Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

雑記録20.04

 

Levi9:7

[וַיֹּ֨אמֶר מֹשֶׁ֜ה אֶֽל־אַהֲרֹ֗ן קְרַ֤ב אֶל־הַמִּזְבֵּ֨חַ֙ וַעֲשֵׂ֞ה אֶת־חַטָּֽאתְךָ֙ וְאֶת־עֹ֣לָתֶ֔ךָ וְכַפֵּ֥ר בַּֽעַדְךָ֖ וּבְעַ֣ד הָעָ֑ם וַעֲשֵׂ֞ה אֶת־קָרְבַּ֤ן הָעָם֙ וְכַפֵּ֣ר בַּֽעֲדָ֔ם כַּאֲשֶׁ֖ר צִוָּ֥ה יְהוָֽה׃]

And Moses said to Aaron, "Go to the altar, offer your sin offering and your burnt offering, and make atonement for yourself and for the people. Offer the offering of the people, and make atonement for them, as the Lord commanded."

 

Levi16:17

וְכָל־אָדָ֞ם לֹא־יִהְיֶ֣ה׀ בְּאֹ֣הֶל מֹועֵ֗ד בְּבֹאֹ֛ו לְכַפֵּ֥ר בַּקֹּ֖דֶשׁ עַד־צֵאתֹ֑ו וְכִפֶּ֤ר בַּעֲדֹו֙ וּבְעַ֣ד בֵּיתֹ֔ו וּבְעַ֖ד כָּל־קְהַ֥ל יִשְׂרָאֵֽל

 

"There shall be no man in the tabernacle of meeting when he goes in to make atonement in the Holy Place, until he comes out, that he may make atonement for himself, for his household, and for all the assembly of Israel.

 

 

Heb10:18 これらの赦しのあるところには、もはや罪のための犠牲は存在しない

 

Ga2:20 わたしはキリストと共に刑木に掛けられた(アオ)

生きているのはもはやわたしではなくキリストである

 

Jh14:13 あなたがたがわたしの名によって求めることは何であれ行おう

父が子との関わりによって栄光を受ける・・・

 

Jh1:26 あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。

ἀπεκρίθη αὐτοῖς ὁ Ἰωάννης λέγων· ἐγὼ βαπτίζω ἐν ὕδατι· μέσος ὑμῶν ἕστηκεν ὃν ὑμεῖς οὐκ οἴδατε,

Lk17:21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

οὐδὲ ἐροῦσιν· ἰδοὺ ὧδε ἤ· ἐκεῖ, ἰδοὺ γὰρ ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ ἐντὸς ὑμῶν ἐστιν.

 

 ACT6:1 

そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。【口語】

苦情が出た 【岩波委員】 complaint 【NKJV】

γογγυσμὸς

1) a murmur, murmuring, muttering 1a) a secret debate 1b) a secret displeasure not openly avowed

1)つぶやき、つぶやき、つぶやき1a)秘密の討論1b)公然と公言されていない秘密の不快感

コイネーそのものでは「苦情」でも「申し立てる」にもならない。指導部が民の中の声を拾っていたと思われる。

 

 Mt23:33 

ὄφεις, γεννήματα ἐχιδνῶν, πῶς φύγητε ἀπὸ τῆς κρίσεως τῆς γεέννης;

Ye serpents, ye generation of vipers, how can ye escape the damnation of hell? KJV

蛇よ、蝮の裔よ、なんぢら爭でゲヘナの刑罰を避け得んや。大正文語

Act2:27

ὅτι οὐκ ἐγκαταλείψεις τὴν ψυχήν μου εἰς ᾅδην

οὐδὲ δώσεις τὸν ὅσιόν σου ἰδεῖν διαφθοράν.

 Because thou wilt not leave my soul in hell, neither wilt thou suffer thine Holy One to see corruption.

