Notae ad Quartodecimani

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バプテスマについて

 

もとより浸礼は聖霊降下への備えとなっていた。

但し、ヨハネの浸礼には律法契約への悔いの意味はあっても、新しい契約に向かわせるものではなかった。

キリストによる浸礼は、新しい契約が取り結ばれることを先取りして聖霊降下の以前から始められていた。

それでも、双方の浸礼は『神のイスラエル』への集め出しに関連を持っている。

バプテストの悔い改めはユダヤ人を祭司職に導く「洗い」だったのか?職服を着ける前の洗いであったとなると・・
ただ、それは流れる水で行われており、「海」の水ではないように思えるが、『海』から流れ出るのであれば「生ける水」とも言える。

シロアムはギホン湧水からの水であった。
アロンの洗いと職服の着用、その後の灌油と七日の見張り
使徒ヨハネは、流れる水は飲むものと描く
エゼキエル神殿では、それで海が無いのか!ヴェートハショエバー
ヨルダンとはいえ「生ける水」の範疇にある
では「信仰」と「聖霊」をつなぐという意味か?
「洗いの水」と「生ける水」の違いからすると水洗と飲水は異なるらしい
ユダヤでは昔、夜間の飲水を勧めず、禁止するミシュナーもあったらしい
(理由は大したものではなかったが)

加えて、スッコート最終日のイエスの講話からすると、祭司が身を清める水とは別に、祭壇から南西方向に設けられた溝に血の流れを辿り清めるようにシロアムの水が流れたのであれば、バプテスマの水と清めの水とは別物とみるべき理由も生じる。

(祭司が身を清めた水はどう排出されたのか?)

 

当時、律法体制はメシア到来により終了しようとしていたこと

律法不履行の呪いから逃れる必要がイスラエルに生じていた。Act19:39

そこでヨハネバプテスマは律法契約がユダヤ人に『守り切れない頸木』であることを認める意味が有ったといえる。Act15:10

律法がメシアの到来によって終わろうとする直前に、律法履行が出来ないことを認めるユダヤ人に、そこから逃れるためのメシアによる『新しい契約』に向けて心を整えさせ、『子の心を父に』立ち返らせる役割があった。

そのためバプテストは宗教家らには浸礼を受けさせていない。

だが、イスラエルの罪を解くのはメシア信仰であり、ヨハネバプテスマではなかった

パウロが紅海を歩いて渡ったイスラエルが『モーセへのバプテスマを受けた』としており、出エジプト記は『彼らはモーセに信仰を置くようになった』と記している。

その意味では、イスラエルは直面した窮境から救われるために海底に歩を進めたことによりモーセへの信頼を示したとは言える。それは死を前にした決死の行動であった。

同様に、キリスト到来の時期にユダヤの体制という『木の根元に斧は置かれていた』のであり、律法の呪いの前にユダヤ人は無罪では済まなかったが、それに悔いを示すことで『子の心を親に向けさせる』ことになったとは言える。この悔いの浸礼の前提有ってこそ、新しい契約の使者としてのメシアに信仰を持つことで、紅海を渡り、シナイ山麓での契約締結が行われたように、シオン山上での新しい契約の開始をイエスバプテスマが拓いたといえるかも知れない。

共に、律法に対しての死と、キリストと共なる犠牲の死を象徴し、それゆえに聖霊注がれた聖徒らはキリストの復活の命を共に生きる『義なる者』とされている。その浸礼が表す死はアダムの子孫としての死であるが、そこに苦しみや迫害の犠牲としてのキリストに続く利他的な死が象徴されている。そのためパウロは『キリストへの死のバプテスマ』と呼んでおり、『彼と共に死んだのであれば、共に生きるはずである』とし、もはやアダムの命を生きるのではなく、復活したキリストの命を共に生きるといっている。

しかし、その意図はユダヤ人に対して直接の言葉で知らされることはなく、特にヨハネバプテスマユダヤの体制が裁かれ『籾殻』のように焼かれて滅び去る事、また何者かを穀物として『蔵に収める』ことが行われることを警告している。これは律法を負ってきたユダヤ人に特有の浸礼を要請するものであり、地上のエルサレムの滅びを免れる意味を持っているように思われる。

