エレミヤ書概説
預言者エレミヤ自身は、エルサレムに近いベニヤミン領の祭司の街アナトテ出身であり、満25歳、あるいは満30歳になれば父ヒルキヤのようにザドク系の祭司の任職を受ける立場にあったらしいが、そのような記述は見いだせず、若者であった頃から自国ユダ王国の滅亡と、その後の荒廃した故地から自国民らによってエジプトに同行させられるまで預言者として活動している。
その預言書を通して、モーセの律法体制とダヴィドの王朝の終焉を目の当たりにしつつ、その滅亡に至った国民の問題を厳正に指摘し、延命策を関係者に提示しつつ拒絶され、また、将来の帰還による回復と、それに重ねてメシアによる『新しい契約』をも二重に予告した。
また、神の選民の独立が失われても、不定の将来には神が諸国を裁く時が到来すること、また、敵となりユダの体制を滅ぼし、神殿祭祀を凍結させ、その民を流刑に処したバビロニアが、遂に新興ペルシアによりあっけなく倒されることでその咎を責められる時代の到来をも予告したが、それはこの世の終わりの時期に、象徴的に繰り返されることをも暗示している。
エレミヤ書は、シナイ契約に慢心した民が、実はその履行を怠り、その神YHWHに背を向けていたにも関わらず、その罪の道の行くことを自ら良しとしていたことの重い報いがユダ王国に臨む現場にあって書かれ、当時の実情を伝えるものともなっている。
エレミヤ自身は、列王記上下の著者とも伝承されているが、確かにそれぞれの書中に同一の文言が度々書かれているところからしても、その蓋然性がある。
彼は生まれる前から神に到来を予期され、預言者として用いられることは神によって誕生以前から定められたことで、その出生が待たれていたと神は語っている。(1:5)
そのことは、彼の名「イルメヤフ」、即ち「神は胎を緩める」に暗示されていた。彼自身そのことを強く意識しており、不信のユダに在って預言することのストレスから生まれて来なかったことを願ってもいる。
神によって誕生が待たれたことを示された例は、キュロス大王など他にもあり、神は人の生死によらず『無いものを在るかのように呼ばれる』に相応しい記憶と予知とを持つことでは真に超絶的である。(ローマ4:17)
この神の予期はエフェソス1:4のように聖徒にも当てはまると見るべき理由もある。なぜなら、彼らはバプテストに優って偉大であるからである。
ヨシヤ王の第13年、若くして預言者の任を託されたエレミヤではあったが、自分が『ただの若人』であり、ユダ一国の体制の民や指導層らに語ることに躊躇を感じ、それを神に訴えると、神は年長の指導者らを恐れることがないよう、エレミヤを『鉄の柱とする』とまで言われる。実際、エホヤキムの治世から、その預言により命の危険に何度も曝されている。その度に様々な人物が現れては危機を脱し、最終的に彼を救ったのはネブカドネッツァルとなった。
ユダ王国の最後の善王ヨシヤの第13年に彼が預言者として召された時に何歳であったかは分からないながら、その後のゼデキヤに至るまで四人の王が交代される間に、エルサレムとユダ王国が自らの預言したように滅亡するのを見届け、さらには亡民となってエジプトに下った幾らかの民の生き残りの中に在って預言を続け、60年以上の長きにわたって預言者であったことから推して、二十歳かそれ以前からユダ王国の不行跡と来るべき滅びとを告げ知らせていたと見てよいであろう。
ただ、任命以後18年間の善王ヨシヤの存命中には、ユダの邪悪な体制を激しく糾弾する必要はなかったのであれば、エレミヤがこの預言書に残されたような本格的な糾弾の激しい言葉を語るころには四十歳に近い堂々たる預言者となっていたことであると思われる。特にエホヤキム王からゼデキヤ王にかけての激動の時代のユダに在って預言者であり歴史の目撃者でもある点で際立って有用な聖書の部分を残した。
それまでの強大な覇権国家アッシリアが倒れ、新バビロニア帝国が東から勃興する中で、ヨシヤ王を失ったユダ王国は風雲急を告げる事態に在って、行くべき道次第では国や宗教体制の存亡が懸かっていた。それはモーセ以来の律法契約に対するイスラエル民族の姿勢が問われる裁きの時期に差し掛かってもいたのであった。
