Notae ad Quartodecimani

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ペテロ第二3:10 エルガは暴露される

ペテロ第二3:10

主の日は盗人のようにして来るであろう。その日、諸天は大きな音をたてて去り行き、天体は火に包まれて崩壊し、地とそこでの業が白日のもとにさらされるであろう。

【岩波委員】

 

Ἥξει δὲ ἡμέρα κυρίου ὡς κλέπτης ἐν ᾗ οἱ οὐρανοὶ ῥοιζηδὸν παρελεύσονται, στοιχεῖα δὲ καυσούμενα λυθήσεται, καὶ γῆ καὶ τὰ ἐν αὐτῇ ἔργα οὐχ εὑρεθήσεται.

岩波でこの節全体は文中に在って引用文のように独立した扱いを受けている

何か出典があるか?

NA28の註では異文がそこそこ多めながら大きくは違わない

 

But the day of the Lord will come as a thief in the night, in which the heavens will pass away with a great noise, and the elements will melt with fervent heat; both the earth and the works that are in it will be burned up.【NKJV】

 

[ἔργα ]名)主中複 行い、仕事、労働 【新共同】「作り出されたもの」

[the works ]【NKJV】

[εὑρεθήσεται]は「暴露される」の意だが、口語訳が『焼き尽くされる』としているのは信憑性の高いアレクサンドリア写本による単語の違いとのこと。これに一致しているものに同時期成立のヒエロニュモスによるウルガタがある。

 

したがって

「この世の実態が暴露される」または「この世の精神が焼き尽くされる」という訓が得られる。

 

また[στοιχεῖα]名)主中複 『天体は』Celestial bodyと訳される、元は「基礎」「幼稚」転じて「この世の基礎」病弱で初歩的なもの パウロは敷衍して「律法に従う生き方」

 ⇒ ストイケイア

また「自然界の諸要素」とも 

στοιχεια ⇒ elements

   

同句を新共同のGa4:3では『世を支配する諸霊』

『天の万象は焼けてくずれ去り』【新改訳】

『天体は焼けてくずれ』【口語訳】

『自然界の諸要素は熱に熔け尽くし』【新共同訳】

どちらかと言うと「人間社会の基礎的な(良くない)生き方や習慣」「普通の生き方」

訓としては:地上の俗な精神の行いの正体があからさまにされ(焼き尽くされ)る

と捉えることは可能であり、むしろその蓋然性は高いように見える。ただ、そこまでの訳文にするのは難しい。

 

それから

ペテロ書簡が「律法」に言及せず、パウロのような論理を述べないところは注意点の一つかもしれない。彼は異邦諸国を旅しつつもイエスの弟ヤコブの率いるエルサレムのエクレシアにも影響力を持ち続けたが、それはやはり十二使徒筆頭として見做されるところがあるらしい。

そこで所謂「ナザレ派」への一定の配慮を持つべき立場にあり、パウロに責められたアンティオケイアの一件も、ペテロの優柔不断さを見るだけでなく、彼自身の置かれたエルサレムとの強い結びつきも考慮する必要があるのは明らかであろう。彼は双方の民から敬意を受け続けるべき理由があった。彼をつけ狙ったのは第一にヘロデ王統の一派であって、ユダヤ体制がパウロに見せた猛烈な敵意について聖書ではペテロにも向けられたとは語られていない。

そこでまったく異邦人の諸国に入り自由にキリスト教を開示していったパウロとは異なり、ペテロは双方から敬意を受けるべき理由があった。それは福音書に明らかなように、メシアの御傍に在って最も多くを語り、人々にイエスの弟子として良く知られ、イエスという人物に非常な愛着と忠節を見せ、仲間を助けるようキリスト自身から申し渡されたことが多くの人々に明らかであったためと思われる。

ともあれ、これら二つの書簡と言わず、第一書簡の一つだけでも彼はパウロに匹敵する認識を見せ、且つそれに含まれない点までも述べることではこの筆者としての卓越性はまったく明らかと言える。

 

敷衍して言えば、彼はユダヤ体制そのものの行く末を語らず、その前にある聖徒の迫害についてアナトリア北方のエクレシアイを激励し、その迫害の『火』の意味を説いている。書簡の全体はこの基本的観点から読んでゆく理由がある。

そこでエクレシア内のそれぞれの立場の人々に訓戒を与えるのが第一書簡の趣旨となっている。

しかし、第二書簡では聖徒らに『偽預言者』への警戒を述べている。文体が第一と大きく異なるところで偽典の疑いが掛けられる第二書簡ではあるが、パウロ論議を踏襲するだけでなく、そこに独自の観点をも加えており、その認識がパウロ並みに高いことは二つの書簡それぞれに明らかで、ペテロ書簡なしには知り得ない事柄がかなりの密度で含まれている。

 

「教会史」に含まれる初期伝承などからして、ヨハネ・マルコは伯父のバルナバキプロスで亡くなった後にパウロの許を訪ねるだけでなく、ペテロの通訳となったとされていることからすると、マルコ福音書の成立にペテロが関わったこと、また、ペテロ第一書簡へのマルコの関与も考えられる。その場合にマルコ福音書とペテロ第一書簡との文章を比較してみれば、何かの共通点が出る可能性があることになる。

ルカについては、彼がおそらく無割礼であったこともあってか、パウロの傍らから離れることがなかったので、二人の使徒が存命であったおそらく西暦67年まではペテロのところに居たというはっきりした形跡がないようだ。ルカの二つの著作はかなり後のもので、言われるように二十年以上も後に自らの回想をまとめているらしく、僅かに勘違いが指摘されている。それはマルコにもあり一か所王名を間違えている。

ペテロとパウロ、その以前のヤコブの殉教について語るものが聖書にはないのだが、それは唯一十二使徒ヤコブとディアコノスのステファノスだけであるので、特に異例なことではない扱いではある。後には殉教伝が崇められ盛んになるが、それはとうに迫害が終わった中世ではある。しかし、殉教記録そのものは初期当時から口頭や書簡で伝えられていることも明らかで、それが聖典に含まれなかったのは、結果的にそれが聖書の役割ではなかったからなのであろう。

それでも聖徒の殉教についてパウロは前向きに捉えており、その点ではペテロもイヴリーのような仮住まいする者としての聖徒を描いており共通している。特に『あなたがたはこのような道に召されたのだ』としてキリストの殉教に続くべきことを書いているが、同時にその栄光を目指すようにと語り、実際にその道を妻と共に進んだことが伝承されている。彼らの起こした奇跡の最後は、その死に関わったものとなったのであろうことは殉教伝に記されている。それが肉体という『幕屋』を解く時の苦痛の無さである。

 

 

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紛らわしいのは、ノモスというときに、それが律法なのか法律なのかが不明となるところで、定冠詞を持つなら律法と分かるが、パウロはそうしないで明らかに律法について語るところあり、そのため一般の法律を語っているのかわからないところがある。

ペテロ書簡はどうかと思えば、一切律法そのものを語っていない。ただ第一書簡の2:14で一般的法規に従うことを言うばかりで終わる。それも聖徒が余分な荷をこの世に残さないためである。