Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

Memo母体

◆「シオン」

打ち捨てられた女

子が無い

夫が去っている

イザヤの時代の異教汚濁

子らの契約違反

あるべき契約の子が居ない

無割礼の者による蹂躙

「あれがシオンだ」と侮られる

契約の箱が消える

エルサレムとシオンに人が住まない

街と城壁を失う

祭壇も神殿もない

祭司が居ない

神の崇拝の空白、途絶、(夜)

バビロンの繁栄と捕囚の強制
(この時代サマリアもシオンに侵入しなかった)

「我が民は我が名を知る」はシオンにも適用される
Isa52:1.6

「あなたの子らは諸国民をも所有し」Isa54:3

シオンも「買い戻す」とされる

「あなたを攻撃する者は倒れる」

「敵するどんな唇にも有罪宣告を下す」YHWHの僕の相続物、その義は神からのもの

Isa55の冒頭の「あなた方」とはイスラエル「知らない国民が来る」とは「ダヴィデの契約」に預かるため

「既に集められている者らに加え他の者も集める」Isa56:8⇒接木




我々の母(上なるエルサレム
・下のエルサレムは子を集めようとしなかった
・ハガルの子の隷属身分に終わる

ダヴィデ王朝は存在せず
契約の箱が戻らず
預言者が絶えて四百年啓示なし

但しバプテスト現る

メシア自身は「子ら」ではなく契約の使者

メシアの到来はユダヤ人の分離を引き起こす
上下エルサレムの分離

エルサレムに子らが現れるとき
エルサレムはふたつに反応した

子らの前に何が先在したか
エルサレムを離れずに」
ペテロは『回復』に言及
律法体制の仮吊状態からの脱却時期
『契約の子』にも言及

120人のガリラヤ人
パウロはヘレニスト
十二使徒にもフィリッポスの名前あり


先立ってゆく者は「子ら」に含まれず
「子ら」となるべき者らを提供した

体制派はヨハネの浸礼を受けていない

ヨハネの浸礼で聖霊を受けたのは唯一人
罪が無かったからか?
エスユダヤ人として受けたのか?
ヨハネの浸礼は本来は聖霊をもたらさない

ヨハネの浸礼で民は整えられた
パウロヨハネの浸礼を受けたとは思えない
エスが現れて後、ヨハネの浸礼は必須でなくなった?

悔い改めの浸礼は律法契約へのもの

ユダヤ人はイエスの名の浸礼で聖霊を受けた
ヨルダン川でイエスの下に使徒らが施した浸礼はどんな意義があったか)

新しい契約への悔い改めはあるか?
・新しい契約の回復の模式
聖霊が絶えて久しい
預言者が居ない
異教に汚染されている
多神教偶像崇拝に堕した
御利益信仰の蔓延
頑なな自己義認者が多い
聖霊と聖徒を除き去る
?では、ペテロの役割を誰が果たすか?



信仰を抱いた者の集団か?
それはメシア信仰者の集団
メシア信仰がユダヤ体制派に全く欠如したもの
アブラハムは信仰の人だが『その裔』ではない
サラも同じく


律法への従順
信仰への自由


子らを生み出したのは
従順ではなく自由だった

ユダヤ人は隷属にあったがメシア信仰は自由にした
その自由は子をもたらした
律法への隷属は遂に子の身分を得ず聖霊が降らなかった
そこで『罪』は克服されるものではなく、赦されるものと示された
『罪』というものの打消し難い性質も明らかになった
自分の『罪』を認めるには良心の鋭敏な働きが必要になるので、メシア信仰を抱くことには倫理上の決定が関わることになる

人が信仰において良心を働かせているか否かは、悔いとその行いに表れる
『罪』への悔いはキリストの犠牲をどう看做しているかに関わり、その重さに応じて言動を自ら進んで慎むことになる

但し、無条件ではなく犠牲を必要とした
その犠牲は神が備えたので、メシアを感謝して受け入れる(信仰する)者の中からだけ聖霊を受ける者が現れた


パウロの母体はこれか

モーセによって律法と共にヨブ記が与えられたということは、既にその時点でこの結論が示されていた事になる。

ユダヤでは聖霊が降ってのちも分離が生じ続けた
それは彼らが契約の子らであったから

終末に対型的ハガルは居るだろうか?

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大脳皮質や海馬に二十歳までに蓄えられた価値観は固定される。それを変えることは難しい、という。
『二十歳以上の世代』


















キリスト教を信奉するとは神と世界の媒介となることだろうか?
聖徒は明らかにそうだが、信徒の役割とは何か?
別の名で呼ばれるシオンとなるのか。



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