香油を注ぐ女
ルカ7:37
[ἐν τῇ πόλει]「その都市の中で」
ルカ10:39
[εἰσῆλθεν εἰς κώμην τινά]「とある村に入った」
マタイ21
ロバに乗ったエルサレム入城の後、神殿境内を清めた夜、ベタニヤに宿泊
マタイ26
ベタニヤの癩病人シモンの家で接待を受ける
マルコ11
エリコで盲人を癒した後、ベタニヤとベテパゲに近づいたところで『向こうに見える村』からロバを用意するよう命じる
エルサレム入場後、『遅くなっていたので』十二人と共にベタニヤに行く
次の日、早咲きのイチジクを見つける
マルコ14
『過ぎ越しの二日前』癩病人シモンの家で接待を受ける
香油の注ぎ⇒ユダは祭司長派に内通
ルカ10
ある村のマルタという女がイエスの一行をもてなす。そこにマリアという姉妹がいたマリアはイエスの傍に座って話を聴いていた 32年秋から冬の時期
ルカ19
ベタニヤとベテパゲに近づいたところで『向こうに見える村』からロバを用意するよう命じる
ルカ24
使徒と直弟子らが集まっているところに現れ自らの体を見せる
その後ベタニヤまで彼らを連れて行き、そこから帰天
ヨハネ11
ベタニヤのマルタとマリアのところのラザロが病気になる
ラザロの蘇生『人の子が栄光を受けるためのもの』
蘇生したラザロをも見るために大群衆がその場に押し掛けた
(ヨハネ12によると、エルサレム入場はこの四カ月ほど後になる)
ヨハネ12
過ぎ越しの六日前にベタニヤに到着
場所は不明で、食事の席で香油の注ぎを受ける
おそらく祭司長派はイエスの宿がベタニヤであることを知っている
しかし、騒動になるのを望まなかったのでは?
『ラザロをも殺そうと目論んだ』。聖書にラザロの危機について記述なし
その後どうなったか 共観沈黙の理由
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栄光のキリストが再臨する裁き
『いつ、わたしがあなたにそのようなことをしたでしょうか?』
とは、「人として当然のことをしただけです」の意ではないか。
但し、『弟子であるとの理由で一杯の水を差し出す者は』とあり、また『預言者の報い』とある以上、そこに聖徒の現れによる終末時の聖霊信仰も必須である。
そこで『いつ・・しなかったでしょうか?』と問う『山羊』の側に分けられる人々は「自分は、人として当たり前のことをしなかったでしょうか」と尋ねていることになり、双方ともに自らの行動について是認の上でのことを認めていることになる。
ゆえに、この終末の預言には比喩が込められており、「羊飼いの選り分け」だけでなく聖徒らに対する行動について「自己是認」を共に与えていることが表されている。それゆえにも、キリストによる裁きには、各個人本人が自らを裁いていることになる。
本人の価値観、正義感の発露としての聖徒への反応であり、双方共に良いつもりでいるが、羊に分けられた人々にとっては「当然の事をしたまで」という反応であり、山羊の側の人々は「自分は正しい事を行ったはず」と思い込むのであろう。
即ち、裁かれる個人は、上からの判決を下されるのではなく、聖徒を巡って自らの善悪を確信を以って裁定しているので、反論も弁護の余地も無いことになる。
聖霊の到来によって『世に納得させる証拠を与える』とイエスが言われたのは、この『論破する』という意味を含んでいたと思われる。
Jer25:31 ☜
בָּ֤א שָׁאוֹן֙ עַד־קְצֵ֣ה הָאָ֔רֶץ כִּ֣י רִ֤יב לַֽיהוָה֙ בַּגּוֹיִ֔ם נִשְׁפָּ֥ט ה֖וּא לְכָל־בָּשָׂ֑ר הָרְשָׁעִ֛ים נְתָנָ֥ם לַחֶ֖רֶב נְאֻם־יְהוָֽה׃ ס
[רִ֤יב]=quarrel dispute fight 用例 Isa50:8 [יָרִ֥יב] 「誰がわたしと争い得るか」
For the Lord has a controversy with the nations; 【NKJV】
『主が国々と争い、すべての肉なる者をさばき、悪人をつるぎに渡すからであると、主は言われる』【口語】
単なる「争い」fight [מַאֲבָק]マーヴァク や「戦い」[מִלחָמָה] ミルーハマ だけでない[רִ֤יב]リヴには controversy など論議の衝突の意味がある
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LXX
「マセケット・ソフェリーム」1:7
「五人の長老たちがプトレマイオス王のために五書を翻訳してしまった。その日はイスラエルにとって金の行使が鋳造された日のように耐えがたいものであった。五書は翻訳できないからである」。
LXXを構成するリストは二つ現存しており、一つはサルディスのメリトンのもの、もう一つはオリゲネスによる
