Notae ad Quartodecimani

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ルカ9:31のエクソドス

Lk9:31
[οἳ 'οφθέντες ἐν δόξῃ ἔλεγον τὴν ἔξοδον αὐτοῦ, ἣν ἤμελλεν πληροῦν ἐν Ἰερουσαλήμ.]

[ἔξοδον]名)対女単 原型[ἔξοδος]
使用例;Heb11:22「ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り」
1Pet1:15「自分が世を去った後もあなたがたにこれらのことを絶えず思い出してもらうように」


KJVでは"decease"を使用。
その語源⇒goo辞書
1338年以前.(名詞)中期英語 deces<古期フランス語<ラテン語 dēcessus 出発,死,(dēcēdere「立ち去る」より=dē- DE-+cēdere 行く;英語の”Cede”に向かう
NKJV
[who appeared in glory and spoke of His decease which He was about to accomplish at Jerusalem.]

BSV
[visi in maiestate et dicebant excessum eius quem conpleturus erat in Hierusalem ]

[Una cum Moyse et Elia intuentur Dominum Iesum Petrus, Iacobus et Ioannes - prout refert evangelista Lucas - quibuscum Ille tractat suum « exodum ... quem completurus erat in Ierusalem ]


口語
[栄光の中に現れて、イエスエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。]
新共同
[二人は栄光に包まれて現れ、イエスエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。]
新改訳
[栄光のうちに現れて、イエスエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。]
岩波委員
[栄光のうちに現れた者たちは、イエスが間もなくエルサレムで成就することになるその旅立ちについて話していた]


所見;「最期」というのは敷衍された意味になるが、もしLXXの第二書の書名ともなっている[ΕΞΟΔΟΣ]を含意していると、過越しとの関連性が意識されていることになる。キリストが長子の罪を除く子羊であることをヨハネであれば書いたろうが、彼の福音書には変貌の場が無い。マルコとマタイはそれぞれ三人の会話の内容までは含めていない。しかし、聴いたのはこの三使徒だけであるから、いずれも伝聞である。ヨハネはルカ福音書を知っていて評している場面が「教会史」にあるので、それで良しとしたと思われる。ペテロだけが直接の目撃者として書簡に書いている。つまり三人の証人の一人としてである。またペテロはこの場面で天幕を設けるという事を「訳も分からずに言った」とマルコとルカが書いているが、エクソドスが含意されていたのなら、旅路の便宜ということか?或いは、その光景が去ることを惜しんだか?或いは、族長ヤコブのマハナイムの故事が思いによぎったのか?実際には天幕は張られず、その山が北方というだけでどこかさえ不明であることは意図された記述なのであろう。

聖証者マクシモス(580-662)の主張のようにモーセとエリヤが律法と預言を表すというのはその通りのように思える。だが、その意義に然程重いものは感じられず、中世異邦人の思い付きの結果のようである。むしろ、エクソドスであることが何を意味しているのかに焦点を当てるべきように思える。(Rm3:21)
いずれにせよ、キリストの死と旅立ちは奥義を成就する上で決定的に欠かせない。また、天界の光の中に棲むことになる不滅性の保持者としての栄光の片鱗を使徒らは垣間見たということであろう。試みを通過する最初の完全者となることの偉大さの予型だったのであろう。この場面を神の是認の言葉が締め括っており、既にこの時点で、御子の完全への信頼が御父から示されたというべきであろう。その完全さを得るには御子の地上からのエクソドスは欠かせない。(神のヘセド?←これは伸び代がある)
モーセのエクソドスがレヴィ族の祭司職を生み出したように、キリストのエクソドスは『新しい契約』に属する聖なる者らを生み出している。そのエクソドス(旅立)について、モーセとエリヤが共に語るとは、モーセという過去と、エリヤの未来が予型と対型として示されたというべきか? 当時の聖なる者らは意識していなかったかも知れないが、レヴィ族がエジプトを出た時点で既に贖いが行われていたように、聖徒らの贖いはキリストのエクソドスに於いて行われていたことになる。従って、その「旅立」は主イエス一人の旅立ちではなかったともいえる。『神のイスラエル』の地上からの旅立ちでもあった。

