以下の分類法ならば文章構造や使用単語以上に著者時期判別で妥当性があると思える
・アデルフォイ型
ローマ コリント第一 ガラテア テサロニケ第一第二 フィリピ ヤコブ
・アガペトイ型
ペテロ第一第二 ユダ
・テクニア&アガペトイ型
ヨハネ第一第三
エフェソスとコロサイはスウ型とは言えないそれは呼びかけとはなっていない。双方共にアデルフォスと呼びかけるのは挨拶文だけに留まり、(エフェソス×2、コロッサイ×5)それは知人と聖徒に限られる。
推察;エフェソスの相手はほとんど異邦人であった。コロサイはエパフラスの活動範囲にありパウロはコロサイを訪れていないのでは?<この件でラオディケイアへの書簡が残っていたなら>フィリピとテサロニケとコリントはヨーロッパ側ながらユダヤ人の存在が大きかったか?それはローマも同じく
エフェソスには三年滞在しており、その間のパウロの活動は目を見張るものであったことをルカが知らせるので、ミレトスの告別から四年ほど経過しただけの時点で他人行儀になる理由は無さそうだが、頭書のエフェソスの文字が本来無かったのなら、エフェソスを含んで小アジア地域へ回覧されたものという考察も頷ける。
コリントへの第二で変化するのは、コリント第一への反応が悪かったことが挙げられる。後にクレメンスrmはこの件でコリント人を責めている。⇒「クレメンスのコリント第一書簡」
エルサレム留まって生涯を終えたヤコブはパウロよりも親密で「強アデルフォイ」と言えるほどである。他方ヘブライ書が弱いのはパウロの微妙な立ち位置を反映しているかのように見える。「アデルフォイと呼ぶことを恥としない」はここでヘブライストに向けて語られている。これは勇気を要する一言であったのではないか。そこで、パウロとヤコブの「アデルフォイ」では適用範囲が異なっているのであろう。ヤコブでのアデルフォイとは直接にはユダヤ同朋を指し、パウロは異邦人をも含んだコイオニア全体を含んでいることはエフェソスの文面やヘブライ書の勇気ある一言にも表れている。
ペテロがアデルフォイを用いずアガペトイを用いた理由はアナトリア北部の事情(ポントスのパスカ論争参与の仕方からしてユダヤ系が弱い)があったか?あるいはかなり広範な諸国の読者を想定したのか。かつてあのペンテコステの日にディアスポラのユダヤ人らにアデルフォイとして呼び掛けたペテロも、後年、異邦人主体のエクレシアにはもはやユダヤの血統の価値を当てはめる必要を感じなかったのかも知れない。また、彼自身が自分の使徒筆頭の立場を誇らない第一の手紙に表れているように、仲間の融和を図り、パウロにように論理性を前に出したり、ヤコブのようにヘブライ人を中心にしないで語る傾向を持っていたのであろう。それぞれに置かれた状況の異なりがあると思われる。
パウロが『神のイスラエル』の観念が強く、ペテロは遠慮があったとも観ることもできるだろうが、それでは余りにガラテアに書かれた通りだが・・
ここから推論するに;ペテロはユダヤ人を好んで相手をしなかったか。理由はヘロデ・アグリッパスⅠ世(37-44)に命を狙われていた。ユダヤ人と正面切って論争するにはパウロほどに知識がなかったか。第三にヤコブの存在がヘブライストの中で不動のものとなっていた。第四にペテロにはアンティオケイアでのパウロとの一件がある。第五に異邦人への鍵を開いたのはペテロの方であったから、彼はヘブライストから必ずしも評判は良くなかったと思えること。そこでペテロの発言は汎キリスト教徒的なものになったのでは。(44年以降行動の制約は緩んでいたので49年の使徒会議に安全に出向けた)
一方で、理論武装したパウロが戦ったのは明らかに狭い意味でのユダヤ割礼主義であった。このふたりはユダヤに対する方向性は同じでも、アプローチの仕方は相当に違ったと観ることができるように思う。パウロがアデルフォイというときには無割礼の異邦人を含めようとの意図があったろうが、ペテロには要らぬ対立を煽りたくもない意識があったということか。ガラテアでパウロは無割礼にペテロは割礼を受けた者らへ遣わされたことを述べるにせよ(そのためにペテロは実際にバビロンに居たか?)、ペテロは異邦人の混じるエクレシアを避けることはできなかったであろうし、両者のエクレシアを分けたという話は読んだことがない。
他方でペテロはユダヤ人らには堂々とアデルフォイで呼びかけている場面がActの前半に見られる。ステファノも敵対するユダヤ教徒をアデルフォイと呼びかけた。ディアスポラ同士もアデルフォスと呼ぶ習慣が新約に見られる。Act13:26
アデルフォイが異邦人を含むのかどうかが判別しにくくなるのが使徒言行録14章以降のようだ。15章はどうやら異邦人も含んでいるように読める。15:23には明らかに「諸国民からの兄弟」という言葉が見られるが、これはパウロの第一回宣教の途上のことであった。(これはプロセルートスなどとは別のイエス派独自の名称なのだろう)17章ではユダヤ人の強烈な反対に出くわし、この辺りではイエスの福音を信じた人々を出自に関係なくアデルフォイとしてゆく過程を観る。(すると、パウロがアデルフォイを双方の民に用いる誘因がユダヤ人の猛烈な反対にあったということか)
ヤコブが異邦人をイエス派に含めるに当たって、ユダヤ教のフォボメノイの扱いをしたことについて、パウロはシュナゴーグ的階層名を超える呼称としてアデルフォスを用いたと見ることができる。確かに、どちらの民であるにせよ、聖霊が注がれた以上は『アブラハムの裔』なのであり、そこに階層があってはならない。
一方でヨハネのテクニアはヨハネ自身の当時の年齢もあってのことと想像されるが、そこに主に倣って『アブラハムの裔』を含意している可能性も考えられる。加えて『神の子』の理解についてヨハネはパウロと同様に一貫している。ただ、パウロ時代にはユダヤとの関連が強かったのに比べ、ヨハネの著作期には既にユダヤ体制は没落しており、アデルフォスを強調する機運は弱まっていたのではないか?(ウェスパシアヌスのユダヤ税)そうなると「アデルフォイ」という呼びかけはユダヤ民族の継承としての神のイスラエルを含意、また強調していたと言えるのでは?
