Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

『北の最果てから来る』

 

ゴグの地としての『北の最果て』について 

 

『北の果のあなたの所から来る。多くの民はあなたと共におり、みな馬に乗り、その軍隊は大きく、その兵士は強い。』Ezk38:15

『わたしはお前を立ち帰らせ、お前を導いて北の果てから連れ上り、イスラエルの山々に来させる。』Ezk39:2

 

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方角を表さない『北』

『【主】は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。その聖なる山、われらの神の都において。
高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都。』Ps48:1-2

 

『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき*、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』Isa14:13-14 *北辰を含意

 

『(人を)高く上げることは東からでなく、西からでなく、また南[ネゲブ(荒野)]からでもない。』Ps75:6

 

『初めから高くあげられた栄えあるみ座は、われわれの聖所のある所である。』Jer17:12

 

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北方の民族として

ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ(メディア)*、ヤワン(イオニア)*、トバル*、メセク*、テラスであった。』Gen10:2 *Isa13:17 *Zec9:13 *Isa66:19 *Ps120:5 

 

『ゴメルの子孫はアシケナズ、リパテ、トガルマ。』Gen10:3

大洪水後に黒海沿岸、コーカサス山脈方面に定住したらしいが

スキタイに土地を奪われ、後世になって小アジアに侵入(ヨセフスはマゴグがスキタイの祖としている)

 

エゼキエルのゴグに伴う民族としては、象徴的に北面の武装種族を指す蓋然性あり

 

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エルサレムを脅かすバビロンの象徴として

『見よ、わたしは北の国々のすべての民を呼ぶ。彼らは来て、エルサレムの門の入口と、周囲のすべての城壁、およびユダのすべての町々に向かって、おのおのその座を設ける』Jer1:15

 

『その日には、ユダの家はイスラエルの家と一緒になり、北の地から出て、わたしがあなたがたの先祖たちに嗣業として与えた地に共に来る。』Jer3:18

 

『ベニヤミンの子らよ。エルサレムの中からのがれよ。テコアで角笛を吹き、ベテ・ハケレムでのろしを上げよ。わざわいと大いなる破滅が、北から見おろしているからだ。』Jer6:1

 

『「見よ、民が北の国から来る、大いなる国民が地の果から興る。
彼らは弓とやりをとる。彼らは残忍で、あわれみがなく、海のような響きを立てる。シオンの娘よ、彼らは馬に乗り、いくさ人のように身をよろって、あなたを攻める」。』Jer6:22-23

 

『 見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。』Jer25:9

 

『見よ、わたしは彼らを北の国から連れ帰り、彼らを地の果から集める。彼らのうちには、盲人やあしなえ、妊婦、産婦も共にいる。彼らは大きな群れとなって、ここに帰ってくる。』Jer31:8

 

『北の地から逃げ来たれ』Zec2:6

 

ユーフラテスを国境としてアッシリアを含むことも

 

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総じて

エゼキエルのゴグについては

まず、マゴグという民族の地のゴグという個人を指す。聖書中ゴグはイスラエルの民の中にその名が一度現れるほかはLXXの中で『アガグ』をゴグとし*、また蝗の一匹を王ゴグと追記している。(Num24:7/Ams7:1)*バラムの託宣であるのでこれでも文脈の意味が通じなくもないが、その解釈を採れば終末に関して驚異的なものになる バラムの託宣

預言は実際の北方辺境民族の野蛮な攻撃性を指す意味で、方角としての『北の最果て』の語を用いてはいる。

それでも実際の方角としての北の果てを言い表す意味でこの語は用いられているとは言い難い。

また、ダニエル書終盤での『北の王』とは、その最期の有様が孤立した突然の滅びか、相互乱戦の結果としての諸国家同時滅亡かの相違があるため、ゴグとは整合しない。

では、神の民イスラエルに脅威をもたらす意味での『北の地』はどうかとなると、エレミヤなど律法契約違反の処罰に於いては主にバビロニアを指し、幾らかアッシリアも含む。但し、終末預言の時期での適応は異なる。ゴグの滅びは同士討ちであるので、ダニエルの『北の王』とは明確に異なっている。

従って、ゴグは最終戦役であるハルマゲドンの戦いに諸国民を糾合する立場にある者を指していることになり、その高い立場を『北の果て』と呼び、ところによって、実際の北方の暴虐な民族名を挙げることでハルマゲドンに集合する軍の粗暴性を比喩として含んでいると見ることは可能であり、また妥当とも云えよう。(Joe3:9-11)

これまでにゴグの謎解きとして『北の果て』をロシアであると見立てて来られた御仁は、ウクライナ侵攻を強行して弱体化しつつあるあの国家の様相から、今からでも真に『北の果て』のゴグの実相を考慮し直す機会が開かれている。

ただ、ゴグは別の世界覇権国家を指してもいないと思われる。

そもそも預言される『イスラエル』を血統のイスラエル民族や、現存の共和制国家を対象として設定するところで、旧新の聖書を通底する『諸国民の光』としての「神の選民」『祭司の王国、聖なる国民』の本意を見失っている。

新約聖書福音書、書簡、黙示録で再三その解釈を否定しており、しかも明瞭に述べている。従って、血統のイスラエルには終末にゴグの攻撃対象とはならず、むしろ逆の役割をエゼキエル書の最後の預言が示唆している。それによれば、終末期での血統のイスラエルパレスチナの土地は著しい係争の場とは成り得るが、それはもはや人間同士の争いとは言えない理由がある。むしろ神と人との恐るべき争いの舞台の中心となるように見える。

 

LF

 

Jer51:27以降にバビロン急襲の予告あり、そこではアナトリア周辺とメディアの王らが参加するとある

Ezk36:5 には諸国民の残っている者らとエドムに神は熱意の火の怒りをもって話すとある

 

 

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