Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

エフェソス人書簡について


宛先の「エフェソス」は、主要な写本で欠落(א.B.Cb:P46)
「エフェソス」の語は宛先以外に一度も登場しない。もしエフェソス宛てであれば、知人の名が有りそうなところ、宛先の個人名は一切無い。
但し、エイレナイオス、クレメンスAlxは「ΠΡΟΣ ΕΦΕΣΙΟΥΣ」を踏襲
著者は自分がパウロであり(3:1)拘禁された状態にあることを表明(4:1.6:20)
第一の軟禁期であればミレトスでの告別から3年経過のみ
しかし、ユダヤ人名も出てこない内容はまったく異邦人を対象にしており(2:11.3:1)、相手はパウロと面識が無かった可能性が強い。「アデルフォイ」の呼びかけが挨拶以外無い(これはエフェソス宛てとしては異様Act20:31)(エフェソスに居たユダヤ人Act19:33-34/19:17)またフィリピ書とは対照的(アデルフォイの無いことの考察

(アデルフォイと呼びかけないことで、それ以前の段階にある新規参入者の無割礼聖徒の気持ちを想い計ったか⇒『二つの民をひとつに』は、読者が相当程度ユダヤ人に気後れしていたことを物語っている。おそらくは、ユダヤ人の圧迫を経験していた異邦人を鼓舞する目的があった。著者は最後にだけアデルフォイで呼びかけ、異邦人が同朋となったことを示唆する)

無割礼の異邦人でも新しい聖徒に向けて、その立場に気後れしないよう励ましている
このテーマは、コロサイ、フィリピにもあり、根底には「聖なる者全体のコイノニア」の概念あり。⇒「無酵母パンから生じるエクレシア
セム語的動詞の省略あり1:1「挨拶を送る」が無い(少なくともセム系語の話者が書いている)
パウロ書簡にだけ見られる「子としての身分」1:6 (これはローマ書8章で十分に展開された論議であり、読者にはその予備知識があるらしい。但しペテロ第一やヨハネの著作にもこれに匹敵する認識は十二分にある)

「み心の向かうところ(意向)に応じて」この書簡のみ現れる

「キリストの下にすべてを集める」はコロサイでは更に「和解」を含意
コロサイ書との共通性が高く、テキコによる同一機会での送付の可能性はそれぞれの本文に示唆あり。6:21/Co4:7-9


所見;確かに、この書簡には特異なものが多く、他の地名を冠したパウロ書簡とは雰囲気も目的も異なっている。これはペテロやヤコブのような世界に広がる共同体の全体への、それも無割礼者の新入者らへの格別な書簡と思える。
内容はコロサイ書簡に近く、テキコによる送付も時期は61-2年頃の一回目のローマ軟禁であることの状況は見える。
まずエフェソスのエクレシア宛ての書簡ではなく、パウロと面識のない異邦人の集団宛てであることは内容が明かしている。しかしペテロやヨハネ書簡にように「パウロの手紙」という名称を使うには不都合が多い。「ヘブライ人への書簡」との対照を成す「異邦人への書簡」と敢えて名付けたことが出来たのかも知れないが、おそらくは小アジア州の異邦人に向けたものであったからテュキコスに託していたのであろう。その由来を保つには小アシアの州都エフェソスの名が簡便だったかもしれない。この推論でゆけば、「小アジアの異邦人への手紙」というタイトルが最も相応しい。
そのうえ、ごく初期からエフェソス書簡と呼ばれていたので、その名称を変更することには多くの不利益が生じることになるし、また、どんな相応しい別名を付すべきかも正確には分からない。「ラオディケイア宛」のものではないかとも言われたこともあったが、確たるものは挙がっていない。第一にラオディケイアのユダヤ人会の規模が大きかったことからすると、まるで異邦人のエクレシアだったのかの疑問あり。但し、ラオディケイアとパウロを結びつける記述が無いので、その可能性も無いとも言い切れない。但し、パウロにはヌンファという知人が居て、ラオディケイアに家を集会所に提供していて、そこを彼が訪れた可能性はある。
またもし、パウロがリュコス渓谷方面はエパフラスに任せきりであったのなら、コロサイ書簡との整合性が無い。しかし、パウロが旅程のどこかでコロッサイには寄ったことがあるのなら上記の親密さは説明は付く。確かにコロッサイへの挨拶には知人同士の挨拶が含まれており、ローマ側との面識が各人にあったことが窺える。しかもバルナバの従兄弟のマルコまで知り合いがいるか、あるいはコロッサイに行くと言っている。(Co6:10-12)また、コロッサイのエクレシアはラオディケイアと親しい関係にあることもよく分かる。(6:13-16)しかし、エフェソス宛てとされるこの手紙にはこうしたものが無いのが際立つ。ヘブライ書にも巻頭の挨拶が無く、いきなりに本論が始まるが、最後にテモテの釈放が語られており、読者は彼を何らかの仕方で知っていたことが判る。エフェソスにはそれも無い、まったく無い。
それでも、本書簡は長きにわたり高く評価され、短い文章ながら「パウロ書簡の女王」とも呼ばれていたのに相応しく、前半に於ける構想の壮大さ、後半での善意に沿う生き方の勧めは、一貫した聖性を感じさせる。また、こうした奥義の解明に続く生活面での指導の構成は他のパウロ書簡に共通するものである。

