Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

雑記録23-7

 

・イエスがパリサイ人の招待により宴席を共にする場面

LK7、11、14

 

・単数

Mt24:45 忠実にして聡い奴隷

Lk12:42 忠実で賢い家令

2Th2:3 不法の人・滅びの子

Mt24:15 荒憎者

 Βδελυγμα

 

 

・タンナー期でのカハルからの追放

ニッドーイ:参加は継続可、三十日間の制限

 汚れた者としての扱いのように家族以外は4キュビト離れる義務を負う

ヘーレム:「禁令」の意で、教えることも教わることも禁じられる

 周囲は生活必需物資を取引することだけが許される

 但し、会衆への復帰の機会は残される

シャンマッター:会衆からの完全な除名、復活なく死すべき者とされる

<現代のキリスト教への改宗者の葬式を出す風習に連なるのでは>

<聖徒のエクレシアはこのように制度化されていたという史料には出会っていない。「破門」は後世国教化後で「呪詛」は異端の認定と関係するためか、該当語句に新約聖書中に見ていない。「異端」処置はカトリック教令に法整備として有り、由来は第二世紀初頭までは遡れるはず>

 

・禁欲家=ファリサイ

ソター編3ミシュナー4で、ラビ・ヨシュアは不倫被疑妻に関する部分で、「愚かな信心家、抜け目ない無信仰家、禁欲主義女、禁欲家の自虐、これらは世を滅ぼす」と言っているが、この「禁欲家」の単語は「ファリサイ」となっている。当時からタンナーとファイサイとは必ずしも一体ではなかったようなところがある。

祭司長派とサドカイまた議員は富裕であったが、タンナーのような教学院の教師、その弟子格であるファリサイは決して裕福とは言えなかった情報の一つ

 

 

・ミツパの役割

ギベアの件が起り、その問題に対処するために他の部族がミツパに集まっている。また、後にサムエルはここで全イスラエルの懺悔を訊いた後フェリスティアに勝利を収めている。

またサムエルは全イスラエルをミツパに集め、王制を願う民族の意向を聴いている。

ミツパをはじめとするベニヤミンの領地はイスラエルの定住域の中央に近く、全体の会合に都合が良かった。ミツパははっきりとは同定されていないが、エルサレムから北へ13kmほどのところにあるテル・エン・ナシュペが有力でギベアから7kmほどになる。

この名を持つ都市は他に三つあり。シェフェラとモアブとギレアドにあり最後はエフタの出身地。「ミツパ」そのものには「見張り塔」の意味があり、サムエルとは別に古代にはアンチレバノン山脈の南裾の地域がその名で呼ばれていた時期がある。フーラ盆地から死海、さらにエイラートに至るまでの低地がその南に続いていた地形によるものであろう。

 

 

・人格形成期の無気力

学生である間などのモラトリアムの時期に人格が形成されてゆく。したがって、学生である時期は人の基礎を築き上げる重要性をもっている。

その間に目標を得ず、或いは見失い、アイデンティティが築かれない事態が生じる時、若者は無気力に陥りやすくなる。

<今日の中国での就学後に職が無い事態も同様に「寝そべり」を招いている。この時期に必要なものは目的意識であるといえるのでは?>

 

 

ヤコブの祝福に関するGen48:19

『その子孫は、国々に満ちたものとなる』【岩波委員】

[ וְזַרְעֹ֖ו יִהְיֶ֥ה מְלֹֽא־הגֹּויִֽם ]

この国々[הַגּוֹיִֽם]とは各部族を指しているとみて良さそうである。

ヤコブの最後の祝福は預言に次ぐ預言であるので合理性もある

 

・会堂の役職

ディアスポラでのハッザーン(役人)はユダヤ人の緩やかな自治体(ポリテューマ)の中でのシュナゴーグの会堂長司(ロシュ ハクネセト)が集団の行政官また裁判官としても有給で活動していた。彼らはシュナゴーグでは儀式の司式者であり、タナハを管理し朗読に備え、祈りの代表者を要請する。裁判では鞭打ちの執行を行った記録がある(Cf.s.safrai.po.cit.,p908&933)

アルキ・シュナゴンゲース

Mk5:22では[εἷς τῶν ἀρχισυναγώγων]

Lk8:41では[ἄρχων τῆς συναγωγῆς] 共にヤイロを指す

Act13:15では[οἱ  ἀρχισυνάγωγοι] ピシディアのアンティオケイアでパウロらに講話を求めてきた管理団

Act18:8 [ὁ ἀρχισυνάγωγος] 信者となったクリスポス 

Act18:17 [ἀρχισυνάγωγον] 同じくソステネスについて(1Corの共同差出人)

ソステネスはコリントスでも知られたことを示し、<クネセトの権威を持っていたと思われる。新約の用語にハッザーンが有るかどうかは未確認>

コリントス第一書簡の差出人でもあるソステネスは会堂役人とされているが。彼はパウロ擁護にまわったが彼は長老会議議員としての権威を振るったと思われる。

 