それから、死体の不明についてモーセとエリヤとイエスには共通点を持っている。
それぞれに死体の在り処が分からず、モーセはピスガの峰で神自身により葬られ、悪魔とミカエルはその死体の件で争ったと言われる。
エリヤは死の前に天界に去る姿を見せ、五十人の探した者らは三日を捜索に当てて見つけることができなかった。
そしてイエスは復活を経ることにより、その肉の体は消滅し霊の体へと変えられた。
使徒の目撃したイエスの変貌の姿は、その霊体としての相貌なのであろう。そこで肉と霊との転換で『雲』が登場するのは、聖徒らの天界への召しが『雲に包まれて』とされているところに附合する。弟子らは復活のイエスの現れを見るまでそれと分からなかったが、最初にそれを認めざるを得なかったのは神殿警護隊とその報告を受けた祭司長派であり、口止め料を払ったところでその認識を最も明瞭に表した。つまり『敵たちはそれを凝視した』と言える。

そこでピシディアのアンティオケイアでのパウロの講話の一言にも連なりが出て来る。
即ち、ハバクク1:5を引用した『驚き怪しめ』の句であり、『詳しく話されたとしてもけっして信じない』の一言である。ハバククはそこでバビロンによるエルサレムの滅びについて語っているが、パウロユダヤ人の神の業への懐疑を糾弾する意味で用いている。つまり、ユダヤ教体制派に着く者らはナザレのイエスの復活をけっして信じないのであり、キリストでも敷衍すれば聖徒でもその上に行われる復活を敢えて認めようとせず、神の経綸から除外され、敵対に至ることになる。


このエクソドスの件は、かなり奥深い秘儀に満ちている。
しかし、それは容易には姿を現さず、それでいて様々な聖書中の最高度の神秘を漂わせている。
その最大のものは、キリスト最大の異兆であり、これは終末に繰り返されることを目撃者のヨハネが語っており、敵も認めざるを得ず、ソドム=エジプトの大都市を揺さ振る。
『霊的な意味に於いて(ἥτις καλεῖται πνευματικῶς)ソドムとかエジプトと呼ばれている都市に彼らの死体は晒された・・彼らの主もそこで磔にされたのであった』
[καὶ τὸ πτῶμα αὐτῶν ἐπὶ τῆς πλατείας τῆς πόλεως τῆς μεγάλης, ἥτις καλεῖται πνευματικῶς Σόδομα καὶ Αἴγυπτος, ὅπου καὶ ὁ κύριος αὐτῶν ἐσταυρώθη.]
ソドムとゴモラではなく、エジプトが対を成しているのは、どちらもやはり脱出[ἔξοδος]が関わっており、共に神の民のいるべき場ではなかった。カナン人のソドムのように背徳的でエジプトのように神の民を虐げたことを言うのであればその呼び名の意味が見える。
バビロンからの帰還が脱出と言われなかったのは一つにはその離開が帰還であり新たな場への移動ではなかったこと、また『大いなるバビロン』との異なりも示す必要があったのであろう。
ここでの『大都市』は聖徒らの死体が晒される場所としての役割を持っていることからすると、野獣を指嗾した『大いなるバビロン』よりは狭い宗教的な場を指している。それを理解する鍵は『彼らの主もそこで磔にされた』の句にあり、初臨の場合にはユダヤ教エルサレムであり、黙示録で相当するのは、同じ宗教でありながら、またそのゆえにも聖徒に激しく反対するであろうキリスト教界と思われる。

