Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

崇拝をどう把握するか

聖書でいうところの「崇拝」が、今日様々な形態で行われていることにはなっている。
ユダヤ教の日に三度の祈りや安息日また祭日でのシュナゴーグでの会合があり、嘆きの壁に詣でることも含まれる。
もっとも、ユダヤ教オーソドックスなら、それを正式な「崇拝」とは認めないとは思われる。彼らは何事にも厳格で律法に準拠しないものを「崇拝」とはしない。ただ、今日に行える範囲でのシャロッシュレガリームを「祭礼」とは見做し、それは後に付け加えられた祭日にも相当する。

一方キリスト教では「日曜礼拝」の語に見られるように教会堂に集い、教えを受け、また祈る。
これを古式では「主日礼拝」と称して聖体拝領も含んでいる。つまり神殿崇拝の延長を自認している格好になる。
その原型は「主の晩餐」にあるので、陪餐を基礎にはしているが、昼間から葡萄酒を与えるのは躊躇してジュースにしたり一種陪餐にしたりと本来のものとは異なっている。その基本的姿勢を厳粛な死から目出度い復活に入れ替えてしまったところに根本的違いがある。

しかし、聖書が伝える神の「崇拝」については、以下のように今日では地上のどこにも行われていないと言える理由がある。
それは「契約」が介在するためにであり、それが存在する以上、神が契約に基く崇拝形態を軽視することは考えられず
エデンからの一貫した人類救済の意図がそこに懸かっている以上、契約に基く崇拝方式こそが真実の「崇拝」と言える。
殊に、かつて一度、そしてもう一度、契約を介して崇拝方式が確立されていたのであるから、今日「崇拝」がアベルの祭壇に戻るとは言い難い。経綸は次第に上昇しキリストの高みに達したのではなかったか。

それに対して、今日誰かが集まって聖書に基く事柄、例えれば講話を聴き、祈り、聖書を読むなどしたからと言って、それが「崇拝」と成るかといえば
本来の『崇拝』の持つ意義からは遠く離れたものでしかなく、精々が「集まり」や「宗教的時間」と言えるほどに過ぎない。

神の崇拝とは、必ず神との仲立ちを要し、かつては動物の魂がその代価であり、キリストの魂の代価のあるところに聖霊が無ければ崇拝とは言えない。
『新しい契約』において、それはエルサレムでもないところで自在に行われるものであっても、聖霊こそがキリストの犠牲の受け入れを示す神の証しであり、それが無いのなら、それは「崇拝」とまでは到達していない。神の是認なく、その預かり知らぬものだからである。また、大祭司としてのキリストを通さないのであれば、誰が何をしようと「崇拝」の意義にまでは達しない。

使徒時代のキリスト教では、第一コリント書簡に見られるように、今日では想像もつかないような聖霊による祭祀が行われており、超自然の印がエクレシアの中に満ちていた。その集まりのまとめ役は、聖霊を注がれた者らが一斉に話すのを止めさせ、順に話すよう秩序立てるように求められている。
また、話すばかりでなく、癒しや強力な業(奇跡であろう)など、外面的に信仰を惹き起こす印も行われており、これらは聖霊注がれた者らへの神の恩寵と、『神の子』とされキリストの業を受け継いだ彼らの立場を証し続けるものとなっていた。

今日、このような崇拝を行える者は絶えて居ない。即ち、聖霊が地に注がれていないからであり、『契約の使者』としてのメシアが不在であるからに他ならない。
『新しい契約』は聖霊降下と共に第二世紀以降から途絶えており、キリストの臨御が起る終末まで、即ちダニエルの七十の週の最後の残った半週が到来するまで、聖霊の注ぎは起らず、また必要もないであろう。だが、定めの時が到来するときには、再び『新しい契約』に基づく崇拝が開始され、それは『常供の犠牲』として地上で聖徒らによって捧げられ、1260日存続するであろう。

かつて、律法契約がイスラエルのカナン入植に伴って発効して以降に、旧約聖書に異邦人祭司を見なくなった。
その以前には、サレムの王して祭司のメルキゼデク、モーセの舅となったケニ人レウエル、荒野のイスラエルを呪ったアラム人バラムなど
アブラハムの裔の確立前には多様な全能の神(エルシャッダイ)の意図を告げる聖なる者が諸民族に散見された。
それらであっても、神の霊感が関わったことであり、神はアブラハムの裔が確立される以前には、多様な仕方で人と関わった様が窺えるが
恣意的に自分が祭司であるかのように振る舞ったとは言えず、それは霊感の無さによって社会から敬われることもなく祭司とも預言者とも言われなかったであろう。

