Γωγ καὶ τὴν γῆν τοῦ Μαγωγ
וְאָ֣מַרְתָּ֔ כֹּ֥ה אָמַ֖ר אֲדֹנָ֣י יְהוִ֑ה הִנְנִ֤י אֵלֶ֨יךָ֙ גֹּ֔וג נְשִׂ֕יא רֹ֖אשׁ מֶ֥שֶׁךְ וְתֻבָֽל׃
[Υἱὲ ἀνθρώπου, στήρισον τὸ πρόσωπόν σου ἐπὶ Γωγ καὶ τὴν γῆν τοῦ Μαγωγ, ἄρχοντα Ρως, Μοσοχ καὶ Θοβελ, καὶ προφήτευσον ἐπ᾽ αὐτὸν]Ez38
メディアの部族名マゴイ(マグorマギ)が祭司or魔術師を意味する語として残ったことからも、メディア人がアケメネス朝時代にも活発に活動していたことがわかる。その後メディア人はペルシア人と同化し、すでにアケメネス朝時代半ばには厳密に区別されなくなっていた。
cf;[τὸν Γὼγ καὶ Μαγώγ, ]「ゴグとゴグの故地」ヤペテ系Gen10:2 創世記では「マゴグ」の名のままで記載 アヴェスター語形マグ(magu, maγu)に由来
[אֶל־גֹּוג֙ אֶ֣רֶץ הַמָּגֹ֔וג]メシェクとトバルもヤペテの子、メディア=ペルシア⇒コーカソイド
マゴイ[μάγοι]は継嗣の絶えたカンビュセスの治世の末期にペルシア王位を内密に簒奪し7か月に及んだが、これをペルシア人ダレイオスら7人が処罰し、ダレイオスが王とされた。(ガウマタの出自には異説有り複雑)
マギ=幼子イエスを訪ねた不吉な三人の東方の占星術家⇒magic語源
シリア伝承では、ラルヴァンダド(Larvandad),ホルミスダス(Hormisdas), グシュナサファ(Gushnasaph)ペルシア語の人名として意味をなしているという。
ゾロアスターの神アフラ・マツダはヒッタイト、ミタンニではヴァルナ神と呼ばれていた。
バビロニア語は後期アッカド語に近く共にセム語、1940年代にアッカド語からシュメール語が解読された。
黙示録でサタンの解放後に再登場する理由は、契約を逸脱した者らの復活を示すか
[מגוג] künstliche Bildung = Heimat von Gog
artificial form = home of Gog
これを単純に「ゴグの家」と訳したか!
この編者の意図は、Ezk38:2に『マゴグの地のゴグ』とあるから『マゴグ』を『ゴグ』の[Heimat]としたのであり、何もこの辞書< ”Lexicon in veteris testamenti Libros”>が独自のことを言っているわけではないではないか!しかもドイツ語での”Heimat”の第一義「故郷」をそのまま英語の”home”を「家」と思わせぶりに訳してしまっている。
なんというお粗末! これは新世界訳が日本語に翻訳されたときに起こったことであろう。「従順」は「忠節」には遥かに及ばない!しかも、日本語への訳者はこの辞書を見てはいないことが明らかだ。なんでも英語だけで判断できると思ったか!そのうえ肝心なエゼキエルの句を考慮さえしていない。ただ英語を日本語に移しただけではないか!
この句での『マゴグ』は『ゴグ』の棲む地方を指しており、ヤペテのトーレドートの『マゴグ』を指していないことをこの辞書の編者は「造語」として指している。それは実際の家系を離れた象徴となっているであろう。北の辺境に棲む民を用いて、文明の中央に侵略を仕掛ける北狄を表している。これは方角を指すよりはその蛮性を描写しているとも読める。もうひとつには『北の果て』は示す至上の権力、その比類ない強力さともとれる。
[גּוגּ]文字発音は同じで、ルベン系のヨエルの孫、これが初出で以後エゼキエルの当該箇所まで無し。やはり後の名は特殊な人物を指している。
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[הֲמֹונָ֖ה] vulgar throng
大衆というものが、目先の欲望に流されるところをよく捉えた言い回しであると思える。
俗世が『この世』のままであるように、普通選挙の盲点がここにある。民主主義はリテラシーある「市民」を想定していたが、実際に参政してきたのは「大衆」で、目先の利得と感情で判断する大多数であった。民主主義の危うさがここにある。
エゼキエルの預言が描き出しているのは、サタンの誘導に簡単にのってしまう大多数であり、その膨大な群れはヘブライ語でも「俗衆」と呼ばれていたことになる。「ゴグの俗衆の谷」[אֶל־גֵּ֖יא הֲמֹ֥ון גֹּֽוג]即ち「ハモナ」[הֲמֹונָ֖ה]
問題は衆愚にあるのではなく、利己的で欲得にさもしい人々が多数を占めるところにある!
そして「ご利益信仰」がある。これが極まる終末に、反キリストの背教にのってしまう群衆は数が多いのであろう。
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