汝わが靈魂を黄泉に棄て置かず、

汝の聖者の朽果つることを許し給はざればなり。大正文語

 

・体を殺しても魂を殺すことのできない者を恐れるな、むしろ体も魂も共にゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れよ。Mt10:28

 

・死んだ者の神ではなく生きている者の神だ

「神にとっては生きている」Lk20:38

 

・その魂を墓に捨て置かれることなく・・復活させた

 

Rev15:1-4 [חסד]がある

1 Καὶ εἶδον ἄλλο σημεῖον ἐν τῷ οὐρανῷ μέγα καὶ θαυμαστόν, ἀγγέλους ἑπτὰ ἔχοντας πληγὰς ἑπτὰ τὰς ἐσχάτας, ὅτι ἐν αὐταῖς ἐτελέσθη ὁ θυμὸς τοῦ θεοῦ.
 2 Καὶ εἶδον ὡς θάλασσαν ὑαλίνην μεμιγμένην πυρὶ καὶ τοὺς νικῶντας ἐκ τοῦ θηρίου καὶ ἐκ τῆς εἰκόνος αὐτοῦ καὶ ἐκ τοῦ ἀριθμοῦ τοῦ ὀνόματος αὐτοῦ ἑστῶτας ἐπὶ τὴν θάλασσαν τὴν ὑαλίνην ἔχοντας κιθάρας τοῦ θεοῦ.

3 καὶ ᾄδουσιν τὴν ᾠδὴν Μωϋσέως τοῦ δούλου τοῦ θεοῦ καὶ τὴν ᾠδὴν τοῦ ἀρνίου λέγοντες·
μεγάλα καὶ θαυμαστὰ τὰ ἔργα σου,

κύριε ὁ θεὸς ὁ παντοκράτωρ·
δίκαιαι καὶ ἀληθιναὶ αἱ ὁδοί σου,
ὁ βασιλεὺς τῶν ἐθνῶν·
4 τίς οὐ μὴ φοβηθῇ, κύριε,

καὶ δοξάσει τὸ ὄνομά σου;
ὅτι μόνος ὅσιος,
ὅτι πάντα τὰ ἔθνη ἥξουσιν
καὶ προσκυνήσουσιν ἐνώπιόν σου,
ὅτι τὰ δικαιώματά σου ἐφανερώθησαν.

 

ここは七つの怒りの鉢の背景を語っている

(サファイアの)「蒼穹のような海」は天上の神の御前を表し、すでにそこに聖徒が召集されている  ⇒Rev4:6= EX24:10 

つまり、第四章の天上の描写に場面を戻し、24人の長老の存在の素性を明かしている。

さらに、神の義なる裁きが強調されており、それを万人が受け入れるべきものであることを指し、Deu32:4とPS145:17の混合的引用がある。

PS145:17

צַדִּ֣יק יְ֭הוָה בְּכָל־דְּרָכָ֑יו וְ֝חָסִ֗יד בְּכָל־מַעֲשָֽׂיו׃

 「慈愛」「恵み」Graceと訳されることが多いが、ここはヘセドの変化形が用いられている。

LXX PS145(4):17

δίκαιος κύριος ἐν πάσαις ταῖς ὁδοῖς αὐτοῦ
καὶ ὅσιος ἐν πᾶσιν τοῖς ἔργοις αὐτοῦ.

ヘセドに拘って訳すとNWTの[loyal]は正確といえる。確かにここにヘセドがあるべきだ。しかし、あまりにもほかの翻訳はヘセドに拘りも持っていない。

 

 

・どうかと思う"ものみの塔"の無機質な神概念 

 エホバはご自分の約束もしくは預言の成就を図る際,その時までの期間がたった1日であれ(出 9:5,6),1年(創 17:21; 18:14; 21:1,2; 王二 4:16,17),何十年(民 14:34; 代二 36:20‐23; ダニ 9:2),何世紀(創 12:4,7; 15:13‐16; 出 12:40,41; ガラ 3:17),あるいは何千年(ルカ 21:24。「諸国民の定められた時」を参照)であれ,予告された時間通りに出来事が起きるようにされました。将来に対する神の目的は前もって定められた時に,それもまさに指定された日時に必ず果たされることが保証されています。―ハバ 2:3; マタ 24:36。<「洞察」2巻p430>

この考え方は、神と人との間の関わり、自由意志の不確定性を無視している。

確かに、赦しの時、またメシアに関わる時、に定められ、知らされた期間があるものの、『定められた時』には人間の行動が関わることも少なくはないので『罪が満ちる』等の期間の表現もある。特に王たちの心の動きによって災いの時を変更した例は少なくもない。アハブ、ヒゼキヤ、マナセ・・

もし、神が常に時間通りに行動するとするなら、自然界の法則のように人間は自由意志で動かず、すべてが時計仕掛けであると主張することになり、歴史も聖書記述の多くも無意味にしてしまう。

