Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

ルカ21:24

[καὶ πεσοῦνται στόματι μαχαίρης καὶ αἰχμαλωτισθήσονται εἰς τὰ ἔθνη πάντα, καὶ Ἰερουσαλὴμ ἔσται πατουμένη ὑπὸ ἐθνῶν, ἄχρι οὗ πληρωθῶσιν καιροὶ ἐθνῶν.]NA28


「人々は剣の刃に倒れ、捕えられて諸国に連れて行かれる。異邦人の時[カイロイ]が満ちる[プレーロースォーシン]まで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる[パトーメネー]。」

「異邦人の時pl」[καιροὶ ἐθνῶν]

⇒ エルサレム蹂躙の終りについて - Notae ad Quartodecimani


当初、ヘロデ神殿が存在し、祭祀が行われていた
しかし、ここではエルサレムとして語られている。
もし、「七十週」との関連でみると、施政権を語っていないが、関連すると見られる旧約の句からすると、その線が濃厚に見える。
つまり、七十年に対応するものとしての七十週が当てはまるように見え、共に神殿祭祀が関わることになる。
施政権については、過去に遡って時代を捉える必要があり、ハスモン朝期をどうするかという問題もある。
しかし、第一神殿の破壊から第二神殿の祭祀復興までを七十年と見るなら、七十週は天界の神殿の建立時期に整合し始める。しかし、厳密にはキリストと聖徒の宣教期間の方にひったりと一致する。(七十週の主な目的はメシアの到来時期を知らせるものではない)
ではカイロイ・エスノーンとは黙示の42ヶ月を以って終わるか?
そうなると、第二神殿崩壊がその時の始まりではないことになり、共に裁きの確定の時が関わるのであって、エルサレムの滅びもその時の始まりとは別のもので、裁きの執行が為される時を言っていただけのことになるが・・
あるいは、ヘロデ神殿と律法祭祀体制の終りから、天界の神殿の建立までを指しているのかもしれない。その場合には、黙示録の42ヶ月は終末のものとして別に考えれば良いことになる。というのも、その「カイロイ」の開始は、実際に異邦人がエルサレムを踏み躙るか否かに関わりなく、祭祀の不能がそれを表し、42ケ月については聖徒らが迫害を受けつつ、神殿も竣工できない象徴的状況にある、とは言える。
もし、そうなら、イエスが語った言葉の趣旨は、新旧の契約のいずれかに関わりなく、祭祀の都市としてのエルサレムの機能について述べていたことになる。ヨハネは、『外の中庭は与えられている』とは述べるが、そこを踏み躙るとは言っていない。【「エルサレム」とはシオンと子らの双方を指すのか?】
常供の犠牲と節会と贖罪などが不能となって、西暦70年から「42ヶ月」の終了までに至る。その原因はローマ軍をはじめとする異邦人の攻撃であり、終末に於いては南北の王らと小角である七つの頭を持つ野獣(とその像?)による。【像の段階では、神殿は建立されているかも知れない】
これを考えると、「42ヶ月」の外側に注意が向いてくる

関連
詩74:9
イザ1:12 中庭を踏み躙る
2:3 神の家に上ろう
52:1
60:20
エレ30:18
エゼ30:3
34:29
ダニ8:13-14
ホセ4:14
ゼパ1:9
ゼカ1:12・17
ヨエ3:17
⇒ 引照の密集

[ἔγειρε καὶ μέτρησον τὸν ναὸν τοῦ θεοῦ καὶ τὸ θυσιαστήριον καὶ τοὺς προσκυνοῦντας ἐν αὐτῷ.
καὶ τὴν αὐλὴν τὴν ἔξωθεν τοῦ ναοῦ ἔκβαλε ἔξωθεν καὶ μὴ αὐτὴν μετρήσῃς, ὅτι ἐδόθη τοῖς ἔθνεσιν, καὶ τὴν πόλιν τὴν ἁγίαν πατήσουσιν μῆνας τεσσεράκοντα [καὶ] δύο.
Καὶ δώσω τοῖς δυσὶν μάρτυσίν μου καὶ προφητεύσουσιν ἡμέρας χιλίας διακοσίας ἑξήκοντα περιβεβλημένοι σάκκους.]na28

『聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。』
ヘロデ神殿ならソーレグの外側を測るなと言っている。しかし、当時には神殿は存在していなかった。ヨハネは神殿域ではなく「聖なる都市」を諸国民が踏み躙ると言っている。これはキリストの言うエルサレムに一致する。
蹂躙がシオンであれば、終了は天地の過ぎ去った後になり、エルサレムが聖徒なら天への召しで終わるのでは?
アリヤーの事跡からすると、定礎はされても周辺諸国の脅威と妨害により神殿の建立は20年以上遅延している。

「測るな」とは聖徒が総数も規準も決められているのに対して、信徒になるか否かは「蝗」が去った後まで分からないからか?
42ヶ月」なら「蝗」が去った後に「異邦人の時」が終了することになる。それは中庭の大きさが決まらないという状況に整合する。
「異邦人の時」にはエルサレム神殿の存在していない事態から始まるのであれば、聖徒が召される時に及ぶことになる。だがそうなると幾分か時が合わない。この期間の特徴は何か?
おそらく「異邦人の時」は、ヘロデ神殿エルサレムの破壊から天界の聖徒の召集に及ぶのなら、神殿から神殿ということになる。それはキュロスの再建勅令と同様にはなる。
ならば「異邦人の時」とは、キュロスと大いなるキュロスを結ぶ伏線か?キュロスは第一の神殿の破壊によって生じた「七十年の空白」を終わらせる勅令を発し22年後に神殿祭祀が回復している。それによってイスラエルが異邦人に仕える時が終了した。⇒これを対型付けるとどうなるか?確かに神殿祭祀に相当する崇拝方式は聖徒とキリストの神殿が実現しない限り正式なものは存在しない。
そうなるとヨハネが「外側の庭」と言ったときの聖所とは、当然、天界の聖所と付属の庭のことを言っていた。
しかしなぜ「異邦人の時」と呼ばれるか?イスラエルは神殿喪失により異邦の君主に膝を屈めたが、神殿の再建によってその事態が終息したと見做されている。
一方で、ヘロデ神殿の破壊は再び神の不在をもたらしたので、イスラエルで表される神の民は、仕えるべき主人を再び失ったことになり、確かに神名の発音も失われている。
新しい契約の期間中は聖なる者も祭司とはなっていない。神殿喪失後の初代聖徒の時代も将来の聖徒の現れも神殿祭祀は行なわれてはおらず、大祭司による祭司候補への取り成しが行われてはいたが、祭司の身分は確定的ではなかった。それは大祭司エシュアと聖別されていない祭司団の境遇に相当する。そこで契約期間の観点はしっくりこない。
黙示の預言に相当する42ヶ月の時には、神殿を構成する石(者)らが規準に適っているかが測られねばならない。同時に彼らは諸国民からの迫害によって練り浄められるので、祭司に至らない段階、即ち未だ存在していない聖域の外側の「聖なる都市」では迫害が起こる必要がある。それは地上のもの、または状況なのだろう。


そこでキリストの言う「異邦人の時」に戻ると、バビロン捕囚期との共通項がある。神殿再建のために戻ったのは「イスラエルの残りの者」で、それ以前はバビロンの二重扉の奥に封印されていた。彼らが異邦の軛から解かれたのは、キュロスの勅令の発布の時ではなく、神殿が建立され祭祀が復興したBC515であった。これをヘロデ神殿に関わるキリストの言葉に置き換えると、42ヶ月の後ということになる。より厳密に言えば最低でも1260日+3日半(キリストの宣教と復活に対応)はかかる。ことによるとダニエルの1290日や1335日は神殿の天界での建立を指しているのかも知れない。「幸いな者」となるには預言期間+75日(二か月半)であることをダニエルは告げている。
また、神殿の再建を通して神は「バビロンの王に言い開きを求める」と預言させているが、これは「大いなるバビロン」の滅びと天界での神殿の建立とが同時期になることを予見した内容なのか? 神殿祭祀の回復の時にはバビロンは過ぎ去って24年経っていた。


