Notae ad Quartodecimani

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2300の夕と朝 ダニエル8:13-14

 

[וָאֶשְׁמְעָ֥ה אֶֽחָד־קָד֖וֹשׁ מְדַבֵּ֑ר וַיֹּאמֶר֩ אֶחָ֨ד קָד֜וֹשׁ לַפַּֽלְמוֹנִ֣י הַֽמְדַבֵּ֗ר עַד־מָתַ֞י הֶחָז֤וֹן הַתָּמִיד֙ וְהַפֶּ֣שַׁע שֹׁמֵ֔ם תֵּ֛ת וְקֹ֥דֶשׁ וְצָבָ֖א מִרְמָֽס׃   וַיֹּ֣אמֶר אֵלַ֔י  עַ֚ד עֶ֣רֶב בֹּ֔קֶר אַלְפַּ֖יִם וּשְׁלֹ֣שׁ מֵא֑וֹת וְנִצְדַּ֖ק קֹֽדֶשׁ׃]

 

「そのとき、わたしはひとりの聖なる者が話しているのを聞いた。別の聖なる者が、話しているその人に言った、"常供の犠牲[が排され]また荒廃を起こす違背、すなわち聖所と群衆とが[足の下に]踏みつけられることについて、この幻はいつまで続くのか"。
すると、彼はわたしに言った、"二千三百の夕と朝の間である。そのとき、聖所は清められる"」。Dn8:13-14

聖徒への蹂躙と違背とが終わり聖所の回復まで6年4ヵ月

[ עַ֚ד עֶ֣רֶב בֹּ֔קֶר אַלְפַּ֖יִם וּשְׁלֹ֣שׁ מֵא֑וֹת] ←

→ アド エレブ ボケル  アルファイム  ウ シュロシュ メオート 

<特にヘブライ語上には格別なものはない>

但し、日数を「夕と朝」と呼ぶのは例を見ない。これは他の『週』や『時』が年計算に置き換えられてはじめて意味を成すものとは異なるもの、即ち、日数に意味を固定するべきことを表しているとも考えられ、以下そのように推測してみると・・

 

この浄められるべき聖所は、いつ汚されるのか、それは汚される以前が存在していたに違いなく、シリア王によってユダヤ教禁止令が発布され、ゼウス像が安置された事態に相当する時から数え始めると見るのが妥当ではある。

前168年にエピファネスはユダヤ教禁止令を発布し、翌167年に偶像を神殿に持ち込み、164年にハスモン家はシリアから独立を得て神殿の再献納を行っている。

 

ヨセフスはユダヤ戦記で、例によって三年半の間、神殿が汚されたという。この期間信憑性は有り得るらしい。そうであれば『2300の夕と朝』は成就の先例がない。その日付を遡るとユダヤ教禁止令から更に三年以上前になる。

 

前二世紀の成就では、164年12月迄にエピファネスはイスファハンで病死あるいは反乱で殺害されたとのことで、マカベア家による再献納の時期にこの王はユダヤに関わることができず、ローマの圧力によって窮地に追い込まれ、重税を支払うための略奪に失敗して果てた。従って、この暴君の死と聖所の浄めはほぼ同時期となった。

以後シリア王朝はユダヤの宗教主権を認めている。そこにローマのユダエア承認も絡んでいるが、やはりアンティオコスⅣ世の崇拝妨害は異例であったといえる。

 

『2300の夕と朝を経るまで』というのは、上記セレウコス朝の時代の事績の実際より長く、しかし二倍には至っていない。また『常供の犠牲』が絶えている期間とすると、これはますます『三時半』とは別に見るべきようである。

 

従って、これは『二人の証人が証を終えた』時点から始まり、天界の神殿に油注ぎが終わった段階か、雲は晴れ祭司団が崇拝を始めた時かを言うのであろう。

それは終末の聖徒が活動を行っている1260日の後から数え、2300日後と見るのが妥当らしい。その2300日の間に起こることは、騎兵隊の攻撃であり、偽キリストの背教の進行と玉座への登壇、七つの鉢から神の怒りが注がれ、ハルマゲドンへの諸国の軍の招集、それに続いて大いなるバビロンへの攻撃、それから四騎士の禍いと続く。

 

それであるから、聖徒らが地上の活動を打ち砕かれ、天界への招集があってすぐに聖所の油注ぎが行われるのではなく、その後2300日(陰暦6年3カ月2日)が有って、聖所の浄めが行われることになる。これに聖徒の活動期1260日を加えると3560日となり、9年9カ月2日ということにはなる。

 

但し、黙示録では神の怒りを満たした鉢から注がれる前に、天界の聖所が雲に満たされているので、時期としては、その鉢から注がれるのは、聖徒の招集から2300日(6年4カ月20日)を待つことになる。これが正しければ『北の王』が過ぎ去ってから偽キリストの支配の確立まで6年3ヵ月は必要となり、それから短めの不明の期間が続いた後、ハルマゲドンへの招集と、大いなるバビロンの滅びが短期間に続き、ほぼ同じ時期にシオンでの王の戴冠があり、以後四騎士の禍いの大艱難となる。

 

聖徒への油注ぎから活動停止までが1260日(天への招集までが3日半)、怒りの鉢が偽キリストの権力掌握に先んじるなら、それまでが2300日、ここまでで合算すると、9年10カ月20日

しかし、神の怒りを満たした鉢の注ぎに先立つ聖所の雲が、アレゴリーであって天界の祭司団の崇拝の準備の完了でない場合は、以上の後半の計算は当てはまらないことになる。

従って、聖所の油注ぎの前に地上の物事がどこまで進展するのかは不明。その間に大患難が含まれる可能性も考えられる。その根拠は、七十週の目的が至聖所に油注ぐことにあるので、それが七十週の終了以降であると思われるが、その具体的な時は知らされていないことがある。

聖所が再び機能するというダニエル七章の意味が、神の王国の贖罪の始まりと見れば、それが大患難後であると見るのも妥当と言える。

確かに、世界のシステムの変更が行われるのであれば、総計で10年程度は見積もられる道理はあるかとも思われる。

では、2300の夕と朝は何のために知らされたのか?