この教説は神の全地全能を讃えるかのように見えながら、却って人ばかりか神までを時に縛っており、余りに平板で幼稚でさえある思考ではないか。

そもそも、すべてが法則のように時間通りに動いているなら、神は過酷な目に人を遭わせ、自らも徒に時を過ごしてきたことになる。あらゆる結果を最初から知っての事であるから。より根本的には、神がなぜ時間をかけているのかへの理解を自ら拒むような解釈であり、それもこの教団の「宇宙論争」との矛盾も孕んでいる。なぜなら、あらゆる政治体制を試すというのなら、エデンでアダムが堕罪したときに結論は出ているからであり、ものみの塔は千年期とその後に区別に明瞭を著しく欠いている。(別件扱い)

むしろ人を自らの象り(影)と見做し、自由意志を与えたからこそ、罪と贖罪の必要が存在したのであり、創造神がすべてを計画して、その通りに運用していると捉えるのは、まったく誤謬と言うしかない。特に「異邦人の時」についてはものみの塔にはひどい誤解があり、しかも、それを1914年の算出基準としてしまった為に、神の定刻遵守が「保証」とまでされているが、これは他ならぬ神を自説に拘束し義務を課しているに等しい。その執着の原因は自己権威と信者の喪失の恐れからのものであろう。

この論理を考える前提として「非人間性」が無くては思いつきようもない。エホバの証人の頼る神は「数字」であり、心ある神とは言えない。背後にある精神の「支配好き」な傾向は否定できまい。つまりは、唱道者が人を心服させるために神の次なる行動を予測して見せたい願望から来たもので、神を縛って見せるという冒涜的態度を示しており根底にあるのはオカルトの精神である。まさしく「支配好き」なのはこの教団の指導層の方であろう。

 

 

『どちらが容易いか?』

Mt9:5

[כִּי מָה נָקֵל אִם לֵאמֹר נִסְלְחוּ־לְךָ חַטֹּאתֶיךָ אוֹ לֵאמֹר קוּם וְהִתְהַלָּךְ׃]

[כִּי מָה נָקֵל אִם] 

あなたにとってどちらが簡単か

[ לֵאמֹר נִסְלְחוּ־לְךָ חַטֹּאתֶיךָ]

あなたの罪は赦されている

[לֵאמֹר קוּם וְהִתְהַלָּךְ]

立ち上って行け

 

LK5:23

[כִּי מַה־נָּקֵל אִם לֵאמֹר נִסְלְחוּ־לְךָ חַטֹּאתֶיךָ אוֹ לֵאמֹר קוּם וְהִתְהַלֵּךְ]

[τί ἐστιν εὐκοπώτερον, εἰπεῖν· ἀφέωνταί σοι αἱ ἁμαρτίαι σου, ἢ εἰπεῖν· ἔγειρε καὶ περιπάτει;]

[ἀφέωνταί σοι αἱ ἁμαρτίαι σου]あなたの罪を赦されよ

[ἔγειρε καὶ περιπάτει]起きて、歩け

 

文面ではどちらの言語でも「あなたの[諸々の]罪を赦された」の方が長くなる

しかし、ここの疑問文には修辞的意味があり

「起き上がって行け」という言葉には、罪の赦しが内包されているので

【あなたの罪を赦され、それによって起き上がり、歩きまわれ】となり、すべての意味は長くなる。この修辞上の観点がこれらの句に前提されて、「起きて、歩け」の方が「罪を赦されて」という原因を言わねばならない分、どうして長く複雑になることを指している。

 

・2Th2:10

καὶ ἐν πάσῃ ἀπάτῃ ἀδικίας τοῖς ἀπολλυμένοις, ἀνθ’ ὧν τὴν ἀγάπην τῆς ἀληθείας οὐκ ἐδέξαντο εἰς τὸ σωθῆναι αὐτούς.

真理[ἀληθείας]への愛[ἀγάπην]を受け入れない[οὐκ ἐδέξαντο]直アオ能欠3P

「そして、滅びるあらゆる悪と不正によって、この救いをもたらす真理への愛を受け入れない」(ことによる[前節からの流れ])

φιλοσοφίας は用いられていない

 

・ユーフラテスの大彎曲部からエジプトの川(ワディ・エル・アリシュ)に至る迄の地域は、前七世紀以来、楔形文字資料がエービル・ナーリ(アッカド語?)と呼んでいた。つまり「川向う」のことである。

 