七十の週は最後の半週を以って完結するが、それがいつ始まるのかはけっして分からないのだろう。
その半週はキリストの公生涯の終りに相当し、そこで何かがまったく終わる。即ちニサン14日であって、翌日を大安息日として過ごし、週の初めの日に復活が起こった。イエスの場合は三日目であったが、聖徒らにはもう半日が加えられている。これは何か?
聖霊の注ぎは復活から50日目であったが、ダニエルは30日後と75日後についてきいている。(正確には三日を差し引く)これは何か?
キリストは二日で、聖徒は半日遅れて三日になる

第二神殿の完成はアダル3日でニサン14日は41日目に当たる。
七十年が終了した翌年に神殿が奉献されたが、七十週が終わるとそのしばらく後に天界の神殿が完成するのでは?キリストを隅石とする聖徒らの神殿。第七のラッパの吹奏の後にヨハネは契約の箱を見ているが、そこでは「幕屋」と言わず「神殿」と言っている。このラッパは聖徒の召し挙げの後に描かれている。(これに対して七つの鉢を持つ天使らは「天幕」から現れており、それはバビロンの滅びの前であることが分かる)
キリストの公生涯の期間と聖徒の預言の期間は同じく42ヶ月であり、これだけは変わらない。キリストの刑死はユダヤ体制の裁きの確定となった。また、その死はサタンを無に帰せしめ、メシアを完全なる者ともしている。そこで聖徒らの死はこの世の体制の裁きの確定であるか?確かに、聖徒の死と召し挙げは彼らを完全な義者にする。(そこで半日か、待つ理由がある)
それまでの期間、異邦人は聖なる都市を蹂躙するが、その終了が七十週の終りを意味し、それが「異邦人の時」の終りとなるか?
神殿は未だ建立されていないが、裁きが確定し37年後にヘロデ神殿は破壊される。聖徒の刑死は神殿の破壊ではなく、建立を導くことになる。神殿の存在しなくなった西暦七十年から聖徒の殺される七十週の終りまでが「異邦人の時」か?それともキリストの死から聖徒の死までか?これは成立は難しい。死から死については無理がある。
確かに蹂躙されるべき対象は死によって地上から去る。では、聖徒の死とは大きな時代の終りを意味するか?余り厳密に見なければ、それも神殿に関わらないだろうか?
つまり七十年も祭祀復興には一年足りなかったし、七十週も祭祀復興の直前で終わると確かに言える。つまり雲と光で祭司らが動けなかったという短い期間がなお残されるのか?

カイロイ・エスノーンには、捕囚期をどう捉えるかが関わっているようだ。
エレミヤが「バビロンの王に仕えることになる」と述べたのは、ダヴィドの王朝に仕えることから引き離されるとの意味ではなく、神に仕えることが出来なくなることを言っていた。それは言わば「異邦人の時」と言えたかもしれない。ではエルサレムが蹂躙されるとの状況は、神の不在の期間をいうのか?崇拝されるべき正式な場所のどこにもない神殿荒廃の期間ということなら、確かにヘロデ神殿破壊から、天界の神殿の建立の直前までが「異邦人の時」と言える。
それは、バビロン捕囚期を念頭に置いた言葉であり、70週に挟まれた年月(これは神のほかに長さを知らない)、崇拝者は正式な崇拝の場所を得ず、終末に大いなるキュロスであるキリストがユーフラテス河畔から四人の使いを解き放ち、彼らがシオンの神殿の再建に向かい、その忠節によって神殿となる資格を得る時まで神の崇拝が異邦人の横暴に踏み躙られることを言うのであれば、聖霊を待たないキリスト教の有様は現に見えるままである。この蹂躙だけは捕囚期には見られなかった。
そうであれば、聖霊によってキリスト教が回復されて後も聖徒の宣教期間の全体にわたり、諸国民はそれを踏み躙り続けるのであろう。つまり、「42ヶ月の間、聖なる都市を踏み躙る」、それはゼルバベルの時に、周辺の割礼の民が示した反応に似ているではないか。ただ、反対工作をしたのか、踏み躙るかの違いばかりで、神殿祭祀再興を邪魔した事に変わりはない。
これは、ますます終末の期間中の困難さを教えるものとなる。

また、七十週は臨在の本質に関わり、その働きは契約にある。


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