加えて、聖徒の減少を考慮すると、エクレシア内で特権階級化するのを防ぐ目的でアデルフォスがアガペトスに言い換えられたとも言える。⇒「誰がアデルフォスと呼ばれたか」
ユダ書簡では既に使徒は過去のものとして語られるという事情が、兄ヤコブと異なり「アガペトイ」を用いさせたとも考えられる。
時代の進行によってアガペトイに変化したようにも見えるが、それはユダヤの血統の流れをすっかりと離れたキリスト教徒の自然な姿であったように思える。またエクレシアの必要にも適っていたのかも知れない。つまり異邦人の増加であろう。どちらにせよ、聖霊のないキリスト教徒が互いを「兄弟」と呼ぶのは控えるべきのように見えてくる。パウロのローマ書での論議でもそれは言える。(Rm8:29)
黙示録の七エクレシアに対しては二人称単数;これは七人の使いに対する便りであるからか。この中で『ユダヤ人であると言いつつ』の句があり、これが血統上の意味であれば、依然ユダヤ人重視の習慣や敬意が残っていたことを示すと共に、ユダヤ人が大半ではなかったことも明らかにしているのであろう。この点でヨハネ福音者はどうか?この時代の「ユダヤ人」はエルサレム破壊を挟んで意味合いが異なっていたのでは。つまり、頑迷固陋な律法体制とグノーシスに流れ弱体化しイエス派ヘブライストの保護を必要とした後の時代。そうなると、エクレシアに語り掛けるときにアデルフォスよりはアガペトイという方が『ふたつの民』の協調を促進するとこにもなり、ユダヤ側の妙な優越感を刺激しないで済んだ可能性もあろう。
ルカ文書はパウロの影響(アデルフォイ)をまず考慮するべきか(cf;Act10:23&45&11:12)おそらくパウロが実際にアデルフォイと語り掛けていた現場でその言葉を聞いていたのであろうから。
呼び掛けの言葉までは霊感されたものでなく、各個人の意識の違いが出ているのだろうか。パウロが「アガペトイ」型に踏み込んでおらず、複数に分かれた書簡の他の著者もどちらかに分かれている点はそれぞれの作者の意識を読み取るかのように観えるのだが・・
エウセビオスcaeの著述から、四世紀にはほとんどのエクレシアで信者をアデルフォスと呼んでいたことが分かる。この経緯については、徐々に聖霊が退潮していったことと、ユダヤ人に対する張合いがあったようにも思える。なぜなら、そう呼ぶことでユダヤ教を否定的に見なすことができるから。当時の嫌ユダヤ感情は非常に激しかった形跡があちこちの資料に出て来るように読める。
(上記の分類であると第二パウロ書簡や偽典の分類があまり通用しない、むしろユダヤ人との関係が見えてくる)
パウロ---------------------------
◆「神とキリスト」という二者を用いた挨拶文
1th/2th/Ga/1cor/2cor/rom/eph/col/phi/phr/jam/1tem/2tem/tit/2pet/1jh/2jh
・聖霊の注ぎ出し
・死んでいたがキリストと共に復活し生きた
・磔刑の柱の意義
・相続財産を受ける
・養子縁組の霊
・キリストとの結びつき
・罪の許し(贖罪の先行)
・罪ある肉体からの解放
・奥義の家令
・聖徒への道徳要求
ペテロ--------------------------
・兄弟のすべて
・年長者
約翰文書--------------------------
・キリストと出埃の子羊の対照
・世を征服するという発想
・聖霊がキリストの死と関連付けられる
・述べる内容の象徴性の高さ
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★旧約事例の記述のある書簡--
ペテロ第一
ペテロ第二
ヤコブ
ユダ
ローマ
コリント第一
コリント第二
☆旧約事例の記述のない書簡--
テサロニケ第一
テサロニケ第二
エフェソス (異邦人宛)
コロサイ (異邦人宛)
フィレモン
テモテ第一
テモテ第二
テトス (異邦人宛)
フィリピは僅かに律法について述べる
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パウロがエフェソスとコロサイにアデルフォイを用いなかった理由は、異邦人宛てな上に、コロサイ人には面識が無かったのでは(2:1)
そこで一緒に送る手紙でエフェソス人にだけアデルフォスと呼びかけるのが憚られたか?ともあれエフェソスの文面はまったく異邦人を相手にしている。