おそらくは、天界に去る聖徒のためというよりは、地上に生きながらえる人々が、過ぎ去ったこの世の荒廃の中で、希望を得るためではないかと思われる。

そうであれば、1260日後の2300日の間に、地上の物事がどこまで進展するかはなお不明ではある。

 

 

また、2300日の後に『エジプトの十災厄』に相当する『鉢』の不定の期間が続き、それから大艱難へと移ることにはなるのだが、聖所の油注ぎそのものが『七十週』の終了により実現するのであれば、この推論は当てはまらない。しかし、そうなるとこの『2300の夕と朝』の行き場がなくなる。

 

それでも、十年という期間も人類社会の原理の交代を意味するのであれば、短いとは言えず、妥当な長さとも言える。この十年の前にシオン生成の不明な期間が加算されると、もはや今からの年数を考え出すことも難しくなる。

しかし、現時点で『北の王』の特徴を備えた国家指導者は顕在しているので、遠からず『南の王』との戦端が開かれるのであれば、シオンの現れはもはや遅い、というより遅すぎる時期に入っているように思われる。

 

 

ダニエル書の記述

ベルシャッツァルの第一年にアラム語で書かれた第七章はダニエルを三人称で語り、その幻では四頭の野獣を通してバビロニアから継承される覇権国家を列挙している。

それはバビロニア⇒ペルシア⇒マケドニア⇒ローマであり、これは広く知られている。

対して、ヘブライ語で書かれた第八章でダニエルは一人称で語り、時間経過を覗わせ、実際にベルシャッツァルの第三年としており、彼はスーサに居る。

 

この第八章での幻は、先の章での四頭の野獣の幻と似ているようで、ペルシアからマケドニアの覇権が移る場面を描写しており、その主な目的は山羊の描写から始まり顕著な一本の角が四本に分かれ、そのうちの一本の角が小さかったのに急速に拡大し、天に達するまでに成長し、そのために『天の軍勢の幾らかと星の幾らかを地に落とし、それを踏み躙った』。

 

加えて『天の万軍の長にまで力を伸ばし、日ごとの供え物を廃し、その聖所を倒した。 また、天の万軍を供え物と共に打ち倒して罪をはびこらせ、真理を地になげうち、思うままに振舞った』という、この場面を特に語ることを目的としている。

 

ここでの『天の軍勢』また『幾らかの星』とは、以上の覇権に蹂躙されるのであれば、天界の天使群を指すのではなく、地上の集団を指すことになり、その実体を明らかに記すのはダニエル書の第11章であり、そこに『彼から軍勢が起って、神殿と要害とを汚し、常供の燔祭を取り除き、荒す憎むべきものを立てる』とあり、同様の事態の発生が繰り返し述べられている。

 

その蹂躙を受けるのが誰かと言えば、ダニエル書のこの部分をダニエルに告げたガブリエルが『末の日に、あなたの民に臨む事を、あなたに悟らせるためにわたしは来た。この幻は、なお来るべき日に関わるものだ 』と告げているように、ダニエルの民の終末で遭遇する事態を知らせている。そして、これらの預言は血統のイスラエル民族に実際に一度起こっている。(ダニエル10:14)

 

それはダニエル書第11章の後半に記される、セレウコス朝シリアの王アンティオコスⅣ世エピファネスによるユダヤ教への介入と迫害、エルサレム神殿へのゼウスの偶像の設置という前代未聞のユダヤ宗教体制への反対運動であった。この西暦前167年に起こったエピファネスによるユダヤ教禁止令の事件をダニエルは未だ新バビロニア帝国の時代である前552年に啓示されていたことになる。

 

在位が前175年から163年であったアンティオコスⅣ世エピファネスであったが、この王によって宗教体制を揺さ振られたユダヤは、以後この王によるギリシア文化への強制を拒否してレヴィ族のハスモン家を指導者に、反ギリシア闘争に入る。

 

その一つの成果として、マカベア家のユダが率いた戦いによってエルサレム神殿を取返し、偶像崇拝から聖所を浄め、神殿聖所の燭台に火を灯したのだが、そのに費やす油は一日分が残されているのみであったという。しかし、燭台の火は八日間も燃え続ける奇跡が起こったことから、以後ユダヤの人々はこの神殿の再献納を祭り、「ハヌキヤ」と呼ばれる八つの灯火(九つとも)を灯して記念し続けてきた。新約聖書には、イエスもその祭りに際してエルサレムに上っている記録が残されている。

 

また、セレウコス朝シリアに対するユダの闘争の成果のもう一つは、七十年ほどの間ユダヤ一国がハスモン朝の下で独立を勝ち取ったことであり、その勢いでエドムを属国化し、ユダヤ教への改宗を強制し、サマリア人のゲリツィム神殿を破壊して、同じ神を奉じてエルサレム神殿に対抗する崇拝を邪魔してもいる。しかし、約180年後に表れたイエスは、『霊と真理による崇拝』についてサマリア人に語り、彼らも聖霊を受けて『神のイスラエル』の一員となる道を拓いた。

 

ダニエル書第八章のセレウコス朝アンティオコスⅣ世の行った暴挙についての予告の記述は精密に歴史を追うことができる。

だが『2300の夕と朝』は次元を異にしているようで、これは終末にのみ関わるものであるらしい。

 

 

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