Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

Rev7.8

7:14「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。
7:15 それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。
7:16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
7:17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。


Gen12:3
Lev6:29
Ps15:4
Ps16:19
Rev11:2
Act26:7
Isa62:6
Rev22:14
Rev21:3
Ps121:6


8:1 小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。

LK1:10
Lk18:7
Job34:29
PS65:1
Ps141:12
Nub16:46
Lk12:49
Ex30:7-8
Lev16:12-13

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大衆化や世俗化は心霊術や何等かの惑わしの作用が働いているのだろうか?


使徒ヨハネの時でさえ、偽の霊が働いており、聖霊との違いに注意させるべき理由があったのであれば、終末にも聖霊と偽の霊とがあるに違いない。小麦と毒麦の例えは終末にその結末を迎える。それは使徒パウロが書いたように『既に働いている不法の奥義』[τὸ γὰρ μυστήριον ἤδη ἐνεργεῖται τῆς ἀνομίας· ]であった。それは「不法の人」を来たらせる『あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを』行う。それであるから、聖霊の奇跡の賜物は無くなったなどと言っていれば、その区別もつかないだろうし、そうなると、キリスト教界はどちらも無力なだけでなく、いよいよ終末ともなれば、ただ有害なだけではないか!大半のキリスト教徒はそれぞれの教理から容易には離れられないであろう。ニュートラルでいることはどれほど難しいことだろうか。現在の教理は終末でのサタンの罠となるだろうが、すでに様々にセッティングされている。おそるべきことながら、それが神の許すところであり、皆があまりに呑気だ!米国が異常なまでにキリスト教的であることが、終末でムーヴメントを形成してしまうように思えてきた。しかも、それはどうやら「大いなるバビロン」の滅びのなお後のことになるようだ。
キリスト教キリスト教を以ってこれを制するか?それでは「大いなるバビロンの滅び」とは論点を明確化するための前座に過ぎないということになるのだが!?それでは今日の三大宗教が世界を混乱させている以上にエラいことになる!数千年前からの「神の言葉」に人類は徹頭徹尾翻弄され、それが巻き起こす渦潮に揉まれて終わりを迎えるのだろうか!それでは「思想的なノアの大洪水」のようではないか!神の言葉への誤解がその水となり、あらゆるものを押し流し、数えきれない魂を呑み込むということか?俄かには信じ難し!もう一度考え直すことにする。

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References ad Pascha
①Jh2:13 Jh2:23
②Jh6:4
③Jh11:55 Jh12:1
④Jh13:1 18:28 18:39 19:14

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Ήγεσιππος (c. 110 – c. April 7, 180 )
エウセビオスによれば、彼はユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ人であると
彼は旧約、ヘブライ福音書、口頭伝承、シリア語福音書を引用している。
アニケトゥスの時にローマに来訪しエレウテルスの時まで執筆したらしい。彼の生涯中にハドリアヌスの愛人アンティノウスがナイルで死亡し神格化されたことは分かっているという。
彼の著作は全く失われており、エウセビオスの八つの引用だけが知られている。それによれば五巻の"Ὑπομνήματα"「備忘録」があったという。
彼はアニケトゥスの時に東方からローマに至る過程でコリントスに立ち寄り、各地のキリスト教の均一性について証しすることができたという。HE6:22 Hegesippus
ということは、アニケトゥスからウィクトルまでの間に何か変化があったのかもしれない。あるいは、彼はエフェソスやミレトスには寄港しないでコリントスに向かったか?コリントスはポントスと共に反小アジア的であることが知られている。


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