ウガリット文書からカナンの神々の系譜が分かっている。

神々の長はエル、第一婦人はアシェラ

バアルは暴風と豊穣の神、その兄弟でライバルの神がモトで死と冥府の神

彼らの姉妹であるアナトは美と武勇の女神

これらの神々に関わるコタル神はすべての技芸の守護者であり、ヘパイストスに相当するが、この神は最近まで知られていなかった。

ウガリット文書での主流はバアルとモトとアナトによる豊穣神話である。

<日本語の神を数える助数詞「柱」は女神「アシェラ」の音に似ているが、その偶像は木の枝を切り払った柱、または石や金属の柱であった。だが、これを探求しても実りはほとんど無いに等しいだろう>

 

族長時代、出エジプト、征服定住という連続的叙述によって歴史の詳細を記録し保存した民族はイスラエルを置いてほかにない。

 

 

シカゴ大学のオリエント研究所に保存されている「セナケリブの角柱」にユダ攻めの戦果が捏造されて語られているが、この供物の提出は戦役前のものである。その中で男女の歌手らも記録されている。

 

 

・シクストゥスⅠ世 116-125? の間にローマでパスか論争があった。

アシア州 VS 他の地域 もちろんエイレナイオスも関わっている。

クレメンスのコリントス第二書簡はこの時期のローマで書かれたものとされている。

 

・一位神論[monarchianizm] これがキリスト教初代の教説であり、この名称は、二位論以降、三一論が現れてからの呼び名である。

 

 

 黙示録の蝗害 ものみの塔の解釈から

その責め苦は五か月間続きます。それは比較的短期間でしょうか。文字通りのいなごの観点からすれば,そうではありません。五か月というのは,そのような昆虫の中のある種のものの普通の寿命を表わしています。ですから,現代のいなごは,生きている限り,神の敵を刺すことになります。

 KJ22-11 145p

これは1919年に生き返らされた忠節なクリスチャンのグループを実によく表わしています。

同22-17

 

 

・ 思考の閉鎖と偏向情報の蔓延がもたらす病理

「このような社会では、個人が理性的自己決定権者としての主体になれないだけでなく、歪んだ価値観を形成し、最終的には特定理念に対する倒錯的盲信を生み出す」

「韓国社会で反日はもう信念を越えて宗教になった。それでもまだ希望的なのは、宗教は信じたい人だけが信じるものだ、ということだ。幸いに、私は信じない。」

<韓国の偏狭な反日学校教育の異様な常態化について指摘する記事から>

(李東原;2020年9月7日  デイリー新潮 掲載)

 

 

 ◆宗教の役割

・人間存在の謎に答える

・生き方への指針を与える

・上なるものとの関わらせる

これらの必要が人間にあるということは

人が「この世」からこれらを自然に生まれたままに得られないことを指し示している。

歴史上、宗教がずっと存続してきた背景には、人間には普遍的、また根源的にこれらの必要があると言える。そして人は、それらを与えない「この世」に放り出された状態にあり、その問題を何とか解決しようとして宗教を作り出してきたとも言える。またそれを手助けした「上なるもの」も多様に居た。

近代以降では、「上なるもの」の人格性を認めることを止め、すべてを法則の中で起こった事柄とし、人間存在を謎としない思考法「無神論」が台頭してきた。

その「無神論」は、ほとんどの場合で自然科学を根拠にしているとされる。しかし、自然観察で自然そのものの原因者を探ることに初めから無理がある。科学が正しく科学であるなら、神のような「上なるもの」の存在を証明も否定もできない。従って、「無神論」は科学ではなく、やはり一つの宗教であり、人の生き方に答えを出している。

共産主義でも、マルクス主義は端的に言って「科学教」でありながら、不正確な思い込みに満ち、検証を受け入れない宗教として存在してきた。「科学」と思い込んだものを「上なるもの」とし、人間を労働と闘争の内に閉じ込めながら「進化」と唱えたが、実態は逆に人から良識や慈愛を削いできた。しかし、それは旧来の宗教、特にキリスト教がしてきたことでもある。マルクス主義は、それを科学の名に於いて行った。だが、もちろんその欠点を目的に掲げてはいない。社会の現状を自ら良かれと思う「人間性の解放」という善的な目的を持ちつつそうなったのであり、それもほかの宗教と然程変わりない。だが、結果として見ると、旧来の宗教の方が道徳性に於いて数歩の長があったと言える。

