Notae ad Quartodecimani

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詩篇139:16 [すべての日々」とは

 
 
 גָּלְמִ֤י ׀ רָ֘א֤וּ עֵינֶ֗יךָ וְעַֽל־סִפְרְךָ֮ כֻּלָּ֪ם יִכָּ֫תֵ֥בוּ יָמִ֥ים יֻצָּ֑רוּ וְלֹ֖א אֶחָ֣ד בָּהֶֽם׃    
【BHS】
all Your book and in Your eyes saw My [substance being] yet unformed
of them one when [as yet there were] not/ fashioned for me the days they were written
 
 
 

Your eyes could see me as an embryo, but in your book all my days were already written; my days had been shaped before any of them existed. 【CJB】

 

Your eyes saw my substance, being yet unformed. And in Your book they all were written,The days fashioned for me, When as yet there were none of them.【NKJV】

 

Your eyes have seen my unformed substance; And in Your book were all written The days that were ordained for me, When as yet there was not one of them.【NAS

 

You saw me before I was born. Every day of my life was recorded in your book. Every moment was laid out before a single day had passed.  【NLT】

 

Your eyes saw my unformed substance; in your book all my days were recorded, even those which were purposed before they had come into being. 【BBE】

 

『胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから』。【新共同】

新共同訳はNLTやBBEに似て分かり易いが「記されたのは日々」で妊娠過程かも

 

『あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに』。【新改訳】

新改訳はNKJVに準じているようで、神による彼の生涯への予見

 

『あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日の/まだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた』。

口語訳はユダヤ人向け英訳に近く、生涯が予定されているという意味合い

 

いずれも神が見たのは「彼の体」であるが、「神の書」に記されたのは「日」ではあるが、生涯の日か、妊娠期間かは不明瞭。そこで「彼の体」と「日々」との関係がヘブライ語本文からしてよくは分からないところが表れている。

 

LXXは、[πλασθήσονται]を、造られている日々と訳すかどうか
 
DNAを知らない古代には、訳文の単語の前後は気にしないでも良かったとしても
現代人にはふと過ぎるものがあって、語順が気になってくる。
しかし、どうやら妊娠期間中に胎児が整えられてゆく十月十日の過程が神の予定により進行することを言うらしい。それは奇しく秩序立って伸展してゆく人知を超えた事柄であり、それについて自分以上に自分を知る方としての神を讃えているのであろう。
そう捉えると、ダヴィドの人生の「すべての日」が予知されていたというのではなく、腎臓をも造られた神が、ダヴィドの心の中まで見通し、保護することで、その憂いある予感を鎮めてくれることを祈り求めているということになり、前後との調和を得る。