エレミヤ書の初めで、彼が預言者として召されたときはヨシヤ王の第13年
以下はエレミヤ書中の各預言とその年代
1:1- ヨシヤ王の第13年
3:6-6:30 その後のヨシヤ王の治世中
7:1-10:25 不定の時期
11:1-12:17 不明の時期
13:1-13:27
14:1-17:27 旱魃の有った時期
18:1-19:15
20:1- イメルの子パシュフルが神殿管理官であった時期
21:1- 王はゼデキヤ、祭司はゼパニヤ、エルサレムはバビロニア攻囲中
22:1- ヨシヤの死後、その子シャルムの治世中
22:18- エホヤキムの治世
22:24- エホヤキン(コニヤ)
24:1- 第一次流刑の後
25:1- エホヤキムの第四年
26:1- エホヤキムの治世のはじめ頃
27:1- エホヤキムの治世のはじめ頃*記述ミス指摘あり
28:1- ゼデキヤの治世の第4年5月
29:1- 第一次流刑の後
30:1- 不明の時期
32:1- ゼデキヤの第10年、ネブカドネッツァルの第18年
33:1- エレミヤが牢獄の中庭に拘留中
35:1- エホヤキムの治世中
36:1- エホヤキムの第四年
37:1- ゼデキヤの治世のはじめ
39:1- ゼデキヤの第九年10月、第11年4月9日
40:1- バビロニアの占領後、総督ゲダリヤ
41:1- 同年7月
42:7- 同月10日
44:1- 以後の不明の時期
45:1- エホヤキムの第四年
46:1- 不明の時期
49:34- ゼデキヤの治世のはじめ
50:1- 不明の時期
51:59- ゼデキヤの第4年
52:1- 第一次捕囚から38年目以降
<年代は順に並べられず、それぞれの預言の集めた集成になっている。原因として考えられるのは、エレミヤが迫害されていたため、また、エホヤキム王の焼き捨てがあり、各々の部分が散失しかけたところをバルクにより復元され、後にまとめられた節がある最終部分は列王記の記述法となっており、同書の著者がエレミヤであるとのユダヤの伝承の裏付けのようになっている52:1-3=1King24:18-30この共通性は2Chrには無い>
年代に順じると
1:1- ヨシヤ王の第13年
3:6-6:30 その後のヨシヤ王の治世中
7:1-10:25 不定の時期
11:1-12:17 不明の時期
13:1-13:27
14:1-17:27 旱魃の有った時期
18:1-19:15
22:1- ヨシヤの死後、その子シャルムの治世中
26:1- エホヤキムの治世のはじめ頃 預言者ウリヤ
22:18- エホヤキムの治世
25:1- エホヤキムの第四年
36:1- エホヤキムの第四年
45:1- エホヤキムの第四年
35:1- エホヤキムの治世中
20:1- イメルの子パシュフルが神殿管理官であった時期
21:1- 王はゼデキヤ、祭司はゼパニヤ、エルサレムはバビロニア攻囲中
22:24- エホヤキン(コニヤ) 第一次流刑
24:1- 第一次流刑の後
27:1- エホヤキム(ゼデキヤ)の治世のはじめ頃
29:1- ゼデキヤの治世のはじめ頃
37:1- ゼデキヤの治世のはじめ
49:34- ゼデキヤの治世のはじめ
28:1- ゼデキヤの治世の第4年5月
51:59- ゼデキヤの第4年
39:1- ゼデキヤの第9年10月、第11年4月9日
30:1- 不明の時期
32:1- ゼデキヤの第10年、ネブカドネッツァルの第18年
33:1- エレミヤが牢獄の中庭に拘留中
40:1- バビロニアの占領後、総督ゲダリヤ
41:1- 同年7月
42:7- 同月10日
44:1- 以後の不明の時期
46:1- 不明の時期
50:1- 不明の時期
52:1- 第一次捕囚から38年目以降
エレミヤ書の特徴
