統と称するなら、そこで既に偽りを行っていないか?誰もが間違いを免れないにも関わらず、これをごまかす手段は教理であって、間違った数式のようにとんでもない解に人を…

キリスト教の独善性に関する断章1

キリスト教の独善性 『実によって見分ける』(イエス) 『理証、文証も現証には過ぎず』(日蓮) 「正しい崇拝」と呼ばれた新教についてエラスムスは激しい批判を寄せている。自分たちの教理の正当を主張しながら、その行う粗暴の倫理性は旧教時よりよほど低…