また、アブラム自身も一度ならず祭壇を築いて犠牲を捧げており、その習慣を辿るとアベルに行き着く。
しかし、アダムとエヴァは何ら崇拝は課された形跡がない。それは不必要だったからであり、原罪を犯した当事者に神との和解の余地がないからであろう。

従って、「崇拝」とは神と人との間の隔たりを認め、それを埋めるためには犠牲を要することを教えるものである。
そこでアブラハムの裔には律法契約による祭祀制度が与えられ、レヴィ族の買い取りを通して聖なる部族と、その祭祀が規定された。
それが即ち、キリストの犠牲によって完結されるが、その犠牲が更に従属の祭司に相当する『聖なる者ら』への『義』の『契約』による貸与が必要とされており
この律法契約に対する『新しい契約』は今日までも終了していない。
『新しい契約』の目的はキリストによって捧げられた完成された犠牲の価値を、従属の祭司となる選ばれる者たちに適用し、その者らをキリストの兄弟、『神のイスラエル』と成し、天界の神殿の構成者とするところにある。
これは人類救済のための天界の神殿の完成のための契約であり、なお準備的段階のものである。
モーセを通し、律法契約の目的はイスラエルを『祭司の王国、聖なる国民』とするためのものであることが明かされていたが、肉のイスラエルの不信仰によって律法契約はその目的を果たせず、メシアを仲介とする『新しい契約』にその目的は引き継がれている。

今日では、その『新しい契約』がキリストの不在により中断した状態にあり、契約に基く崇拝は行われていないことになる。
もし、そのような崇拝が存在するなら、そこには『新しい契約』の印である『聖霊』の注ぎ出しがあるはずで、それを受けた者だけが正しく崇拝を行うと言える。
だが、今日でも人の崇拝心、また礼拝願望が絶えず、多様な仕方での「崇拝」が唱えられてはいる。
だが、それらに神の介在があるという証拠はなく、その「崇拝」に参与する人々の自己満足という以上にはならない。
即ち『崇拝』と称するまでには価していないということであり、それぞれそれなりの価値を持つだけのことである。


律法契約の地上の神殿祭祀は予備的なものであった。
しかし、バビロン捕囚と神殿祭祀の復興は、神の王国に至る以前の聖徒の立場に光を当てるものとなった。
シオン山上に神殿が再建される過程から、キリストの聖徒らの境遇を類比することができ、それが予備的崇拝であり、聖徒の聖化は途上にあることが分かる。
それに比べれば、律法祭祀の方が贖罪の日を伴っていて、仮のものながら安定的であったことになる。
この点では、キリスト教は未だ贖罪の日を持たない状態にあり、そればかりか、大祭司さえ不在となっている。即ち、バビロン捕囚期と同様であり、大いなるキュロスの到来が待たれる現状にある。
対型的キュロスが布告を出す時に到るなら、すぐに仮の祭壇による日毎の犠牲は始められようが、至聖所が無いために祭司らの聖化は行なわれない。
やがて42ヶ月の後に常供の犠牲が阻害されるに及び、いよいよ天界に神殿が建立されるに至り、その時にはレヴィは清められ、新たな崇拝が正式に始められる。これこそがキリストを大祭司とする真実の贖罪をもたらす真実の崇拝「神の王国」
「クリスチャン」は「礼拝」や「崇拝」という言葉を余りに安易に使い過ぎる。
現状では、キリストは何ら崇拝を行なっていない。今は対型的バビロン捕囚期であり、「誰も働けない夜」が続いている。キリスト教は大いなるキュロスの現われを待つ以外にない。即ち、聖霊によるキリスト教の回復である。


そのときに至ればアリヤーの大祭司エシュア(偶然に同名か?)が、地上にない神殿跡地に仮の祭壇を設けて常供の犠牲は捧げ始めるのであろうし、それが地上に於いては聖徒の活動の三年半となるのであろう。
だが、彼らの聖化は試みを経る必要があり、二度目の天界でのキリストと十二使徒との聖餐が行われるときに、選ばれるのを待たねばならない。これが『レヴィの清め』であり、仮の崇拝は天界での神殿の建立に伴って遂にあらゆる予型が成就する崇拝が開始される。これが神の王国であり、人類は初めて『罪』からの救いの崇拝に与ることになる。