だが、フィレモンにだけは一度だけアデルフォスと呼んでいるが、これは彼に対する請願があってのことではないか?それを以ってフィレモンがユダヤ人であったという確証にはならない。
パウロはローマ軟禁の二年の間のどこかで、オネシモとエパフラスの件を同時に抱えたので、これをテキコに託し当のオネシモを同伴させた。しかしエパフラスはまだ十分に快癒していなかったか、フィレモンにあるように当局の拘束下にあったのであろう。それでもリュコス上流域への使者としては彼に勝る者はいなかったのではないか。
テキコはその時にエフェソスとコロサイとフィレモンの少なくとも三通の書簡を携えた。その前にパウロはエフェソスとラオディケイアにそれぞれ別の書簡を送っていることが分かるが、それらは後の収集家に渡らなかったようだ。エフェソス書がラオディケイア書ではないかという意見には賛成し兼ねるところあり、それは黙示録に含まれたラオディケイアへの手紙の内容からしても、当地のユダヤ人会が強力であり、金融で成功しているが、主は彼らを『吐き出そう』としているとは、約束の地を失うユダヤが暗示されており、黙示録の時代には実際にそうなっていた。ラオディケイアではユダヤ色が強く、エフェソス書の内容は当てはまるようにはまったく考えられない。
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◆言及される個人名
・テサロニケ第一:パウロとシルワノとテモテ(差出人)テモテ(テサロニケから帰還Act17:14&18:5)
・テサロニケ第二:パウロとシルワノとテモテ(差出人)
・ガラテア:パウロ(差出)ケファ、主の兄弟ヤコブ(回想)テトス(エルサレム会議の回想)ヤコブとケファとヨハネ(回想)バルナバ(回想)
・コリント第一:<前>クロエの家の者ら、アポロ、キーファ、パウロ、クリスポスとガイオス、ステファナの家の門ら<中>テモテ、キーファ、バルナバ(生存)<後>ガラテアの諸エクレシア、テモテ、アポロ、ステファナの家の者ら、ステファナ、フォルトナトス、アカイコス、アシアの諸エクレシア、アキュラとプリスキラ、
・エフェソス:パウロ(差出)テキコ(伝達者)
・フィリピ:パウロ、テモテ(差出)
・コロサイ:パウロ、テモテ(差出)テキコ(伝達者)オネシモ(同伴者)アリスタルコ、ヨハネ・マルコ、ユスト・イエス、(以上割礼組) エパフラス(リュコス川上流域の奉仕者)医師ルカ、デマス<以上ローマ側> <以下アシア側>ヌンファ(集会所提供者)、アルキポ
・フィレモン:パウロ、テモテ(差出)、フィレモン、アフィア(姉妹)アルキポ<以上アシア側>オネシモ(逃亡奴隷)エパフラス(拘束中)、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカ<以上ローマ側>
・ローマ:わたしたちの姉妹フォイベ(ディアコノン/ローマに移動予定)プリスキュラとアキュラ(集会所提供/56年頃ローマに居た)エパネト(アシアの初穂)マリア、アンデロニコとユニアス(パウロの同族で拘禁中/古参)アンブリアト、ウルバノ、スタキス、アペレ、アリストブロスの家の者ら、(パウロの同族)ヘロデオン、ナルキソの家の者ら、トリフォナとトリフォサ、ペルシス(f)、ルフォス、パウロの「母」、アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスと同居の兄弟ら、フィロロゴとユリア、ネレオと彼の姉妹、オルンパと同居の聖なる者ら <以上ローマ側29><以下コリントス側8>テモテ、パウロの同族ルキオ、ヤソン(Act17:7?)、ソシパトロ、テルテオ(筆記中)ガイオ(全エクレシアイの家主)エラスト(市の執事)その兄弟クワルト、
・ヘブライ:兄弟テモテ(釈放待ち;ということはパウロ釈放の直後か)
[πάντας τοὺς ἁγίους]すべての聖なる者ら
『すべての兄弟ら』(パウロは挨拶に用いる)
Clemence:1Cor2:4にも存在『神に選ばれた者の総数が』との文言と共に
ペテロだけは『兄弟関係の中』
西暦紀元前後のグレコローマン書簡文の特徴
quartodecimani.hatenablog.com
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