Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

譬え Rsm

例え- Rsm 現状◆ユダヤの裁き よきサマリア人 種まく人の例え 後の者が先になる 枯れたいちじくの木 パン種とからしの木の例え◆王国の民の集め 富んだ者とラザロの例え <この辺りで聖徒理解が要る> △放蕩息子の例え 一匹の羊を探す牧者と1デナリ △集めない…

聖書解釈の彷徨(理性か聖書か)

畠中尚志 聖書には理性と調和せぬ多くの事柄が説かれている。これを解釈するにあたってある人々-中世のユダヤ哲学者マイモニデス、下ってはスピノザの親友ロドウェイク・メイエル-のごとく理性を規範とし、聖書を理性に順応させようとするのは、スコラ的独断…

ウパニシャッド研究の外縁から

オルデンベルクは ウパニシャッドを研究するためのふたつの方法を挙げる 1.神秘主義の道 2.カントの道 そこで彼はカントの道を断つ その理由は、当時のドイッセンの探求法1922(カント=ショーペンハウエル)と決別することにあったと<ドイッセン「一度目はインドでウパニシャッド…

スピノザの聖書へのアプローチ法

フィヒテ曰く 「彼ら(ユダヤ人)に市民権を与えるとなれば、(話は別である)そうするために手段はひとつだけである。今居るユダヤ人の頭を一晩のうちにすべて切り落とし、いかなるユダヤ思想をも持たない頭に挿げ替えることだ。それにユダヤ人の災厄から我…

普遍的に存在する経典依存の宗教

トーラー信奉者であっても「クリスチャン」の聖書主義者であっても、共通するものがある。即ち、書物の理解や規則の遵守が「正しい生き方」をもたらすと信じていること。これは、別に仏典だろうとクルアーンであろうと基本的に変わらない。 これを総称してな…