Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

エゼキエル書の構造

エゼキエルに通告された預言の時期

・エホヤキムの第4年はネブカドネッツアルの第1年
・エホヤキンの捕囚BC597から37年間
・一人称と三人称で書かれた部分が交錯する

 ・エゼキエル個人
BC593-571まで活動していた
父はブジであり、エレミヤのようにザドク祭司の家系に在った
妻をエルサレム攻囲の始まった588年に亡くした
第一章はじめにある『第三十年』が何を意味するかは諸説あるが、タルグムの註解のヨシア王の律法の発見の時期というのは年代が一致する。
また、祭司の任官である三十歳に彼自身が達したとの説もある。
彼は度々川の畔に居るが、これはディアスポラの民が異教の地で頻繁に浄めの儀式を行う必要に応じるものであったとも。cf;フィリッポイでのパウロ
バビロニア資料によれば、ケバル川はニップールを囲むように流れていたらしい。

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1:1-3:14.第30年4月5日(捕囚の第五年BC.593)
<ネブカドネッツアルの第13年>
ケバル河畔で神のレクーヴと4個体のケルヴィムを見る<エルサレム神殿が存在していた>
エゼキエルは両面の巻物を食し、聴かない民に話すことを命じられる

 

3:15-7:27 第30年(第5年)4月12日
イスラエルの家に有責の警護者とされる
低地平原で神の栄光を見て唖者とされ次に話すのは神が語る時とされる
レンガにエルサレムを刻み攻囲する模型を作る
左腹を下に390日を寝て過ごし、右腹を下に40日を過ごし、人糞に代えて牛糞を燃料とし減らした飲食で過ごす(この430日の間妻の世話を受けることができたろう。妻の死は24:18に記される)
髪と髭を剃りそれらを三等分して火で焼き、剣で打ち、風に散らすが
それらは疫病、飢饉、剣によって三分の一ずつが滅びることを表す

 

8:1-19:14 第6年6月5日(592)
年長者らの前で神から髪を掴まれ幻視でエルサレムに連れられ、神殿で悪行を見る
六人の殺害者と一人の書記官の幻、ケルヴィムと神の栄光
一つの心と一つの霊が与えられ、ユダとイスラエルは集められる予告
エゼキエルは住居の壁に穴を空ける
自分の前に置いた糞像から立ち返れ
剣と飢饉と野獣と疫病の害を逃れる僅かな者が残される
サマリアエルサレムの売春、大鷲と大杉による周辺情勢の比喩
義なる者が義を離れるとき、その魂の罪により死ぬ

 

20:1-23:49 第7年5月10日(591)
伺いに来た年長者らの前で霊感を受け、荒野以来のイスラエルの咎の歴史が語られる
将来にイスラエルは棒の下をくぐり、悪行者は排除され、聖なる山に戻される時が来る
(南の森林の秘儀)
剣による殺戮の予告、二本の道の分かれ目で占うネブカドネッツアル
神殿を蔑み安息日を汚したイスラエルは悪行と共に散らされる
義なる者の血の罪を負うオホラとオホリバは淫行の相手によって攻められ悪行の酬いの杯を飲む

 

24:1-25:17 第9年10月10日(589)

エルサレム攻囲について広口鍋で羊を料理する例え
汚れが溶解するほどの滅びが臨む
エゼキエルは妻を失うが喪は禁じられ、捕囚民もそうなる
聖都陥落後にエゼキエルが語ることの予告
アンモン、モアブ、セイル、エドム、フィリスティアへの宣告

 

26:1-28:26 第11年1月1日(587)

ティルスへの宣告
サタンへの暗喩「わたしは神だ」
突然の崩壊とイスラエルの回復

 

29:1-30:19 第10年10月12日(588)

30:20-30:26 第11年1月7日(587)

31:1-31:18 第11年3月1日(587)

32:1-32:16 第12年12月1日(586)

32:17-33:20 第12年1月15日(586)

33:21-39:29 第12年10月5日
エルサレム陥落[4月か5月か?]の通知に応じ)
<37:1に変わり目があるかも知れない* ゼデキヤの11年;前586以後>

骨の満ちる谷の幻視

イスラエルとユダとは一つの杖となる

マゴグの地のゴグによるイスラエルの山々への攻撃とまったき敗北

 

40:1-48:35 第25年1月10日(エルサレム陥落から14年目572)

 謎の神殿の詳細にわたる寸法の記述と祭祀への指示→意味不明の箇所

前半には幻の神殿の善悪属性に疑問を感じさせる記述が混じる

(レヴィの任職にも謎の文言あり)

水量を増す川が死海を活かす

十二部族の新規の割り当て地と、『長』とされる者の卓越

(現状の地形では面積が足りずズレが生じる)

 

 

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全部で13回(14?)啓示されているが、必ずしも順に並べていない
第11年と12年にかけて3回ずつと多く、エルサレム陥落の後に終末黙示が集中している。
「第三神殿」の幻は13年隔たっており、別格に扱われている
励ます意味があったなら、どうしてこれほど待たせたか?<励まし?>

啓示順にするとどうなるか?

