Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

アモス書のメモ

 アモスは、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルらのようなレヴィ族の血統になく、ユダ中部のテコアの牧人であり、いちじくの実に細工する作業に雇われて副業も行う季節労働者でもあったが、あるときからイスラエル預言者として遣わされた。

その職業のため、彼に啓示された内容は当初は周囲に受け入れ難かったと思われ、それはベテルの祭司アマジアの言葉にも表れている。

書かれたこの預言書の執筆者は彼自身ではない。その預言に価値を見出した書士らしき何者かの人物によって書き残された。

しかし、この預言書に中に記された「地震」は二年後に顕著な仕方で現実となり、それはイスラエルの全体に驚きを与えた。そこでこの書がイザヤの預言の初期かそれ以前に書かれたことを示唆している。また、書として記述されたのが地震の後であることが分かる。「アモスより四世紀後に書かれたゼカリヤ14:5にも言及されており、地震パレスチナでは珍しいものではないが、アモスの預言の信憑性を証しするものとなったことは有り得る」#

ゼカリヤによれば、その地震のために人々はエルサレムから逃避している。これは歩けるほどの揺れであったのか、或いは、余震を恐れて建物の倒壊から逃れるためであったとも考えられる。

その成就となった地震の規模が小さくなかったことは、この預言が北イスラエルだけでなく、ユダにも語られているところ、また、ユダの王ウジヤの時代に起った地震の記載がゼカリヤ書にもあることから類推できる。ヨセフスは、ウジヤが癩病を発症した時にその地震が起こったとするのだがこれは疑わしい。もし、この伝承が正しくないとすれば、ウジヤが癩病人として病床にあり、ヨタムが摂政であった時に地震があったことになるが、それはヨタムの治世を傷つけるように意味にもとれるので、そうなるとヨセフスの言うタイミングがベストにはなるのだが・・

地震についてはハガイにも有るが、そちらの地震は人類社会への神からの衝撃的音信への反応として述べられている。しかし、アモスの預言は、イスラエル12部族への衝撃の音信であり、その結果はハガイと異なり望ましいものとはならない。同一の対型の両面を語っている可能性は小さくない>

いずれにせよ、この地震と、数年の内にイスラエルが捕囚にされることを知らせたことが実現することにより、アモスの預言は不動の位置を占めるに至っている。「YHWHの名によって語りその通りになるならば」

ウジヤは前785年に即位し、ユダ王国を繁栄させている。ヤラベアムⅡ世は前782年に即位し、やはりイスラエル王国の繁栄させダマスコスから死海までに版図を広げている。

前748年にヤラベアムⅡ世が崩御しており、その中でアモスの活動は前750頃と考えられている。ウジヤの後を継いでヨタムが単独王として即位したのは前777年であった。ウジヤの最後の11年は病床にあり、ヨタムが共同の王として摂政を務めた。

アッシリアによるサマリア攻撃は前721年。諸王国の栄枯盛衰の速度は速い。

 

1:11-12 エドムへの託宣

これはアモスよりずっと後代を予告している。

「これは前586年のユダの陥落に完全に合致している」「この託宣は前八世紀には全く調和しない。前八世紀に至るまでエドムは、記録によれば(例えれば列王第一11:14-16)、エドムが加えた以上の残虐行為をイスラエルの手によって受けた」#Henry McKeating "The book of Amos & Hosea"1971

 

 3:9 アシュドドは、LXXがしているように、おそらくアッシリアと読むべきであろう。ヘブライ語に於いてこの二つの語が類似しており、容易に混同される。同時代の二つの覇権国家の到来はサマリアにとって如何に壊滅の期が熟しているかを証しするものである。#

 

度々現れる「ギルガル」はベテルに近い場所にあるものと考えられている。

サマリアに関しては夏の家、冬の家、大きな家、象牙の家や寝床などの豪奢な生活への批難が見られるが、牧夫と家との対立関係があるとも。

 

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ダマスコス(シリア)、ガザ(フィリスティア)、ティルスフェニキア)、エドム、アンモン、モアブ、ユダ、イスラエルに糾弾の言葉が続くが、イスラエルに対する言葉が長い。ヤラベアムⅡ世の死を予告し、民の流刑によりその繁栄が喪に服すことになる。

約束をしたのでないのに二人が一緒に歩くか

神は預言者に告げたのでない限り何も行われない

ゆえに、この言葉をエジプトとアシュドド#の塔の上から言い広めよ

真昼に太陽が沈み、晴れた日に闇が地を覆う。

YHWHの言葉を聴くことの飢饉を臨ませる。探しても見いだせない。

わたしは下げ振りをイスラエルの中に下げ、もはや許すことをしない

柱頭が打たれて全体が振え、イスラエルの家の全体が揺すられ災いが臨む。

イスラエルの家よ、わたしはあなたに向かって一つの国民を興す

しかし、ヤコブの家は滅ぼし尽くされず、ダヴィドの仮小屋を興し、エドムに奪われた土地を回復する。それには諸国民も関わりを持つ。⇒エルサレム会議

鋤かえす者が収穫する者に追いつくという約束の地での繁栄を享受することになる。有り得ないほどの驚異的収穫の予告<終末のスッコートと関わりがあるかも知れない>

 

異教崇拝と繁栄からの突然の喪失と流刑

それに対する回復と更なる繁栄の予告

 

 

所見;マクキーティングのいうように、アシュドドがアッシリアである必要はあまりない。むしろ問題は預言がされていたことの証言者になることにある。

アモスは「アッシリア」の言葉を明らかに避けている。そこはホセアとは対照的で、ニネヴェも出て来ないところはヨナやナホムとまるで異なっており、アッシリアを責める句も使役する句も直接には無い。

これらの預言では、十部族の王国への預言に含めて終末がオーヴァーラップする。異教に堕したキリスト教界への警告らしく、突然に襲う闇と神の言葉の飢饉とが臨むのは、聖徒らの宣教によるものと思われる。聖徒らの宣教が起れば、キリスト教界が聖典に根拠をまるで持てなくなることは今からでも想像に難くない。それまでの解釈が無意味になり、聖典を読む意味さえなくなる。

しかし、その破滅から回復があり、残った者らがダヴィドの仮小屋を復興する。仮小屋というのは、スッコートを関わりがあるかはまだよく分からない。むしろ、王権の予備段階を言うのかも知れない。レヴィはスッコートの間はどう過ごす?<どうもスカとは別物らしい、もし祭りのスカなら「ダヴィドの」とは言うまい。あるいは神殿前段階、聖徒の地上崇拝を指すか?>

地震についてはハガイよりはゼカリヤに関連が明確にある。その黙示を解く鍵でもあるが、しかし、ネヴィイームの全体を合わせるとより統一されるような気がする。黙示録との関連もはっきりしたところがある。十分の一というキリスト教界の明解な分離であり、シオンの罪はバビロンに移される。そのきっかけを作るのが地震による七千の名の消滅であろう。