Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

無名人の名

 

 


古来、聖書中に登場しながら目立たない人物についての付加情報が伝えられている。

信憑性は高くないが、関心が払われてきた痕跡ではある。

-----------------

 


アポクリファの『ヨベル書』によれば、この女性は実際にはカインの妹で、名前はアワンだった。1290年に書かれた文章を集めた『黄金伝説(聖人伝』にも、アクリマとデルボラの名が記されている。

 


創世記7章にノアの妻が登場するが、彼女の名前は

古代ユダヤの偽典『ヨビレ書』ではエムザラと呼ばれている。創世記ラバと呼ばれる別の非正典的なユダヤ教のテキストでは、彼女の名前はナアマとされている。

 


古代ユダヤ教のテキスト『レビ記注解』にモーセの母となるファラオの娘がビシア(Bithiah)またはビティア(Bitya)と名付けられているのをはじめ、いくつかの文書に登場する。カイザリアのエウセビオスが書いた4世紀の書物『プラエパラティオエヴァンゲリカ(Praeparatio Evangelica)』ではメリス(Merris)と呼ばれ、歴史家フラウィウス・ヨセフスはテルミュティス(Thermutis)と呼んでいる。

 


シバの女王は、伝統的なエチオピアの伝承ではマケダと名付けられ、イスラムの伝承ではビルキスとされている。ローマ・ユダヤの歴史家フラウィウス・ヨセフスもまた、ニカウレーという名前に言及している。

 


ルカによる福音書』2章には、イエスが生まれたとき羊飼いたちがその場所にいたことが書かれているが、その羊飼いたちが誰であったかは書かれていない。『蜂の書』は、彼らをアシェル、バルシャバ、ヨセフ、ユストゥス、ニコデモ、ゼブルンとしている。『蜂の書』は、東方教会の司教であったアクラトのソロモンによって書かれた13世紀の神学的・歴史的テキスト集である。

 


三賢人あるいは三人の王としても知られるマギは、イエスが誕生したときに訪れ、黄金、乳香、没薬という贈り物を携えてきた。西洋の伝統ではバルタザール、メルキオール、ガスパールと名付けられたが、他の伝統では異なるバージョンがある。

たとえば『蜂の書』には、実際には12人の賢者がいたと書かれている。『Excerpta Latina Barbari(ラテン語による異邦人抜粋)』と呼ばれるテキストは、彼らの名前をバスタザル、メリキオル、ガタスパと記している。エチオピアアポクリファルである『アダムの書』には、バサナテル、ホル、カルスダンと記されている。さらに、シリア・キリスト教の民間伝承では、ラルバンダード、ホルミスダス、グシュナサフと呼ばれている。⇒ 「gog」

 


ヨセフの娘らについては、非正典である『フィリポによる福音書』には、マリア(母ではなく妹)という記述がある。『大工ヨセフの歴史』と呼ばれる別のテキストには、アッシアとリディアの名が記されている<これは信じ難い>。マリア、アンナ、サロメという名前はサラミスのエピファニウスのテキストに見られ、テーベのヒッポリュトスの年代記にはマルタ、エステル、サロメという名前が記されている。

 


聖書には、名もなき子供たちが数多く登場する。たとえば、『マタイによる福音書』18章2節には、イエスがひとりの幼子を呼び寄せたときのことが書かれている。この子供は、後にアンティオキアの司教となるイグナティウス、別名アンティオキアの聖イグナティウスであると『蜂の書』に記されている。<これは年代がギリギリな上、信じ難い。ならば彼が旧約に通じておらず、加えてギリシア名でもあるのはどうか>

 


『マタイによる福音書』15章22-28節と『マルコによる福音書』7章25-30節には、悪霊に取りつかれた娘を救ってほしいとイエスに願った女性の話が書かれている。

聖書には名前は記されていない。しかし、3世紀に書かれた『クレメンス偽書』によれば、その女性の名前はユスタ、その娘はベレニケーと呼ばれていた。<ギリシア名であるところは整合>

 


『ニコデモの福音書』と呼ばれる非正典のテキストにある。このテキストによれば、左右の盗賊はゲスタスとディスマスと呼ばれていた。しかし、アポクリファルのアラビア語福音書『幼児記』の中では、ティトゥスとドゥマコスと呼ばれている。

 


マタイによる福音書27章48節、『マルコによる福音書』15章36節、『ヨハネによる福音書』19章29-30節には、イエスが十字架に架けられている間に、一人の男が酢入りのスポンジ(海綿)をイエスに差し出して飲ませたことが書かれている。しかし、この男は誰だったかにつき、10世紀のエグベルト写本はこの男をアガトンと呼んでいる。

 


アポクリファ福音書『ピラトの使徒行伝』には、聖槍として知られるようになった槍を振るった兵士の名前がロンギヌスであったと記されている。<意味合わせ?>

 


ゴルゴタについて、2世紀の非正典である『ペテロの福音書』には、兵士らの名前は記されていないが、ペトロニウスというローマの百人隊長によって監督、監視されていたことが記されている。⇒ (ペテロ福音) 「十四日派人士」

『蜂の書』にはもっと多くのことが書かれている。5人の衛兵がいて、イッサカル、ガド、マティアス、バルナバ、シモンという名前だったようだ。しかし、『蜂の書』にはもう一つの節がある。 「しかし、彼らは合計15人で3人の百人隊長とローマ兵とユダヤ兵でいたと言う者もいる」と。<ユダヤ名が五人というところはユダヤ兵の存在を示唆はしている>

 

 

μεγαλύτερος αδερφός

νεότερος αδερφός 

αδελφή

μικρότερη αδερφή

 

ユダヤ人はローマが帝国となってから安息日の件で徴兵を免除されていたのであれば、これは志願兵か?また神殿警護隊が墓守をしていたのであれば、警護隊は異邦人であったか?

しかし、警護隊の指揮官がユダヤ人であろうところを見ると、すくなくとも無割礼の異邦人は聖所内を警護できず、それはローマ軍が「外の中庭」まで管轄できたことと変わりないので、警護隊はユダヤ兵で構成されていたとみるべきらしい。やはり「外の中庭」は異邦人との接点であったといえる。

総督の兵は『ユダヤ人の王よ』と侮蔑している

この件では、アンティパスの軍はユダヤ人で構成されていたらしくその衛兵らはイエスに『ユダヤ人の王よ』との侮蔑の言葉がない。<もっともアンティパスへの引き渡しに関する記述は少ないが>