それらの言葉と共にバプテストのヨハネは『わたしの後から来られる方』について『聖霊と火とでバプテスマを授ける』働きを成すことを言っている。

またヨハネは『主の道を真っ直ぐにせよと荒野で叫ぶ声』とイザヤを引用して自らの立場を語るが、マラキの『先立って来るエリヤ』であると語った文言は聖書にはない。

 

おなじくイエス自身は自らをメシアであることを公にせず、ヨハネも明瞭にイエスをメシアと言っておらず、ただ、聖霊が降った様を目撃したことを僅かな者らに知らせたことの記述があるばかりとなっている。

 

当時のユダヤ民衆にとってヨハネの現れはマラキ以来途絶えた預言者の再来という意識が強かったと思われ、そこでは一種の「宗教改革」のように、現体制のままではいけないという意識があったように観察される。それが『斧は既に期の根元に置かれ』というような言葉に触発されたであろう。加えて、マラキ書の主要な論点は祭司職の堕落にある。そこでヨハネ自身がザドク系祭司の子でありながら、神殿とは別に、モーセや族長たちの原点である荒野に現れたことに整合性がある。

第二神殿の建立や城壁の修理、またエズラの教育があっても、律法遵守によるイスラエルの義の回復はたどたどしいものであったことが当時の記録に明らかであり、その中からタンナーの運動がシュナゴーゲを中心にして外から興って、これはサドカイ派パリサイ派との不和の原因となっていたであろう。

したがって、当時はヨハネの浸礼活動がある一方で、その三百年ほど前からユダヤの宗教を改善するためのパリサイ運動が興っていたとみてよいと思われる。

この二つの対処法は正反対であり、パリサイは律法墨守によるもの、ヨハネは律法を守る事を諦めることによって、新たな変革に導くものであったことになる。

だが、ヨハネはメシアを介した神の経綸を直接には語らず、自身をエリヤと言わず、イエスをメシアとも言わず、『新しい契約が近づいた』とも言わなかった。

このエレミヤ以来の『新しい契約』についてイエスが明言するのは、福音書ではルカ一か所だけで、それも最後の晩餐の場面であった。

したがって、当時のユダヤ人はメシアの犠牲も、それがもたらす新しい宗教体制についても知らされていなかったことは明らかで、イエスが『天の王国は近づいた』と語られたときに、使徒らを含めてあらゆる人々が、地上でのダヴィド王朝の回復を思い描いていたといえる。


ではキリストの洗いとバプテストの違いは?
共に祭司職への準備であったことになる。
では信徒に洗いは必要か?
それとも他の意味があるのだろうか?

祭司が始業前に水浴したように『祭司の王国』の身分を得る前に水浴びが求められたか
祭司が水で身を清めるとはそういうことか
もしバプテストとキリストが川の水に拘ったならユダヤ伝承に従っていることになるが

しかし、ヨルダンの水質は良いとは言えない。

(あのシャブオートのときにはどこで施されたか?シロアムは問題なし、ベツサダでは?)

そこで考えられるのは、使徒言行録以降でのバプテスマの場面が一つだけで、他はどのように施されていたのかが不明で、しかも簡単に『受けた』とだけ書かれている。福音書では川があり、福音宣明者フィリッポスは宦官に促されオアシスらしき場所が有ったことが知らされるだけとなっている。

それから考えられるのは二つ、一つは後の水の注ぎでバプテスマとした可能性であり、これは聖霊の注ぎとの相似性も無くはない。もう一つは、やはり後の病床に伏した者への「滴礼」のようなものも初期から有ったのではないかという推論である。

この滴礼は、国民皆信徒制となる世俗化したキリスト教に於いて、また初期キリスト教界での、「悔い改めの後の罪は赦されない」との教条への恐れから臨終まで受洗を控えた悪習慣により地歩を固めたと思われる。現カトリックの洗礼が滴礼に近い方法で行われている原形がそこに由来するように見える。