野獣による聖徒の滅ぼしを最も喜び、勝ち誇るのはキリスト教界を置いて他になく、聖徒らは本来そこにいるべき場でもなく、キリストがエルサレムから『脱出』したように、聖徒らもユダヤ教エルサレムに相当するキリスト教の象徴の大都市から肉体を解いて脱出しなければならない。
キリスト教界は聖徒の滅びを誇り、晒し者のように侮蔑するが、それも三日半の間で終わることになる。この辺りは祭司長派の動きが予型なのであろう。
その後に『大地震が起り』というのはハガイの言うものとは異なり、キリスト教界に激震が走り、『その都市の十分の一が倒壊する』とは、キリスト教界から聖徒らの教える真実のキリスト教が完全に袂を分かつことになったことを言うのであろう。その変化を惹き起こすのが聖徒の『残りの者七千人の名の消滅』であり、一斉に起きる生き残った聖徒らの天界への召集である。それだ実際の『三日半』であれば、殉教の聖徒らの死体処理を待っている間に、それらの遺骸も消失するとなればこれは大事になろう。つまり、キリスト教界が自分たちに起ると想定していた「携挙」の奇跡であり、官憲をはじめとして驚嘆が人々に臨むがそれをどこまで隠せるだろうか。
この奇跡はキリストの復活が弟子らの主要な福音となったように、『神の王国』の完成をもたらす音信としてこの方法で世に知らされる可能性も低くない。
『ほかの者ら[οἱ λοιποὶ ]はおののいて天の神を讃えた』[καὶ οἱ λοιποὶ ἔμφοβοι ἐγένοντο καὶ ἔδωκαν δόξαν τῷ θεῷ τοῦ οὐρανοῦ.]
というのは、主語が曖昧でそれがシオンの信徒を意味するのか、その他の全体を指すのかが不明だが、これをその不明性の中で広い意味に捉えると、信仰という点で意義深いものとなる。ともあれ、この『ほかの者ら』とは聖徒ではないことがはっきりとしている。そこで終末の諸国民にとってもイエスの『ヨナの印』となる可能性が開かれる。やはり黙示録は『彼らはそれを見た』としているが『雲の内に』であるから召天を直に見るわけでなく、その結果に気付くことを言うのであろう。


⇒ <これはもう、別の記事にした方が良い。ただし、一つで収まるか分からず、しかもかなり時間をかけ、慎重に進める必要がある。しかし、その主題は何なのか、あまりに事が多岐にわたるうえ、最高度の神秘に関わるものらしいので、とても一筋縄ではゆかない>


それから、パスカについて、「ペサハシェニーの存在からして、日付はさほど拘る必要がないのではないか」のような意見あり。
これは他の祭りに代替日が無いことからすれば、却って「必ず行うべきもの」と強調されていること、また、そこに「清さが求められる」べきことも明示されていることになる。従ってのその意見は文字の表層に捕われた暢気さがあり、事の重大性を理解しているとは言い難い。(聖書に詳しいと自認する御仁にこのように無頓着な人が多いのはなぜか?キリスト教に関わる人にはこの程度の軽い考えの人が少なくないことには度々落胆させられる)
もちろん、ユダヤの暦が完全ということにはならないが、キリストの死と脱出はペサハとの関わりにあり、大麦の初穂の振揺にも由来する。そのうえ小アジアの十四日派はユダヤの祭礼に準じたとの証言がある以上、その復興を目指す場合には、個人の都合はもとより天文にも従う理由をもたない。それはユダヤ人にニサン14日と呼ばれる日に行うべき理由の方が大きい。ユダヤ教徒の誤解による一日遅れのセデルの為に、主はその前日に刑死を遂げられたからであり、それは今日まで続くニサン15日に行われる彼らのセデルの風習に歴然と見えている。そこでペサハシェニーを再考すると、律法に対する成就という意義の次元上昇を思い見る。月遅れをそのまま踏襲するべき理由は見当たらないし、この件に関する古代十四日派の史料も今のところ見当たらない。
今日に於いて、万一パスカをニサン14日に行うことが出来なかったのであれば、出来なかったのである。理由にもよるが、それがその人の価値観を疑わせるものとはならない。また、その挙行がその人に救いをもたらすわけでもない。しかし、聖霊の降下による主の臨御を地上に待つ姿勢を見せる者らが存在することを神の前に示すことを重く受け止めるなら、置かれた状況の中で、その人なりに最善を尽くそうと思うに違いない。
したがって、行えるにも関わらず、行わないなら「十四日派」再興の意志をそこに見ることはない。


⇒ 前出




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