今日では、著者が使徒パウロでないとの見解を当然のようにされているが、その狙いは、新約聖書中で教理の根幹を成すパウロ書簡の中には、出所不明の源もあるとすることで、人間的な著作の集合体に過ぎないと主張したいところにあるものと思われる。これはドイツ的高等批評家の常套手段であり、特にこれを主張する識者においては、例えれば「『相続物』は土地だけである」との主張をしているが、この認識ではアブラハム以来の相続の意義を否定し、信仰というものを拒否することになる。そして実際「神などはいない」と発言したことのある翻訳者がパウロ説に疑いを挟んでいる。この日本で高名な御仁には心の根底に強烈なバイアスが働いていて、最初から結論を抱き、論議を一つの方向に誘導しようとする傾向が見える。
しかし、内容の聖性や経綸認識の高度さは、当時にパウロの認識に到達していなければ書けないもの(キリストの下への被造物の統合、聖霊が聖徒の印であるとの見方)があり、例えパウロでないとしても、他にこれほどの高い認識を示した人物を特定することはできない。それは使徒教父文書に目を通すだけでもエフェソス書の圧倒的優位を認めざるを得ない。内容の聖性を理解できる読み手からすれば、この書簡が、誰とも知れない怪しげなキリスト教徒がパウロを騙り、それらしい語句を並べて書き上げた適当な書なのでは有り得ない。
また、著者がパウロの境遇にあることを何度か語っているが、本来、使徒を装うという倫理的に問題のある人物に、この高い認識を神やキリストが許していたとすれば、それは内容の聖性と矛盾する。もちろん、この著者が誰かということは、とりあえず書簡の内容の吟味の外にあり、それをいつまでも云々する価値は薄い。(そうしたい方が、それによって内容の聖性を否定したいということであれば、その論議についてゆく気はまるでしない。入口で犬に吠えられるようなものだから、さっさと中に入りたい。)
この書簡の目的は、無割礼聖徒の立場を明解にし、契約の民としての自信を促すことにある。その過程での論議の展開から、今日の読者も奥義の知識を得ることができる。
おそらくは、宛先の人々は、パウロがローマで軟禁されている間にに伸張したユダヤ主義の犠牲になっていた(ガラテア書簡の受取人のような)のであろう。この時期、ユダヤ人は愛国的になっており、エクレシア内もその影響が臨んでいたと見ることは的外れではないように思える。ユダヤ人聖徒の優位性のような教えが強い場合、このエフェソス書簡のような内容こそ必要ではないか。
その意味でもこのエフェソス書はヘブライ書と好対照であるばかりか、パウロの双方へのスタンスの違いと使徒時代後期にどれほど『二つの民』への配慮を要したかが窺える。
しかし、ヘブライスタイへの配慮は必要が薄れてゆくことになる。ヘブライ主義が強烈に排他的になってゆき、ナザレ派を消滅に追い込むかディアスポラの各地に散らそうとしていた。それもローマ軍のエルサレム占領が近づく中で、歴史はキリストが命じていた疎開が起こっていたことを知らせる。パウロが大胆にもヘブライ書で律法祭祀が『やがて消え去る』と予告していた通りとなった。


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ひとつの謎はキリストの監臨が何時終わったのかだが、以前に書いたように敵中で何時撤退するのかを通告はしない。まして相手が和解の余地のない悪魔であればなおのこと。
しかし、二世紀の終わり頃に聖霊の賜物は去っていたらしい史料は多い。例えればオリゲネスに賜物は無いと見て良いと思われる。
では、監臨とは何であったのか?
『わたしはもうしばらくあなたがたと共に居る』との句はそれを指していたのか?



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