ネブカドネッツァルに臨んだ「七つの時」
「七つの時」そのものへの考察
◆概要と黙示録等との関連についての前記事
◆当該考慮箇所
4:10 わたしが床にあって見た脳中の幻はこれである。わたしが見たのに、地の中央に一本の木があって、そのたけが高かったが、
4:11 その木は成長して強くなり、天に達するほどの高さになって、地の果までも見えわたり、
4:12 その葉は美しく、その実は豊かで、すべての者がその中から食物を獲、また野の獣はその陰にやどり、空の鳥はその枝にすみ、すべての肉なる者はこれによって養われた。
4:13 わたしが床にあって見た脳中の幻の中に、ひとりの警護者、ひとりの聖者の天から下るのを見たが、
4:14 彼は声高く呼ばわって、こう言った、『この木を切り倒し、その枝を切りはらい、その葉をゆり落し、その実を打ち散らし、獣をその下から逃げ去らせ、鳥をその枝から飛び去らせよ。
4:15 ただしその根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野の若草の中におき、天からくだる露にぬれさせ、また地の草の中で、獣と共にその分にあずからせよ。
4:16 またその心は変って人間の心のようでなく、獣の心が与えられて、七つの時を過ごさせよ。
4:17 この宣言は警護者たちの命令によるもの、この決定は聖者たちの言葉によるもので、いと高き者が、人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与え、また人のうちの最も卑しい者を、その上に立てられるという事を、すべての者に知らせるためである』と。
4:18 われネブカデネザル王はこの夢を見た。ベルテシャザルよ、あなたはその解き明かしをわたしに告げなさい。わが国の知者たちは、いずれもその解き明かしを、わたしに示すことができなかったけれども、あなたにはそれができる。あなたのうちには、聖なる神の霊がやどっているからだ」。
◆関連句
4:15 根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野の若草の中におき
Isa6:10 彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めていやされることのないためである」。
6:11 そこで、わたしは言った、「主よ、いつまでですか」。主は言われた、「町々は荒れすたれて、住む者もなく、家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、
6:12 人々は主によって遠くへ移され、荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、こうなっている。
6:13 その中に十分の一の残る者があっても、これもまた焼き滅ぼされる。テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、その切り株が残るように」。聖なる種族はその切り株である。
4:17 この決定は聖者たちの言葉による
Dan7:21 わたしが見ていると、この角は聖徒と戦って、彼らに勝ったが、
7:22 ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。
4:17 人のうちの最も卑しい者を、その上に立てられる
Isa49:7 主は/人に侮られ、国々に忌むべき者とされ/支配者らの僕とされた者に向かって、言われる。王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。真実にいますイスラエルの聖なる神、主が/あなたを選ばれたのを見て
Isa52:14 彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。
EZK17:24 このとき、野のすべての木は、【主】であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。【主】であるわたしが語り、わたしが行う。
Ezk21:25-27 21:25 汚れた悪人であるイスラエルの君よ、あなたの終りの刑罰の時であるその日が来る。
21:26 主なる神はこう言われる、かぶり物を脱ぎ、冠を取り離せ。すべてのものは、そのままには残らない。卑しい者は高くされ、高い者は卑しくされる。
21:27 ああ破滅、破滅、破滅、わたしはこれをこさせる。わたしが与える権威をもつ者が来る時まで、その跡形さえも残らない。
PS22:6-8 しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。
22:7 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
22:8 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。
Ps44:22 あなたのために、私たちは一日中、殺されています。私たちは、ほふられる羊とみなされています。⇒ Zec11:4
Lam1:2 夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった
Lk10:21 イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。
Lk2:34 「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして定められています。 (そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。)それは多くの人の心にある思いが、露わにされるためです。
◆背 景
ダニエル書記載のネブカドネッツァルの夢解きは二度目であり、既に覇権国家の流れについては啓示されており、ここでは一度目の夢の『石』が像を倒壊させる部分についての啓示であり、その目的は第一に帝王に神が支配権を自在に誰にでも渡す能力のあることを諭すというところになる。
第二に、それは極めて低い地位に下げられた者に与えられることの例証となっており、この件も含んで権勢の絶頂にあるネブカドネッツァルを利用して読み手に知らしめている。この点を、「全能の神であるから当然」としてしまうと、ここでの教訓を汲み取ることができなくなる。
それから、キリスト教徒に聖徒理解が欠けていてご利益信仰である場合には、「低められた者の栄達」が十分には理解できない。なぜ低められるのかというところに理解の鍵があるにも関わらず、「クリスチャンは患難から守られる」などとご利益信仰にはまり、自分の十字架を担って主に続くという『聖なる者』の精神を意識しないからである。
アキュラ・ブラウン以来の2520年説は、キリスト臨在の時という信者との関わりを期待しすぎており、「ご利益成就の時を算出できる」という動機によって成り立っている。だが、ダニエル書の当該部分からすると、時の算定で『子も天使らも知らず』いつになろうとも『見張っているように』と言われる臨在の時を割り出そうとすることは、キリストの帰依者として相応しいとはいえない。
◆七つの時
この啓示は、ダヴィド王朝のキリストによる回復の時を教えるためのものとはいえない。ここでの教訓は低められた者の栄光であって、ここには「ハグ ハ シャヴォート」が関わっていると云える。
即ち、「週の祭り」の対型的意味であり、なぜ49日を待って喪が明けるかのように祭りがあるのかの意味の一つがここに示されている。
この件は、後の九章での『七週、六十二週』との分割にも関わっているものと思われる。(この件に関しては、双方を説明しなければならない)
ダニエル書での切り倒された巨木の根に箍が嵌められるが、それはダヴィドの王朝ではなく、ネブカドネッツァル自身の支配権を象徴している。帝王の復帰は奇跡的であり、簒奪者から守られたことを含め、帝王自身に感服するところがあったのであり、『王たちを教える神』の趣旨は、その後の覇権国家の流れの中でも大いなる教訓とされるよう、『金の頭』に相当し、『人の心』を回復した帝王としての進歩を神は与えている。
これは聖徒に関する慰めの役割も果たしている。契約の使者としてのメシアの活動期間が丸七年であるとすれば、初臨の三年半と再臨の三年半とで第七十の週が満たされる。
ペサハからシャヴォートまでの7が拡大されて繰り返される構造も何かを教えているに違いなく、それは聖徒の滅びから天界への召集を指しているようである。
聖徒の犠牲から招集までが7に関わる8を指す可能性がある。それが『その時刻、日と月と年のために整えられた』という研ぎ澄まされた一時という概念の対象であるかも知れない。『1290日』と『待ちおりて1335日に至るものは幸い』とは、ダニエルの民に関するものであるなら、聖徒の招集のいずれかに関わる日付であろう。『待ちおりて』とは天で待つのか地で待つのかは、『1290日』の理解次第になるようである。いずれにしても、『聖徒を打ち砕くと時を置かずにあらゆることも終わりに至る』のであれば、その『終わり』が何を意味するのかにもよるが、7に関する入れ子構造の終わりと8の対型が到来するのであれば、『666』はその以前に終わっていなければならないであろう。
69週についての期間に関しては前記事に可能性として書いている。これが初臨と再臨を分ける不定の期間を指すであろう。