Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

回復の預言7


回復に関わる12預言書から

ゼパニヤはエレミヤの一世代前に在ってヨシヤ王の時代からその子らの愚昧な支配の時代に後のユダの荒廃を予告する激しい預言を伝えている。
その激烈な破滅の言葉は、当時のユダヤに成就する規模を遥かに超えており、人類世界の終局をすら言及するものとなっている。
しかし、その中に回復に関する部分が含まれており、世の終末の中で、滅び行く世と、回復される崇拝とが対照されている。

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3:8-20 「『わたしが獲物に向かって立ち上がる日までわたしを待て』とYHWHはお告げになる『わたしの司法上の決定は、諸国民を集め、わたしがもろもろの王国を集め寄せて、その上にわたしの糾弾を、わたしの燃える怒りをことごとく注ぐことだからである。わたしの熱心の火によって全地はむさぼり食われるのである。その時わたしはもろもろの民に清い言語への変化を与える。それは、すべての者がYHWHの名を呼び求め、肩を並べて仕えるためである』

エチオピアの川の地方から、わたしに懇願する者たち、すなわち、わたしの散らされた者たちの娘がわたしのもとに贈り物を携えて来る。その日、あなたはわたしに対して違犯をおかしたそのすべての行ないのゆえに恥じることはないであろう。
その時わたしは、傲慢に勝ち誇る者らをあなたの中から除き去るからである。あなたは二度とわたしの聖なる山でごう慢になることはない。そしてわたしは必ずあなたの中に、謙遜でへりくだった民を残す。
彼らはまさにYHWHの名に避け所を得るであろう。イスラエルの残っている者たちは、何も不義を行なわず、偽りを語らず、その口にたばかりの舌が見いだされることもない。彼らは食物を得、まさに身を伸ばして横たわり、おののかせる者はいないのである」

シオンの娘よ、喜びの叫びを上げよ。イスラエルよ、歓呼せよ。エルサレムの娘よ、心のかぎり歓びかつ歓喜せよ。YHWHはあなたに対する裁きを取り除かれた。あなたの敵を退けてくださった。イスラエルの王エホバがあなたの中におられる。あなたはもはや災いを恐れない。
 その日エルサレムに向かってこう言われる。「シオンよ、恐れてはいけない。あなたの手を垂れ下がらせてはいけない。あなたの神YHWHがあなたの中におられる。強大な方であり、救いを施してくださる。歓びを抱いてあなたのことを歓喜される。その愛のうちに沈黙される。幸福な叫びを上げてあなたのことを喜ばれる。

「祭りの時に共にいることができないで悲嘆に打ちひしがれていた者たちをわたしは必ず集める。彼らはあなたと共にいることができなかった。シオンのゆえにそしりを忍んでいたためである。
見よ、わたしはその時、あなたを苦しめるすべての者に対して行動する。わたしは足のなえている者を救い、散らされている者を集め寄せる。そうして彼らを、その辱めを受けたすべての地において賛美また名として立てる。
その時、すなわちわたしがあなた方を集め寄せるその時に、わたしはあなた方を連れて来る。あなた方の目の前に捕らわれ人たちを連れ戻す時、わたしはあなた方を、地のすべての民の中で名とし、賛美とするのである」と、YHWHは言われた。


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ゼカリヤ書は最終のマラキの前に位置することはTANAKHでも同様である。
書かれた時期は預言者ハガイと対を成すかのように、第二神殿の造営の時期である。
したがってバビロン捕囚後の、まさに崇拝復興の時期に当たるので、この預言は将来の「回復」を相当程度含んでいる。
預言のヴィジョンの大きさや大胆さ、また独自性に於いて堂々たるものがあり、また黙示録並みに理解の難しいところも多い。

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12:2-11「わたしはエルサレムを、周囲の民をよろめかす杯にしようとしている。エルサレムの攻め囲まれる時、ユダにも及ぶ。
その日には、わたしはエルサレムをすべての民に対して重い石とする。・・地の国々の民は皆集まって、これを攻める。
その日には、すべての馬を撃って驚かせ、乗り手を撃って狂わせる。しかし、ユダの家に対しては、わたしの目を開く。
その時ユダの諸族は『エルサレムの住民は、その神、万軍のYHWHによって力強くなった』と言う。
その日には、わたしはユダの諸族を、火皿のようにし、麦束の中のたいまつのようにする。彼らは右に左に、その周囲にあるすべての民を、焼き滅ぼす。しかしエルサレムはなお、そのもとの所、すなわちエルサレムで、人の住む所となる。
主はまずユダの幕屋を救われる。これはダビデの家の光栄と、エルサレムの住民の光栄とが、ユダの光栄にまさることのないようにするためである。
その日、YHWHエルサレムの住民を守られる。彼らの中の弱い者も、その日には、ダビデのようになる。またダビデの家は神のように、彼らに先だつ主の使のようになる。
その日には、わたしはエルサレムに攻めて来る国民を、ことごとく滅ぼす。
わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと願いの霊を注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、初子のために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。
その日には、エルサレムの嘆きは、メギドの平野にあったハダド・リンモンの嘆き(崩壊の始まり)のように大きい。
(この後に、氏族縁族毎に悲嘆する)


これは天に行く聖徒らの諸国民への復讐を描いている。
ユダ族は聖徒の王権を表し、その力は諸国民を砕く。
一方エルサレム■は保護を受けるが、これは聖徒ではないながら神の側に居る人々を表していよう。彼らの嘆きは聖徒たちが諸国民の攻撃によって死を迎えることを指しているだろう。そこでは彼らの主と同様に「刺し通す者」らが居る。■エルサレムの住民」が「エルサレムの子ら」とは異なると解釈して








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