Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

使徒時代年表 (未完成)

 

 

パウロマケドニアからアカイアに逃走アテナイ到着

クラウディウス帝によるユダヤ人のローマ市からの追放

コリントス到着 (アキュラ夫妻に会い、テモテらと合流)

コリントス滞在1年半 (フィリッポイからの資金援助・ガッリオーの裁定51-52年)*

エフェソス滞在2年以上 (ガラテア旅行・アキュラは不同行でアポロスに会う)

クラウディウス崩御54年10月 (アキュラがローマに戻る契機)

エルサレム救援の計画を立てマケドニアへ発つ (アキュラはローマへ?)

コリントス滞在3ヶ月 (イリュリクム?フォイベがローマへ出発)

 ローマ書送付、おそらくガラテア書も

パウロマケドニアへ出発エルサレムを目指す(57年頃の春)

カエサレイアでのパウロ拘禁(57年春~59年秋まで)

地中海で遭難しマルタで過ごす (59年晩秋)

ネオポリス到着 (60年春)

ローマ軟禁 (60年半ば~62年半ば) (この間にヤコブ殉教)

 フィリピ書・コロサイ書とエフェソス書を送付、ヘブライ書?

パウロの活動再開  (63年春以降)

 テモテ第一書、テトス書 (ペテロ第一書?)

パウロの二度目の逮捕  (ローマ大火64年以降)

 テモテ第二書 (ペテロ第二書?)

ユダヤ反乱 (66年)

パウロの処刑 (67年) (ペテロの処刑)

ネロ帝自決  (68年6月) ヴェスパシアヌスが帝位に就く

エルサレムの滅び (70年)

 ユダ書?

使徒フィリポの殉教 (80年)

皇帝ティトゥス崩御 (81年)

 ヨハネ第一書簡

ドミティアヌス帝の迫害

使徒ヨハネの流刑

 黙示録 第二・第三書簡

ドミティアヌス帝の暗殺 (96年9月)

使徒ヨハネの解放 

 ヨハネ福音書 

使徒ヨハネの死 (98年以降トラヤヌス帝期)

 

*ガッリオーの在任がパウロ唯一のタイムポスト

 

使徒後教父の時代