Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

ペテロの言い替え

Act2:27
[ὅτι οὐκ ἐγκαταλείψεις τὴν ψυχήν μου εἰς ᾅδην
οὐδὲ δώσεις τὸν ὅσιόν σου ἰδεῖν διαφθοράν.*]

Act2:31
[προϊδὼν ἐλάλησεν περὶ τῆς ἀναστάσεως τοῦ Χριστοῦ ὅτι οὔτε ἐγκατελείφθη εἰς ᾅδην οὔτε ἡ σὰρξ αὐτοῦ εἶδεν διαφθοράν.]


引用箇所

  • LXX

[ὅτι οὐκ ἐγκαταλείψεις τὴν ψυχήν μου εἰς ᾅδην
οὐδὲ δώσεις τὸν ὅσιόν σου ἰδεῖν διαφθοράν.]

  • Act

[ὅτι οὐκ ἐγκαταλείψεις τὴν ψυχήν μου εἰς ᾅδην
οὐδὲ δώσεις τὸν ὅσιόν σου ἰδεῖν διαφθοράν.]27

  • ペテロの要約

[ὅτι οὔτε ἐγκατελείφθη εἰς ᾅδην οὔτε ἡ σὰρξ αὐτοῦ εἶδεν διαφθοράν.]31


ペテロは意識なくこう要約したのかも知れないが、意味深い。確かに朽ちるのは「肉」であって「魂」ではない。「魂」とは人そのものという議論はますます成り立たない。もちろん死後に意識ある魂が存在し続けるということでもない。
しかし、聴衆はこれをアラム語で聴いたか、ヘブライ語で聴いたのか。外地からのユダヤ教徒に最も通じる言葉だったか、異言を受けた直後とはいえ、彼がギリシア語で話したとは到底思えない。(キプロスに本家のあったらしい(サラミス?)マルコが彼の通訳となっている)
cf;Act21:40
Act16章以前の内容をルカはどのように伝聞したのだろうか?福音書から書いているので、相当量の情報を得ていたろうし、それはおそらく62年より後までに(12年間以上)蓄積されたものに違いない。

                                      • -

シャヴオートの日にペテロは確かに「イスラエルの人々よ」と呼びかけてはいる。しかし、これをディアスポラながら血統上のイスラエルだけに呼びかけているとはとれない。
この文脈で改宗者が居て、アラブ人やクレタ人が居たことが明記されている。その人々がまったく好奇心だけで使徒らの許に来たとは思えない。なぜなら、彼らは祭りに来て逗留していたからである。
その日にバプテスマを受けた三千人の中にこれらの異邦人改宗者も居たと見るのが自然であろう。なぜここでサマリアが含まれないかと言えば、神殿域への入場が許されていなかったうえ、当時のユダヤ教徒サマリア嫌悪はすさまじいほどであったから、エルサレムにも上っては行かなかったからである。彼らには廃墟ながらゲリツィムがあった。この事を念頭に置くとイエスの『ユダヤサマリアの全土、また・・』との言葉には意味深いものがある。
従って、49年以前にコルネリウス聖霊が降ったのは、改宗者でもなく割礼を受けていないフォボメノイへの解錠であったことになる。
つまり、フォボメノイはシュナゴーグには入れても、カハルに入らずにいたことになる。故に、使徒らの時代に「異邦人」というのは、フォボメノイ以下の総称であったことになり、必ずしも非イスラエルの血統に無い者を一律に意味しなかった。それは、前にも書いたが、異邦人は割礼改宗者をも含めて「ユダヤ人」と呼ぶ習慣があった事と一致する。ただ、フォボメノイを諸国民がどう見做していたかの資料にはまだ行き当たっていない。それでも、律法とアブラハム契約からすれば、それは至極自然な発想であったに違いない。そこでエルサレム会議の議決がどれほど大きな転換となっていたかが見えて来る。
この点で、エピオピアの宦官については未知の部分がある。彼のバプテスマ聖霊の注ぎを明らかに期待してはいなかった。その後にその機会が開かれたのかも知れないが、フィリポに依願したときにはそうでは無かったように読める。彼が割礼を受けたどうかが全く分からない。本当の肉体的宦官であれば、割礼を施すことも出来なかったかも知れず、その場合は律法でカハルには入れないが、彼の宦官は名目だけであったと言われる所以はここにあるのだろう。それであれば、彼は割礼を受けたカハルに入るユダヤ教徒であった可能性が高い。
では、この宦官の受けたバプテスマは、あの三千人と同じ意味を持ち、いずれは聖霊を受けたと見ることもできる。
この点で、サマリアのケースでは使徒らが手を置いてゆくと聖霊が降っており、おそらくはバプテスマ聖霊の注ぎまでに相当な時差がある。そこでエチオピアの宦官の場合にはエチオピアとの関連が伝承されるマタイの到着までまったろうか?それはない。なぜなら、鍵を解くのは使徒ペテロの役割であったからで、その仮定でも、既にコルネリウスに鍵は解かれて、別の聖徒がこの宦官に手を置いてそこに聖霊が降った可能性が高い。
だが同時に、最後まで聖霊は降らなかったということも考えられないわけではない。彼はフィリポが取り去られても『喜びつつ、自分の道を下っていった』とある言葉に、聖霊に関してどんな含蓄があるのかは聖書からは未知となる。






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