使徒ヨハネは、スッコートの祭りに於けるイエスに文章を割いており、最終日のアツェレトでの発言に言及し、それについて霊を関連付けている。<光は山上の垂訓>
結果的に水は犠牲の血の上を流れる=水と霊
極論するとバプテスマの必要が無くなってしまうが・・どうか
マルコの末尾・・
この件、ディダケーにもあった!(驚き)
但し、聖徒が絶えて以降のバプテスマは任命を受けた者が存在せず履行の根拠が失われている。
ヨハネもイエスの弟子らも任命を受けて、それぞれに別の意味の浸礼を施したが
それらは律法契約から新しい契約への橋渡しの働きを果たしており、聖徒の居ない今日、バプテスマを施す権威を持つ者はなく、聖霊の注ぎを受ける時代にも至ってはいない。
シオンが形成される以前に聖徒到来の準備がされるべきか?それともシオンに属する者は皆が聖徒になり得るということか?
再臨の前にバプテスマを触れ告げる先駆者が現れるのだろうか?

つまり、シオン形成にバプテスマは必要か?

キリストのバプテスマの無いところに聖霊降下が無いとすると、浸礼が先行することにはなる。但し、復活後のイエス使徒らに命じたのは『父と子と聖霊によるバプテスマを施す』ことであった。

但し、コルネリウスがあり、ペテロが介在したとはいえ、浸礼は聖霊降下の後であったことをペテロ自身が述べる。七十週の契約の保持性からすれば臨在を待つべきように思える。バプテストもイエス使徒らも任命を受けた者であった。『神と子と聖霊の名による』のであれば、聖霊へのバプテスマはあの五旬節以降を指す。

それは信仰の種類を規定しており、聖霊を司るのは聖徒以外にない。

 

スッコートの(おそらく)四日目最終日のアツェレト・シェニーの日に行われたのであろうベイト・ハ ショエヴァーの潅水が普段飲み物の捧げものと動物の血液が大量に流れる溝を洗い流すものであったのなら、それは様々な律法祭祀の定式が表したものやキリストの犠牲の死を表す動物の血液が収穫の祭りの『千年王国』の期間を象徴する第七日ではなく、その先に相当する第八日に押し流されるのは、それらずべての崇拝が人々の収穫を得てそのすべての働きを終え、千年期の先に人類を完全に清めて崇拝というものを終わらせることを象徴しているように思われる。なぜなら、この祭りの最終日はシャロッシュレガリームという年最後に規定された祭礼の最後を飾ったであろうからそのように見做せる。それは象徴的に贖われた人類の状態を喜んでおり、その先にはもはや崇拝というものの必要さえなくなるという神の創造の意図の完遂を意味するであろう。

 

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バプテスマを施すべきか - Notae ad Quartodecimani

 

 

・ナアマンの七度の水浴がバプテスマに何かの関連を持つか?拭い難い宿痾である『アダムの罪』がその身を去ることを願う人に於いてはキリストへの水のバプテスマを象徴しているかも知れない。それと彼が異邦人であったところに何か示唆があるらしい。

パウロが古代人が『モーセへのバプテスマを受けた』と言うのは、彼らが恒常的となならなかったものの、モーセという人物に対して決定的な信頼を置いたことを言うと思われる。それはその時には紅海の水を前にして他に頼るものがなく、しかも示される圧倒的な奇跡に身を委ねるほかなかったにせよ、それはただ一筋の希望となっていた。これを終末の裁きと関連付ける場合には、キリストへの托身となるとは言える。しかも、モーセの当時も『混在した大集団』であった。

・『キリストへの死へのバプテスマ』と言うのは、キリストの兄弟らがキリストと共に一度死に、キリストの復活によって共に生き、その命を生きることになっている当時の彼らの状況を言い表している。これに関連して水の浸礼は死を、霊の注ぎは命を表すことになる。そこで問題になるのは、聖徒についてだけこれが適用されることであるが、パウロは両者の違いをそこで述べてはいないし、当時のエクレシアの大半が聖徒であったこともその言葉の背景にある。