Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

フォベオマイとセボメノイの件

使徒13:43「神を敬う改宗者ら」[σεβομένων προσηλύτων] この「改宗者ら」を後代の付加と見る研究者は多い。理由は、古来のユダヤ教ではセボメノイを割礼した改宗者とは言えないからである。
この後の文脈はユダヤ人にだけ話されており、この節でも会堂の集会に参加していた者を指すのであるから、このセボメノイはフォベオマイを指すのではなく、単に「神を崇敬している」ことを言うのであろう。(パウロ一行にその判別が出来なかったろうから、改宗者を含んでのことではないか)
この語は直後に『神を敬う貴婦人』[σεβομένας γυναῖκας]とあるが、ユダヤ教の女性への観方からすると少々混乱するが、フォベオマイ以上の熱心さを見る。
この節以降ルカはフォボメノイ[φοβούμενοι](13:16)を使わずセボメノイを使う。(16:14/17:4/18/7)いずれも一般的な意味での崇敬者を指している。最後の事例(ティティウス・ユストゥス)については、ルカ自身が改宗者か否か判別していなかったのではないか(ユダヤの名ではないが)。言行録から判断する場合、改宗者以前の段階にあるものはフォベオマイとされていたことになろう。

ルカは言行録前半に於いて、イエス派になりうるユダヤの民を[λαος]と呼び、一般的な群衆を[όχλος](14:19等)とを区別して用いている。

ミレトスの劇場で発見された碑文「神を畏れる(セオビオン)ユダヤ人の座席」については、H.Hommelは異邦人には「ユダヤ人」で通っていた異邦改宗者を意味すると解しているらしい。つまり、異邦人一般からはユダヤ教徒を一括りに「ユダヤ人」と呼んだからであろう。"Juden und Christen im kaiserzeitlichen Milet;überlegungen yur Theaterinschrift,"IM25,p167-95
おそらくは、異邦人ユダヤ教徒もそう呼ばれて悪い気はしなかったように思われる。この特権意識があるところにクリスティアノイが現れたわけであるから・・

ユダヤ教内部の事情についてルカがたまに曖昧であることに加え、割礼組から外されていることから、識者から彼は異邦人とされる。
また、パレスチナの地理には(海岸地方の一部を除き)まったく疎いことは明らかで、ユダヤ教の習慣についても熟知していないようなところがある。
しかし、彼の文面には引用でない福音史家的文にヘブライ語の特徴も見られる。
何らかの理由(テモテのように)で無割礼ながら、母親がユダヤ人なのではないだろうか?ギリシア語のほかにヘブライ語と(幾らかのアラム語)に不自由なかったように思える。
福音書のマルコにも似たようなところが感じられる。マルコはその名からしディアスポラらしくユダヤ人の描写で第三者的に述べるのに流暢だが、エルサレムに母の家があり、そこはイエス派の集まる場でもあった。よりユダヤ人のマルコはルカよりはユダヤの物事や地理やアラム語に通じている。
(マルコについてはイエスに会ったことがないとの伝承があるが、三歳くらいの幼少であったか、キプロスに預けらていたのか/47年頃に17歳とすると30年生になる)
無割礼であったにせよ、ルカをイスラエル民族と見做すかどうかは、そう簡単に白黒つけられそうにない。



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