エレミヤの預言の特徴は、エゼキエルと異なりエルサレムに留まった預言者であるため、YHWHへの反抗の現場に在って、何度も拘束や命の危険があったところにあり、預言者の命はその都度現れる助け手により保たれたが、書記のバルクの補佐無しには、エレミヤの預言書は存続も危うかったことが窺える。
それらの預言の巻物は、後に編纂され今日に見られる形に仕上がったに違いないが、その編纂に携わったのが、エレミヤであるのかバルクであるのか、あるいは別の人物であったのかは分からないが、列王記とは対照的に時期が入り乱れているところに、エレミヤの迫害された中での活動という事情が色濃く出ている。
全体は、ヨシヤの治世中のものがまとまっているが、その子シャルム以降、即ち、バビロニアの干渉が始まって以降にエレミヤの預言の本領が発揮されているように読める。
エレミヤへの反対は、エホヤキムの時代からゼデキヤに至るまで続く、エホヤキムが終始預言に反発していたのに比べ、ゼデキヤは優柔不断に描き出されている。
どちらもユダを滅亡に追いやったが、ゼデキヤの周囲では偽預言者らや極端な愛国者の頑なさがゼデキヤを動かしており、それに加えてファラオの慫慂があり、それに周辺諸国が同調したところをユダの頑迷な有力者らも煽られてもいる。エレミヤが正論を唱えていると信じる人々は少なかったが、命を長らえる酬いに与っている。
しかし、当時のエジプトかバビロニアかという二択に於いて、状況判断は非常に難しかったであろう。
登場人物
エレミヤ;ベニヤミンのアナトテの祭司ヒルキヤの子で胎児の時から任命され、時代の激動から生涯独身を命じられた
バルク;エレミヤの従者となった書記
ヨシヤ王;ヒゼキヤ王の孫、マナセ王の子
アヒカム;ヨシヤ王の時の書記官で神殿改修の祭の律法の巻物の発見に関わったシャファンの子で、ヨシヤ王により女預言者フルダに遣わされている。
エホアハズ(シャルム);ヨシヤの子でエホヤキム王の弟、ヨシヤ亡き後民は彼を王位に就けたがファラオ・ネホにより廃位されエジプトで囚われのまま生涯を終える
エホヤキム王;ファラオ・ネホによりエリヤキムから改名され傀儡王となるがエジプトへの重い朝貢と自信の贅沢な悪政で国は乱れ、新バビロニアに攻囲されては属国となったが三年で反逆し、国は更に乱れ最後に民は王として葬らなかった。
エホヤキン王;エホヤキムの子、王位を継ぐがネブカドネッツアルにより三か月と十日で廃位、主だった者らと共にバビロンに連行され、そこで七人の男児を得て合計九人の男児に恵まれ、その中にシャルティエルが三男として居たが五男ペダヤとの間でレビレート婚があったかもしれずペダヤの子ゼルバベルはマタイとルカの系図ではシャルティエルの子とされている。メシアへの家系はここに保たれた。ネブカドネッツアルから王位を継いだエビルメロダクは彼を親しみ、王の糧食から配給が施されるようになった。
ゼデキヤ王;エホヤキムの弟でエホヤキンの叔父、元のマッタヌヤの名を変えられバビロンの傀儡王とされるが日和見的に振舞い、好戦的なエジプトのファラオ・アプリエスにバビロニアへの反抗を煽られた近臣らに動かされ、遂に王朝を終わらせた
アヒカム(前出);エレミヤを擁護してエホヤキムから保護する
コラヤの子アハヴ;
マアセアの子ゼデキヤ;
エベド・メレク;宮廷に仕えたエチオピア人でエレミヤを井戸穴から救っている
ウリヤ:預言者でエホヤキム王の怒りから一時エジプトに逃避するも殺害される
パシュフル;預言者として振舞いエレミヤと対立するがその預言は外れる
ヤアザヌヤと兄弟;レカブ人でエホナダブの家訓を守っていたケニ族
アズルの子ハナニヤ;エレミヤの作った頸木を砕いて反対預言を行い、その年に死ぬ
ネヘラムの子シェマヤ;祭司らを扇動しエレミヤに反対させようとして自分の家を断絶されるが、この人物についての神の怒りは特に強い
ゲダリヤ;エホヤキムの迫害からエレミヤを守ったアヒカム(前出)の子で、ネブカドネッツァルからユダの総督の任命を受ける。しかし、ダヴィド王家の流れを汲むネタニヤの子イシュマエルによって暗殺される。この事態はユダに残った少数の民にエジプト逃避を目論ませる結果となり、エレミヤも連行されてゆく。