メリトンはオネシモス宛の手紙で、自分が東方に旅して旧約文書の構成を確かめたこと
それらが以下のようであったと記す
宛先のオネシモスは度々にメリトンにトーラーとネヴィイームからの抜粋を所望していたという
オリゲネスは、旧約聖典をユダヤ人は22書としており、それは彼らのアルファベットの数に等しいとしている。これはヨセフスの挙げた数字に等しい。
オリゲネスは「(そのほかに)として「サル・ベーツ・サバナイ・エル」と題されたマッカバイカの二書がある」とする
プトレマイオスⅠ世のLXX作成の際の翻訳者らへの試験は、エイレナイオスが伝えているが、それはLXXの正当性を裏付けるためのフィクションではないかとも言われる
当初のエジプトでの翻訳はモーセ五書に限られていたというのが通説となっている
LXXの影響の少ないとされる黙示録ではあるが、旧約からの文言は120か所以上に上るという
マタイもLXXから引用している節がある
Mt19:4で創世記1:27を引用する際に、『創造した』ではなく『作った』としているところ
また次の節で『妻と一体となり』はLXXの語法と一致している
加えて、ホセア6:6、ミカ5:2、ゼカリヤ9:9、マラキ3:1、イザヤ6:9-10、エレミヤ7:11、など、マタイがLXXから引用したケースは少なくない。
これらのLXXからの引用は、初めにヘブライ語で書かれたとされる時点でそこに有ったかは不明であるが、本人により(?)ギリシア語に訳された時点でLXXに頼ったということは十分考えられる
(LXXはあちこち章立てがずれているので一覧が欲しい)
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アッシリア捕囚では、スバルトゥやメディア方面に移住したが
バビロニアほどの強制の徹底が為されず、またユダへの逃げ込みもあり
ごく少数が残留し、メソポタミア特にクタなどユーフラテス流域からの移民と混血
レヴィ族祭司一名の帰郷で、宗教がどの程度の影響を受けたかの記録なく
むしろエレミヤは彼らの多くの部族が、以前の神々への崇拝の方式を用いながら、形ばかりイスラエルの神YHWHを敬っていたとの事情を伝える(列王下17:24-)
キュロスの帰還の勅令に十部族がどう反応したかの記録がほとんど無いが、当時のサマリア人は十部族とは言えず、それはイエスの時代でもそのようである
ゼルバベルの神殿再建事業に抗ったのはこれらの民であり、十部族の帰還民とは言えない。そこで十部族の帰還がどうなったのかを伝える情報がない。
手掛かりになり得るのは、第二神殿の崇拝が及んだ範囲がどの時代にどこまでかとなる
福音書を見る限りでは十部族はサマリア、ガリラヤ、イツリア、ヨルダン方面まで居住している様子であり、それはガリラヤ方面からもエルサレムへ崇拝に上る民が多かったところに表れている。但し、「サマリア人の都市」とされるところでは、その巡礼に対して協力せず、むしろ反対の姿勢を見せた。
アレクサンドロス大王の時代になってから、麾下の将軍アンドロマコスをサマリア人が弑する事件が起きた。331年、大王は下手人を処刑し、以後サマリアにはマケドニア人を入植させたので、以後サマリアはギリシア化されている。そのため、旧住民の多くはサマリアを去り、シェケムに移住していた。⇒ Jh4:5
この時代にサマリア人はゲリツィムに神殿を建立し、その崇拝が機能していたらしい。
最近の研究成果では、この神殿の建設者はネヘミヤ記で悪名あるサンバラトであることが遺構から確認されているという。<彼がエズラ文書を入手していたのでは?>
タルグムがLXXと共通性が高いのは、前三世紀以降に何かの連動があったことを示唆している。<背景に十部族の遅れた帰還があったのではないか?>
BC128と107にヨハナン・ヒュルカノスに攻められ、二度破壊されている。
ゲリツィム神殿の破壊は
BC63 サマリアはポンペイウスの支配下に入り、以後ハスモン朝の支配から外れる。
アウルス・ガビニウスにより首都サマリアは再建され、後にヘロデ大王に与えられた。
ヘロデ大王はこの都市を繁栄させようと、兵籍を離れた元兵士と周辺住民六千を誘致し、防備を施し城市とし、この地を賜わったアウグストゥスの神殿を造営し、それにちなんでセバステと名付けた。
ナザレが程近いが、ヨセフが大工職に在った時期と重なるかは不明。
⇒ ペテロ第一4:6 - Notae ad Quartodecimani
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モレシェト:リブラの東、オストラカで有名なラキシュとアゼカという二つの要塞都市の中間にある。エルサレムから南西35kmほど ヘブロンからは西北西20kmほど
アシュケロンと同緯度でシェフェラでは肥沃 しかし、完全な同定にはない
何度かフィリスティアの勢力下に入っている