19世紀から20世紀にかけて、さまざまな主義が現れ、その一方で宗教改革のような運動は起こらなくなっていった。だが、それらの主義主張は新たな教派の設立であったとも見做し得る。ただ、人々は、より信じられる教えをひたすら求め続けてきたのであろう。旧来の宗教に満足できなくなった人々が増えてきたということであり、新興宗教の開花する時代が並走していたともいえる。

-この話をまとめるのは結構に難しい-

 

 Dan8:12

BHS

וְצָבָ֛א תִּנָּתֵ֥ן עַל־הַתָּמִ֖יד בְּפָ֑שַׁע וְתַשְׁלֵ֤ךְ אֱמֶת֙ אַ֔רְצָה וְעָשְׂתָ֖ה וְהִצְלִֽיחָה׃

פשע = 犯罪(ペシャ)

LXX

καὶ ἐγενήθησαν ἐπὶ τῇ θυσίᾳ αἱ ἁμαρτίαι, καὶ ἐρρίφη χαμαὶ ἡ δικαιοσύνη, καὶ ἐποίησε καὶ εὐωδώθη. 

ἁμαρτία = 罪(ハマルティア)

Ezk37:23に関連あり

BHS

וְלֹ֧א יִֽטַמְּא֣וּ עֹ֗וד בְּגִלּֽוּלֵיהֶם֙ וּבְשִׁקּ֣וּצֵיהֶ֔ם וּבְכֹ֖ל פִּשְׁעֵיהֶ֑ם וְהֹושַׁעְתִּ֣י אֹתָ֗ם מִכֹּ֤ל מֹושְׁבֹֽתֵיהֶם֙ אֲשֶׁ֣ר חָטְא֣וּ בָהֶ֔ם וְטִהַרְתִּ֤י אֹותָם֙ וְהָיוּ־לִ֣י לְעָ֔ם וַאֲנִ֕י אֶהְיֶ֥ה לָהֶ֖ם לֵאלֹהִֽים׃

hkathauを「家」とするか「不法」とするか。シュンマコスは「背教」と訳す

ヘブライ語の折句表現で一度目にペシャイームがあるので、その言い換えである可能性は濃厚 旧約には余りない

 

 

◆ 夜

・Jh9:4 「誰も働くことのできない夜が来ようとしている」

・Jh11:9-10「昼の十二時間(?)があるが、夜に歩けば何かにぶつかる。光がその人にないから」

・Rm13:12「夜は更け昼が近付いた」

・1Th5:2「主の日は夜の盗人のように来る」

・1Th5:5「あなたがたは昼の子であり夜に属さない」「のでそれが突然襲うことはない」

・2Pet3:12「夜が明けて明けの明星が昇るまで預言に注意を払え」

・Rev 4:8 「ケルヴは昼も夜も神を賛美する」

・Rev 7:15 「大群衆は昼も夜も神を賛美する」

・Rev21:25「新しいエルサレムにもはや夜はない」

・Rev22:4「神の奴隷に夜はない、灯火も太陽も要らず、神が光明となる」

・Ps30:5 「夕方には泣き悲しむことが宿っても,朝には歓呼の声がある」

預言者の限界

預言者でさえ夜中にようにつまずくHos4:9預言者にはその道に罠がある Hos9:8 預言者は愚かな者となるHos9:7 敵愾心が大きいために狂気する。神はわたし(エリシャ)に隠してお告げにならない2King4:27⇔Ams3:7

・Isa21:11 「セイルから呼ばわり、夜はどうなのか」

・Ams 5:8 「深い陰を朝に変える者,昼を夜のように暗くした者」

・Mic 3:6 「あなたがたには夜が来て幻がなくなる。闇が来て占いができない」

 

◆トマスのインド行き

3世紀と4世紀のローマの作家の多くは、ミラノのアンブロジウス、ナジアンゾスのグレゴリー、ジェローム、シリアのエフレムなど、トマスのインドへの旅行について言及。

伝統によれば、使徒トマスは、現在のケララ州パタナムにある西暦52年にケララ海岸のムジリスにやって来た。

コーチンユダヤ人は1世紀にケララに存在したことが知られており、ガリラヤのトマスのようなアラム語を話すユダヤ人がその時ケララに旅行することが可能であった。

 

  • 契約の箱 - アカシアの木材でできている。古代イスラエル人にシッタと呼ばれる聖木であり、アカシアの樹木は硬く、腐ったり虫に食われたりしないため、聖書においては「不朽不滅、永遠」を象徴する。