 *<37:1の最初の動詞がワウを伴っていない過去形で、日付が先行していた可能性が高い>

エゼキエル書ではエホヤキンを王(メレク)とし、ゼデキヤを君主(メラーコース)として区別することがある(17:12-13)但しゼデキヤを蔑んではいない。おそらく、バビロンの傀儡王の意ではないか。

何人かの識者は38・39章をエゼキエルの作とは見ていない。

 

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自由主義では20:25を律法を神自らの罠として捉えることもある

・20章からは各々が独立した断章となっている
 ・24章冒頭は前588年とされる J.Blenkinsopp"Interpretation A Bible Commentary"

エルサレム陥落後の数年間はエドムが真の敵となっていた。(25:12-14)エドムの語はセイルの赤土からきているとも、エサウが求めた赤い煮物から来ているとも、その赤ら顔にも由来があるとされる。エドムはユダ滅亡に乗じてユダに侵攻している。(35:6=Gen9:6)エドムにだけは運命の逆転は起こらない。

・37章は「YHWHの手がわたしに臨んだ」の四つの幻の第三に当たる

1.霊感の停止 2.神殿の悪行と破壊 3.骨の蘇生 4.謎の神殿 

自由主義では38-39は37に先行すべきとも言われる

・ヨセフスはエゼキエルが二つの書を残したとしている(古代史10:79-80)

・ゴグの部分は「YHWHはこう言われる」に続く七つの単元を持っている

・ゴグの正体について推測されていたのはカバラーからのバビロン、前2世紀のアンティオコス・エウパトルの幅があるが、最も云われるのはアレクサンドロス大王であるが、タルグムはローマ人に同定し、アウグスティヌスは北からのゴート族としてきた。しかし、ゴグの匿名性を打ち破るには至っていない

・「メシェクの総首長」”ローシュ・メシェク”は語源はどうあれロシアを意味しない(ルーシ「漕ぎ手」<奴隷?>は古ノルウェーの家系の属するらしい)

・ゴグは七つの他民族の軍を持つ、ペルシアを除けばすべてが創世記10に表れている ゴメルはアッシリアの碑文に見られるギミライまたキンメリアと同定されている。トガルマはアッシリアの記録ではコーカサス山麓のティルガリムであろうとも

・「北の果て」はペルシア、クシュ、プトには当てはまらない。ベトトガルマへの付加なのか結論は出ないが、繰り返されるので(38:15/39:2)象徴であろう

エルサレムは前5世紀のネヘミヤの時まで無防備であり、それは神の保護によると見做されてきた(Zec2:9)

・オペリム「通りかかる者」、アバリム「東の旅人の谷」、埋葬の後はハモン・ゴグ、「・・わたしはイスラエルの中に一つの場所をゴグに与える。それは彼の墓である。アバリムの谷・・・」と訳されるべきであろう。ヘブライ語本文では「オベリム」と読んでいる。「海の東」については意味不明。「アバリムはすべてそれらで塞がれる」これは「オベリム」を「旅人たち」と解釈したうえで語呂合わせをしており「旅人たちの道は塞がれるであろう」としている

・ハモナは街の名として唐突に表れるが、これは本題から離れて、不明の都市ハモナをゴグの大群*と説明している。<*「俗衆」の意が有ったはず>

レビヤタンの肉を食らう」Ps74:13は終末論的宴会としてラビ的表象となっている(29章)

 ・「もはやあの大群のことは聞かれない」は「それゆえ、その町の名はハモナである」が直訳になる

 Keith W.Carley"The Book of Prophet Ezekiel"1974

 

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20:25の問題は、タルグムの中で和らげられている。

『彼らは自分たちの愚かな性向に従って、本来のものでない宗教的宣言やそれによって生きることのできない法を守ったのである』

エゼキエル書にだけ『イスラエルの土地』(アドゥマス イスラエール)が存在し、18回に及んでいる。これは北イスラエルを指す語を別にすればエゼキエル書独自のものである。

エゼキエル書の捕囚の原因としては、名の清め(キドーシュ ハシーム)が関わっていることが繰り返されている。

 

 

 

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ユダヤには儀式的沐浴があり、その水は人工的に集められたものであってはならず、自然に集まった水の中に身を沈める。これを規定したトホロートはパレスチナ以外で守ることは難しい。自然に集まった水は『生きた水』という。貯水槽の水はそうは呼ばれない。泉や川から汲まれた水でなくてはならない。(Ezk.Zec.Revの水がそうでは?ヴェート ハショエバー?)

 

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