・ポリテューマ 小自治民会

都市毎に長老議会(γεπουσια)があり、ティトゥスはアンティオケイアと同様にアレクサンドレイアでもギリシア系住民からのポリテューマの解体要請に応じなかった。

ポリテューマの方でも七十年以後ユダヤから逃れてくるゼーロータイの検挙に努め民会(エクレシア)を開いては過激派の通知と捕縛を決議している。

これはフィロンの時代から後も続き、トラヤヌスからハドリアヌスに至るまで皇帝に代表を派遣し続けていた。

ポリテューマは、外地でのサンヘドリンに模した形態で、会堂を中心に構成され政教一致制をとる。

 

 

パウロとタルソス

使徒パウロの両親は前四年頃に戦争の影響でガリラヤのグジュ・ハラブからタルソスへ移住した。タルソスは前66年以来ローマの支配下に入って安定していた。(一世紀フリュギアのアクモニアではユダヤ人の有力者が都市の民会に属していた碑文が出ている)

<但し、パウロの生年は不明、フィレモンには自分を年寄としているので、ローマ軟禁のころには60近かったように思われる。とすれば、両親の移住の頃に誕生していたらしい。だが、ステファノス殉教の時に二十歳代とすると、イエスより十歳ほど年下でローマ軟禁の時期には五十代前半というところになり、両親のキリキア移住から十二年ほど後のことになる。エルサレム捕縛は四十代末ころで、市内在住の若者の息子を持つパウロの姉妹は姉であった可能性が高い>

ヘロデ大王晩年の戦役とパウロの親の代までに市民権を得た理由を調査。それからガマリエルⅠ世の活動時期を参照すること

 

 

 

・ヴェスビオスの噴火の以前に当地のユダヤ人がカシュルートに適した食料品をパレスチナに定期的に送っていた記録が出土している。

また、タルシュシュにはユダヤ人のタペストリー業者のギルドがあったらしい。(場所・年代不詳)ibid.p720

パウロが目的地にしたのがタルシュシュであり、それなりのコミュニティが在ってのことであろう。またフェニキア商船の行き来が活発で冬場以外は行き易い。地中海とはローマとフェニキアのための内海のようである>

 

 

パウロユダヤ的黙示思想を背景にしており、メシア信仰での発展を提示していたのであり、異なる宗教の創始を行っていない。⇒倉庫

 

 

・ノツリーム[notzrim]の排斥

ヤブネのサンヘドリンは諸教令を発布し、アミダーの中で{ShemoneEsre]と呼ばれる十八祈願の第十二{birkat haminim}で一般的な異端の中にノツリームが含まれるとしている。

<これはJh9:22に見られる会堂追放{ἁποσυνἁγωγς}の処置に類似する>

この記載によりノツリームの会堂追放が決定的となった。

J.L.マーチンは会堂内で嫌疑を掛けられた人物は

会堂長[Rosh haKuneset=ἁπχισυνἁγογος]に通報され、会堂長はハッザーン[ῦπηρἑτης]に命じてその者に十八祈願を導く役割[Sheliach Zibbur]として用いさせる。もしその者がノツリームであれば、十二番目に来たところで躊躇する。そうしてノツリームを焙り出し、会堂から追放する。(更には、追放された人々は外でグループを作り、都市の中で対峙する)時期としてはAD90以降になり、Heb10:25に関係したとは言えないが、別の問題は確実に在ったことがヨセフスから分かる。

しかし、アミダーが適用されたのは限定された街々であった。

<へブライ書の中の集会奨励の句は、この種の排斥が神殿存在期の終わり頃から激化していたことを物語っているのでは>

 

 

ハシディーム

ユダヤ教での神秘主義はハシディームが代表的で

歌舞による恍惚を好み、聖典解釈法にカバラを用いる。

ユダヤ教の中でも「スーパー・オーソドックス」と呼ばれ

19世紀のポーランド貴族の黒づくめの服装と揉み上げを切らずにカールさせてまで伸ばす姿、またズボンの裾を靴下の中に入れてしまう恰好で、異様なまでの風体に当事者は却って自己義認を実感するらしく、そのあたりはほかの宗教にも見られる習慣ではある。その妻は頭髪を剃ってかつらを着用することで知られている・

 

 

・キリストの聖なる者らへの裁き

2Cor5:10 肉体で行ったことの裁きをキリストの裁きの座の前で受ける

Jh5:29 人の子の声を聞いて、善を行った者は命への復活へ

悪を行った者は裁きの復活へと出て来るときが来つつある。

 

 

・魂に関して(2Sam14:14)ダヴィド王へのヨアブに言い含められたテコアの女の言葉

『私たちは必ず死にますし,地に注ぎ落とされて,集めることのできない水のような者でございますから。しかし,神が魂を取り去られることはございません。追放された者がご自分のもとから追放されるべきではない理由も考え出されました』。【新世界】

『わたしたちはみな死ななければなりません。地にこぼれた水の再び集めることのできないのと同じです。しかし神は、追放された者が捨てられないように、てだてを設ける人の命を取ることはなさいません』。【口語】

『私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることのできない水のようなものです。神は死んだ者をよみがえらせてはくださいません。どうか追放されている者を追放されたままにしておかないように、ご計画をお立てください』。【新改訳】

『わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます』。【新共同】

 

"For we will surely die and become like water spilled on the ground, which cannot be gathered up again. Yet God does not take away a life; but He devises means, so that His banished ones are not expelled from Him. 【NKJV】

主要な英訳の大半がSoulをLifeに置き換えているが、主要な日本語訳では相当な意訳が行われている

 

[ וְלֹֽא־יִשָּׂ֤א אֱלֹהִים֙ נֶ֔פֶשׁ]

「神はネフェシュを取り去られない」*つまり、人は死んでゆくにしても神はその魂を顧みるという反語的な意味で語られており、*新世界訳は他に見られないほど原文の意をここで保持している

これは神が死者の魂を保つというEzk18:4などのヘブライ文化の背景を考慮しなければ本文の意図、また聖書の基本的理解なしに、読者に物語を理解することだけに注進することになる。

 

 

Hab3:13 を確認したが『民』にも『受膏の人々』にも同じく [ לְיֵ֣שַׁע ] が係っており、これは動かし難い。

しかし、これらの内容を即興で吟じたとすれば驚異的

 

 

シャヴォートは今日三日の祭りとされているが元は一日であった。それがディアスポラの暦日との差異から守るために二日となり、その二日目はヨーム トッヴ シェニー シェル ガルヨット、つまり「二度目のヨム トッヴ」と呼ばれるようになり、今日までにはそれに加えて三日間となっている(何時から?)

「ペンテコスト」はLXXからの翻訳語

ハグ ハ マツォートのアツェレトからの49日の内の33日目はラグ バオメル「オメルの33日目」とされ、禁忌が一日解かれる。由来は、経典「ゾハル」の著者であるラビ シメオン バル ヨハイが帰天したということらしいが、シャヴオートに帰天したとの記述もあり。ビックリーム(初物)のハ ツィカール「借り入れ」はハグ ハ マツォートのアツェレトと共にシャヴォートにも関わっており、全収穫を祝うハグ ハ スッコートとは好対照を見せている。これらの収穫を俯瞰するとスッコートのアツェレト シェニーは神の経綸の終点を暗示している。

これらは贖罪の日の手順と共にキリスト/聖徒/人類という収穫の順位を指し示している。それであるから、ゼカリヤのように千年期に入る者に求められるのが他ならぬハグ ハ スッコートであるのは以上の理解に沿っている。

 

・イコンと聖像

ダマスコのイオアンネーンス以来イコンは偶像ではないと、東方は西方の「聖像」を批判し始める。

プロスキュネーサイ「礼拝・伏拝・跪拝」

Ps78:19 Is45:18-19 56:2-3・13「異邦人にも安息は無上の喜び」

 

・「剣を買え」

LK22「剣を持っていない者は外衣を売ってもそれを買え」「食物袋・サンダル・財布を今や持て」⇒「不法な者らと共に数えられた」

「今やあなたがたの時、闇の権威」22:53

「日中の十二時間がある」Jh10:9-10

「夜に歩けば何かにぶつかる。光がその人に無いから」

 

日の出 5:00am 総督官邸へ

鶏鳴4:30am その前にペテロは否認jh18:27[3回Mt26:75/Lk22:61]

一時前2:30am Mr14:37

カイヤファ邸 Mr14:53/Mt26:57/Lk22:54

 カイヤファ邸への移動 Jh18:24

   ペテロの追跡 Mt25:58/Mr14:53/Lk22:54

アンナス邸 Jh18:13

  ペテロとヨハネの追跡 Jh18:15

捕縛 Mt26:47

祈り 三使徒MT26:37 

 一時間以内 MK14:37

 再度 Mk14:39 三度目Mk14:40/Mt26:47

ゲッセマネ到着

 

・「ふと立ち止まる」「人生はそれだけか?」

これらのコヘレトの言葉には伏線がある。

 

 

・「預言」と「予言」は漢字文では使い分けられるが

霊の賜物として新約本文では同じく[προφητείας]となっている。

その働きについて旧約の実態からして区別することに余り意味が無く

ただ、日本語での誤解を避けるだけで十分

 

・詩 94:20 の訳出

『定めをもって危害をたくらむ悪しき支配者は/あなたと親しむことができるでしょうか』。口語

『おきてにしたがって悪をたくらむ破滅の法廷が、あなたを仲間に加えるでしょうか』。新改訳

『破滅をもたらすのみの王座/掟を悪用して労苦を作り出すような者が/あなたの味方となりえましょうか』。新共同

『布告によって難儀を仕組みながら,
逆境を生じさせる王座があなたと同盟を結ぶでしょうか』。新世界 

<迫害を加える為政者が神の側に着くか>

これはただ無能な為政者らを糾弾する言葉ではなく、聖なる民を恣意的な法に捩じ伏せる強権支配者を指している。この観点から見ると訳文が変わる。

 

Ωριγένης Αδαμάντιος c185-253

 Εἰρηναῖος  c130-202

 Ἰουστῖνος ὁ μάρτυς c100-165

Πολύκαρπος  69-155