そこに至る地上の過程での聖徒らを、アリヤーの仮の崇拝を支えたゼルバベルとエシュアのように『二本のオリーヴの木』に例えるのはまことに適切と言える。
神殿再建に至る帰還民団をまとめ上げ、遂にダレイオスの第六年アダル三日に神殿落成を見たのであり、それは陰暦で神殿と祭祀の喪失から丁度70年目のことであった。
翌年のニサンから祭祀が回復されたが、これら一連の出来事は終末の聖徒らの活動とその結末を指し示す予型といえる。
その対型は、天界の神殿をキリストを隅の親石として構成する14万4千の石と言える。

第二神殿の落成の前に、アリヤーの民は仮の祭壇で常供の犠牲を再開していたが、それは終末の聖徒らの地上での活動を暗示しており、対型のキュロスがそれを可能とし、且つ神殿再建を導くに違いない。
それに対して、地上に第三神殿を建立する企みはアンチ・クリストと共に倒壊することであろう。

そこでエレミヤの70年が祭祀の復興を指し示したように、ダニエルに啓示された70週年には天界の神殿の落成が関わっている。
だが、70週年については『その時は誰も知らない』との秘儀が関わっており、それは聖徒らと人類の裁きが関係するゆえの不明である。
従って70週年の終期を予め探ることは不可能に違いなく、人は聖徒らの聖霊の言葉による活動を以って初めて終末に入ったことを確言できるようになるのであろう。
それが、地上に於ける仮の崇拝、常供の犠牲の開始であり、それ以前に人が「崇拝」を行える道理はない。
今日までのキリスト教徒はこれほど偉大な『神の王国』を無視して、「崇拝」を余りにも軽く、また無意味に口にしている。


それでも「崇拝」を強弁する最たる存在はアンチクリスト、『荒らす憎むべきもの』の所業となるであろう。
それは脱落聖徒の最大の害、終末に予告された『背教』であり、地上の旧来の信仰信条を集めた一神教の信仰合同的な宗教的野合である。
アンチクリストは、三位一体を利用して自分を神とし、おそらくはパレスチナのどこかに神殿も建立するようであり
いまさら無意味な律法的崇拝を行い、人類に強要するであろう。
即ち、最後にして最強の『背教』であり、『自分は神だ』と言う「生ける偶像」の登場と思われる。
この地上の「神の王国」は当然ながら、人の目に見えない『天の王国』と対峙することは避けられず
神と人の決定的な戦場『ハルマゲドン』への権力の召集を免れないであろう。

もちろん、その「崇拝」はこれ以上ない害悪であり、世を滅ぼすことに於いて『荒らす憎むべきもの』への崇拝となる。


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人は従順によって義を得るか?

ヨブの義は人間同士では有効であっても神に対しては無効であった。
ヨブは自分は神に従順であったと思ったろうか?
だが、従順は忠節とは異なり、従う相手に対して責を問う。ヨブは自分の正義の代償を神に求めたが、それは忠節というよりは従順であったろう。
しかし、忠節はそうではなく、結果の如何を問わず相手に良かれと思い行動する。
その点で従順は結果を相手に丸投げして求めることであり、従う相手との間に距離を作ってしまううえに、没人格的でありながら貪欲でもある。その結果を要求するところだけに於いて人格的に振る舞うからである。(ヨブ34:5・40:8)
神が「ヨブを神を恐れ悪から離れて居る」と誇ったときに、ヨブの問題にも気付いていたに違いない。その後の物事に展開にそれが表れており、ヨブが究極まで己の義を高めて神に行動を要求することも読めていたであろう。そこで道徳律を守り、行いを誇ることが神の義に達しないことの典型的な例となったことがヨブ記に結実している。
行いで神の前に義を得られたのはメシアただ一人であった。ヨブ記はその価値の高さを例証するものともなっている。従ってキリストが『従順を学んだ』という言葉に祖語は無い。だが、ほかの者は押しなべて従順によって義を得られず、忠節を神は求めるのである。さもなければ、律法の業によって人は義を得ていた。罪ある人間が従順によって神の前に義を得ることは明らかに不可能である。
神への従順を強調する「キリスト教」は、キリストの犠牲は要らないと言っているに等しい。ヨブ記が教える最大の教訓はここにある。
まして、神とサタンの論争に罪ある人間が解答を出せるなどと主張するなら、これはキリストの犠牲への冒涜である。なぜなら、それはキリストだけが行い得たことだからである。

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[ וְעַ֨ל כְּנַ֤ף שִׁקּוּצִים֙ מְשֹׁמֵ֔ם]
and on wing of abominations one-making-desolate



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