Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

姦淫で捕えられた女の挿話の信憑性

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21章はともあれ
やはり7章53節から8章11節までは相当に問題がある。
教会員の間では罪の赦しのように扱われて人気さえある場面だが
妙なことろが多い。

この部分は西方写本でのみ現れる
しかもルカ21章の後に存在する写本
また、ルカやヨハネの付録にされている写本も存在する
加えて、ヨハネ福音書ばかりかヨハネ文書五巻全体でここだけに用いられている単語[γραμματεῖς]「律法学者」がある。

それでも、この挿話は古く遅くとも第三世紀のディダスカリアが知れ渡った話として述べている。2:24:6

①第八章の続く部分を強引に祭りの翌日にしてしまう スッコートの大いなる日(8日目アツェレト・シェニー)に自らを「世の光」と言われること、また群衆が帰途に着く前なので神殿で教えていた理由もある。この場面が祭り明けの日であったなら、『しのぶように』(7:10)殺害を避けてきた主は帰途に就くことなく、暢気にもわざわざ神殿に上り身を危険に晒していることになる。祭りの終わった翌日に朝早くから命を狙われているイエスが、なぜ神殿に行き、また民もそこに集まるのか。やはり、7:52の次は8:12であり、ニコデモの反対意見の表明の同日つまりスッコートの最終日(7:37)の内にイエスとパリサイの議論が続いたと見るのが極めて自然。祭りの間の処刑ができないためか、8:59については陽が落ちた後かも知れない。
加えてヨハネ福音書では、ここで記述が終わっているのは自然であるといえる。『その時』が来ていないのに主が殺害されることのないよう身を隠されるに違いないからである。(11:8)

②訴えたのが律法の履行を至上課題としていたソフェリームとファリシームであれば、石を投げないことが考えられない。まさに同じ章で彼らが石を投げようと石を拾って(捜して)いる間にイエスは逃れている。このことだけでも、この挿話がヨハネのこの部分に在るのは極めて不自然。(ステファノスの時には石が多い城壁の外に連れ出している) (この部分はユダヤ教指導者の頑なな怖ろしさを知らないキリスト教徒の作では)

③イエスに訴えてどう罠に嵌めようとしたのかが示されていない むしろ祭りの当日の方がまだ訴える口実になるし、当時サンヘドリンが機能していたのであり、もしナザレのイエスが死刑no
可否を判定したなら、ユダヤ体制の権威をないがしろにするものであり、この点で7:32では祭司長派が居たものをわざわざ書士に入れ替えたようにも見える。祭司長派が裁きを誰か別の人物に委ねることはまず有り得なかったろう。イエスを『どこからの者か知らない』と言う権威者らが、裁判の権威をイエスに認めるような申し出をすることも考えづらい。また、主がらい病治癒の判定について律法に従って祭司のところに行くよう言ったのであれば(Lk5:14)、この重い判定に関わることは無かっただろう 加えてイエスは相続問題の審理を断っているLk12:13-14。

④姦淫の場を取り押さえられた女の相手が指摘されていないばかりか、一言も触れられない。律法施行でも片手落ちになる。(双方が赦されたことになる点で意図的な設定ではDue22:22)
しかも『姦淫』というのであれば裏切られた夫もいたのではないのか。関係する男たちの不存在で死刑の判断が性急過ぎ、この場面の急ごしらえが露見している。

⑤信仰など女を赦す根拠が示されていない 同時に男も赦されたのか また姦淫に至った動機も不明のままである 姦淫が重罪であった当時の状況であるのに丁寧には描かれず、話の目的の達成を急いでいる節がある(これは男性の観点だけで書かれていることを示唆する)

⑥この地面に文字を書くというイエスの挙動が主らしくない しかも神殿域であれば(8:2&20)地面は無く、続く第八章二十節はそこが神殿の『宝物庫のところ』としており、それであれば、聖所の『婦人の中庭』に居たことになり、足の下は岩敷の床か石板舗装であったのではないか、そのためイエスを石打にしようにも手頃な石を探す必要があり、その間にイエスは逃れたと見るのも不自然ではない。本来神殿域は人を処刑する場所だろうか。
そのうえ皆が去って行き女とふたりだけになったはずの芝居がかった場面に続く八章ではすぐにファリシームが居て場面が第七章に戻っている矛盾は誰でも気付けるのでは(物語をノンフィクションらしく書く力量も低い)

⑦直後に『二人の証しは真実』と主は言われることになる

ヨハネ福音書よりはルカの言い回し『オリーヴ山へ行った』を用いている

⑨この部分は西方系の写本に主に現れ、אやBに存在しないうえ、古写本によっても存在する場所がヨハネだけでなくルカ21章の後であったり、ルカやマルコの付録であったりする。この部分の引用は三世紀のディダスカリア以降とのこと
➉8:12の『そこで再び』という言葉は7:52に繋がり易い 11節からどう12節に連なるのか 非常に不自然である 誰かが皆を呼び戻したのか?

