Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

信者も悪魔への反証を提出しうるか


キリストの犠牲は多くの面をもっている。

贖罪としての犠牲の奉献だけでなく、神の善性を疑わなかったアブラハムへの神の友情に従う子としての思い、神を神をするべき理由という全創造界にこれ以上なく重大に関わる証拠の提出もある。

この最後の証拠の提出については、キリストの第二位性に大きな根拠があり、これは第三位以下のあらゆる存在を凌駕するほどの意味合いが込められている。このため悪魔側からの反論は既に不能である。
⇒ キリスト教の究極目的


まず、この意味からだけしても、とても人間の忠節が成し遂げる事柄は微々たるものである。いや、自分の忠節の価値を悪魔に対してであれ誇るなら、キリストの忠節を人と同等のレベルに低めることになり、その偉大な行為に含まれる意義の大きさを認識しないに等しい。


--以下、訂正の要あり--12'1'31---------------------------

キリスト・イエスによって一度行われた忠節な死は、すべての人が義とされる根拠とされたので聖徒であってもなくても、自分の義を提出してみせる必要はなくなった。個人は法廷における義の審査の対象ではなく、キリストの犠牲の益に与ろうとするものとしての感謝のゆえに言動の相応しさを保つ務めを負うのみである。
一般信者が神への忠実を保って悪魔への反証を提出するという考えは、キリストの義の行いに人類の贖罪がまったく依拠することを否定してしまう


一人一人が小キリストのように反証を提出するというそれは、キリストという礎に組み上げられるべき聖徒ですら避けるものではないか。

それは明らかに、「裁き」に関連して自己の業による義を主張することになり、一途にキリストの義に委ねる立場からは逸脱せざるを得まい。--ここまで訂正すべし-----------------------------

どうして、このような重荷と業の誇りを信徒に負わせようなどと思ったのだろう。

その以前に、この教導者は信ずる者の側の「忠節」ということをそこまで拡大解釈し、自らこのように誇っていたのであろう。幾分かパリサイ的な自己陶酔があったのではないだろうか。


こうした教導者が正統を称え、独善の道を人々に教えるとは!
反対はしないが、虚しさに嘆息を禁じえない。


以上、書き直しの要あり



キリストの犠牲の死によって神の神性は一度限り立証された。
以後、サタンはこの件について反証不能となっている。
聖なる者らは「新しい契約」によってその立証に連なる「仮」の立場を得る。但し、その生涯に亘る忠節が契約によって求められている。
その聖徒の全体像が現れるとき、そこで「女の裔」の権威が確立し、サタンと悪霊の天での権威が失墜し、キリストの権威の衝突と天からの放逐が起こる。(キリストの王権拝受はその時点では依然ない)




関連⇒「ヨブ記の主要論点」
    「ヨブ記の結論」

キリストの王権領受の時について⇒http://d.hatena.ne.jp/Quartodecimani/20130427/1367036243
黙示録の四騎士http://blog.livedoor.jp/quartodecimani/archives/51916368.html



よく分からないのは
聖徒の全体はいつ現れるのか
三年半の公生涯の後にペンテコステを迎えたが
一週の間契約を固く結ぶの残り三年半はどう用いられるのか?
初めの三年半の後に契約が始まり、後の三年半の後に契約が終わるのか?
それで一週の間契約を固く結ぶと言えるのか?
しかし、聖徒の全体が現れたときに王国の権威が実現するとしても、三年半はまだ終わっていないのだが
ルカ10からすれば、聖徒の現れそのものがサタンの権威を損なう。『女の裔』が揃うからだろうか?
一週が終わるとき、そこで聖徒の裁きが確定する。また、王国の準備が整い花嫁は支度をする。
すべての聖徒が現れるときに、つまり二つの三年半の中央でキリストが再臨し、サタンの権威が失墜する。しかし、個々の聖徒については誘惑により堕落し得るという事か
契約を固く結ぶとは、キリストの初臨と再臨とのプレゼンスの全体を指すのであって、試みの時がどうこうという事ではないのだろうか? というのも、試みは初臨が終わった後であったと言えるし、試みを通過した者と契約を結んだわけではない。契約した者が試みを受けた。
初臨の間に信仰が試され、その後に契約する者が選ばれている。
再臨はどうか?
再臨の直後に契約が始まり聖霊が注がれるのかどうかは分からない。
しかし、三年半は試みの時期であることが示されている。
ということは、再臨では信仰の試しの三年半は存在しないのだろうか?
もし、再臨が同じ構造を持つものなら、初臨の後の試練の期間は余りに長い(150年)
しかも、聖徒の現れは長い期間にゆっくりと進んだ。
再臨では、一度期に現れるとすれば、その根拠は何か?
また、なぜ初臨とは異なるのか?
確かに150年もの長さを持つなら、世代が過ぎ去ってしまい、世の裁きにはならない。
音信は漫然としたものになり、焦眉の問題ではなくなってしまう。
なんらかの、その時でなければならない重い理由が要る。(それは魂の出揃いではないのか)
そこで再臨の構造が決まってくるとは言える、それは初臨と同じようなわけにゆかなくなる。時間の事情が全く異なるから
ということは、一週の間に契約を固く結ぶとは、その七年の間に等質に広がるのではなく、むしろ、「契約を保つ」という方が適切かもしれない。なぜなら、再臨の三年半の後に契約は終わりを迎えることが明らかだからで、ここの原文には非常な注意が要ることになる。つまりは「固く結ぶ」ではなく、「固く保つ」とするなら、一週のどこで締結されようと問題はなくなる。その契約により、聖徒は聖なる立場を全うでき、その役割を果たすことができる。再臨については問題は残らず、たしかに契約は終末まで保たれている。
残る問題は、契約の締結と聖徒の現れが初臨の後であったことだが、それは到底三年半とは言えないし、その期間外であったことになる。勿論、一週がひと続きであったとしてもこれは説明がつかない。








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