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エルサレム蹂躙の終りについて

前記事⇒「ルカ21:24」 16.10

『異邦人の時が満ちるまで』[ἄχρι οὗ πληρωθῶσιν καιροὶ ἐθνῶν.]は、(神殿)祭祀の行われる場としての聖都エルサレムの不在を言うのではないか?
それは西暦70年夏に始まったにせよ、70週と関連があり、必ずしもイエスヨハネの言うのが、一続きの期間ではないのかも知れない。
おそらくは常供の犠牲が停止したところに節目があり、剣に倒れ、囚人として約束の地を後にというのは、その結果としての見える事象ではないのか?
42ヶ月という別の期間にエルサレムが蹂躙されるのであれば、その後に回復があるだろうが、それはシオンの再現だけでは成就しない。至聖所を必要とするからであり、それは聖徒が天に召集されないと完成し得ないものなのであろう。
したがって、42ヶ月の後のエルサレムの蹂躙の終りとは、聖徒らの試練が終わり、天界への召集が終わったことを示す。それは42ヶ月と三日半を要するが、その時に地上の諸国民は聖都を蹂躙しようにもけっしてできない状態に入る。黙示録は天界に契約の箱が在るとして、至聖所の存在を知らせる。この段階で神殿は竣工していると見てよいのであろう。
ひとつの疑問は、イエスヨハネも蹂躙される対象を「神殿」とはせず「エルサレム」また「聖なる都」としたところにある。やはり神殿を擁する聖都と述べることで、選ばれる以前の聖徒の全体に言及したのだろうか?その蹂躙がイスラエルを練り清めるからだろうか?
ヨハネが42ヶ月と限定したのは、その期間が一続きの最後の部分を成しており、且つ聖霊降下による聖徒の活動期間として特別に挙げていると見れば、双方の句を整合できる。ダニエルは終末での常供犠牲の停止があることを述べており、西暦七十年のものと合わせると、一方は停止して再開しないが(ハモナはこれを再開させると唱えるのだろう)、もう一方は一度停止しても、その直後には神殿が再建されることになる。従って、そこから後は如何なる諸国民も蹂躙はできず、むしろ、外の(諸国民の)中庭には諸国民が満ちることになるのであろう。これが象徴的なシオンの民であり、こぞって神の家に登るという人々か?神殿域に相当する人々の総数は決まっているが、中庭を埋める人々の数は裁きが関わるので不定なのであろうから、測ってはいけない。

ということは、神殿ではなく『幕屋』から現れる最後の七人の天使と、雲のため崇拝ができない事態の描写は、本当に奥義完遂の直前の僅かな時間のことを言っているのであろう。

あるいは、ヨハネが『聖なる都』と言う背景には、神殿と異なるものを指しているのではないか?なぜなら神殿域は異邦人の蹂躙できる場ではないからで、中庭が彼らに確保されるからには、蹂躙しているのは城市の方で、それはシオンを指すのか?
だが、その場合、明らかに42ヶ月迫害に遭うのは二人の証人の方であることが明記されているので、これは成り立つようには見えない。
問題は「エルサレム」が神殿を擁するものか、それとも持たないものか、その中間で仮に持っている状態か?その三つめの見方が一番似合っているように見える。

70週が明けてから至聖所が存在するということであれば、「七十年」の明けない以前で、定礎後のエルサレムがしっくりと合う。それは神殿と云うことができる段階になく、それでも常供の供儀は再開されており、そこを呼ぶとすれば「シオン」と言うには住民が居り、神殿というには存在しておらず、「エルサレム」と云うほかになくなる。その期間は二十年間という比較的に僅かな間だった。これが42ヶ月に相当するか?
(もし、そうならそれに先立つ2年は何か?即ち1/10 ああ!河からの旅程か、いや、降下前だろうからシオンが妊娠している状態かもしれない。残りの者が生み出される「地」とは、どこの地か?それでシオンの出産は異常なのか)

ということは、降下から燔祭の開始までいくらかの時差がある。
もし、過去を踏襲するのなら、秋に始まり、過越の翌月に確立されるということにはなるが、それはどうか?
ともあれ、反対は時を同じくして始まるらしい。また脱落も早い段階からあるらしいことがダニエルにある。いずれにせよ、事の展開は猛烈に速い
その前に、北の王が相当に強くなっていることが前提にある。

しかし、このルカの言葉はキリスト自身が語った預言であり、終末の背教を導き誤解させるための罠であるのかも知れない。
地上のエルサレム固執させるのに、ここまで効果的な言葉も珍しい。

結論として ⇒ 「異邦人の時 恐るべき誤解の種」
quartodecimani.livedoor.blog

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50歳を前に病気療養中の母親の面倒を見ようと、函館市にUターンした、今はやりの地方移住者でもある。

 Aさんは現在の心境を「よく周りに『一人で寂しくないの?』と聞かれますが、全く感じません。彼女もいましたし独身主義者でもありません。お酒を飲むのが好きなので、居酒屋などに飲みに行けば、その場に集まった人たちと疑似家族的な付き合いはできます。周りの既婚者を見ても、家計の柱は夫なのに主導権は妻が握ってます。いびきがうるさいとか、トイレの蓋の上げ下げとか、妻の顔色をうかがう生き方をしているようにしか見えなくて、疲れると思う」と話す。

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