⑩イエスパリサイ派サドカイ派とが、最後の過越しの前に質問して罠にはめようとしている場面とのバランスも悪い。後の場面での質問にはそれぞれ難問である理由があるが、この姦淫の女の処刑の判断については論理性はなく主情的であり(8:6)、そもそも試みの体を成していない。恰もイエスが姦淫を赦すことを期待していたことになってしまうが、そのような前例があったろうか。


所見:ここで読者のリテラシーが試されだろうし、まず個人が姦淫をどう見做すかよりも、何が本当に書かれていたことかに注意を集中することが第一に求められなければならない。
この前後ではイエスがメシアであるか否かという重要な論争が行われる中途にあって、突然に呑気ともいえるような場面になる。かの第七章から緊迫度を増して行き、第八章に至ってエデンの「蛇の裔」が指摘されるほどの重大な場面に高まりを感じない何者かが無理に挿入したものであろう。作者はうまく挿入できたと思ったろうか。女だけになった場面に聴衆が残っていたとは言い難い。何故なら皆が律法に従うべきユダヤ人だったからである。第七章から第八章へと価値観をもって辿ってゆくと、ここに段差があることに気付くはず。ここだけレヴェルが低い。前後の格調の高さが息苦しい向きにはほっとできるのだろうか。
まず、これの目的は姦淫を主が赦されたという部分を作ることであったのだろう。おそらくは西方の聖職者の何者かが第三世紀の以前に、自らあるいは誰かの不行跡の面目を保つために創作し書き加えたのであろう。だが駄文というべきだ。
伝えようとしているメッセージは「厳めしい宗教家たちでさえも皆が姦淫くらいはしているのであって、主もそれを赦されたのだ」ということになる。幾らかスザンナ書に通じるようなところでどうにも外典のレヴェルでしかない。
ヨハネ福音書のこの辺りの高度さをこの著者は理解していない。加えて、ヨハネ福音書は、キリストの事跡の中でも特定の事柄また期間に集中して述べる事が多く、小アジアの伝承にもあるように、共観福音書に無い事柄の幾つかを詳細に一続きに記述する傾向がある。
後に、聖徒が去ったあとで新約の道徳律だけが残され、それを窮屈に感じたギリシア語を使える西方の聖職者が書き加え、その後にエジプト方面にも迎え入れられ、第四世紀のヒエロニュモスも「忠実に」翻訳したのだろう。
これはモーセの規定をどう扱うかという問題であり、本来キリスト教的な主題ではない。モーセ規定と新しい契約の道徳性は本来同じ位置にはなく、そのうえ信徒に要求されるわけではない。もし、この記述が事実であったなら、「律法の一点一画も朽ちない」と言われるメシアがユダヤ教指導者として律法を手加減したことになるが、そこで少なくともこの女に更に言うべき言葉は無かったものか。もし、キリストがこの場面に本当に遭遇したなら、「自分を裁き人にするな」と反論したように思う。イエスユダヤ人への裁きを行った場面が他に無く、遺産相続の裁定を断っており、そこでは貪欲の精紳に注意を向けている。
だが、この重要性の希薄な部分に「感動していらっしゃる」クリスチャンの皆様には、この疑念を申し上げるのも時間の無駄になるので、放っておく方が良いようだ。大抵は「ブタに真珠」となり、却って「赦された姦婦の感動が分からないのか」と説教されるくらいで終わる。だが、それと文書の信憑性とは別問題なのだが・・人は自分の好むものを真理にしたいものである。そうしてより偉大な事柄には気付かないでいられる。その人は「感動的かどうか」だけで聖典性を判断するのだろうか。それでは「騙してください」と言っているに等しい。この部分には、然したる聖性のようなものがなく、前後からすると撓んでいる。





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