Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

メモ

1.塵の中に眠る聖徒の裁きは確定している。
裁かれるべきは、生ける聖徒たちであり、人類の裁きの進む過程で共に精錬されるようだ。

眠る聖徒は復活そのものが裁きとなるので、霊と出るか、肉と出るかの違いが生じるだろう。
肉に出た場合、反王国の群集の一部として復活するのだろうか?
(これに伴い:復活を遂げない人がひとりでもいるのだろうか?)

2.ギリシア暦153年2月、シリア傀儡の大祭司アルキモスは中庭のソーレグの破壊を命じた。(宗教指導者に相応しからぬ人格)
その後、病で死んでいる。
何故ソーレグの破壊を命じたのかについては、彼があのエピファネスの子の王の傀儡であるところが大いに疑わしい。

3.マカバイ第一9:27に『預言者たちが彼らに現れなくなって以来起こったことのないような』の記述あり。⇒一方で同書4:46は汚れた石の処分について預言者の到来を期待している。

同書6:49.52には「安息年」を守っていたかのような記述あり。

同書7:14『アロンの家系に連なる祭司であれば、軍を率いて我々を不当に扱うはずもない』⇒信仰者の最大の欠点、人間の実相を見抜く理性の放棄がある。

同書4:60「シオンを異邦人が踏み躙ることのないように」の記述あり。これはエピファネスの一件を指すのであれば、蹂躙されるシオンとは当然主権ではなく、祭祀権であろう。


ヘブル書成立年代が61年とされるのはどんな理由によるのか?
ヤコヴの指導するユダヤ人に書いたのはどうも自然ではない。
では居留民にか、では詩篇95を含んだ価値が減じないものか?
文章はパウロギリシア語ではなく、伝承ではルカが訳したという。
そうなると、ヘブライ語(の証拠があるようだ)で書いたのなら外地人向けとは必ずしもいえないように思える。
ルカが訳す必要があった理由は、後の世界伝播ではなかっただろう。
エクレシア内の異邦人のためと思えるが

アルビノスの着任が62年、その直前のヤコヴが殺害されヘブライストの間に動揺が走ったなら、安心させる必要が生じる。
私は62年ではないかと思えてならない。

その優れた内容は直ちに異邦人やヘレニストに求められ、ルカが求めに応じた。その頃パウロは釈放され地中海をあちこち最後の宣教して回っており、忙しく、或いは死期の近いのを知らされていたかもしれない。そのためこの書はパウロギリシア語とはならなかった。
それは後代のギリシアキリスト教の編纂を待つことなく特に早く訳されたのではないか。



Time table ----------------------


1.聖徒の出現 (蝗害)
臨御のはじまり シオンの繁栄

2.北王の侵略 (戦争の知らせ)
聖徒の苦難  食料不足 地震 疫病

3.七頭の野獣の野望 (八人目の王)
不法の人が座に就く (常供の犠牲の途絶)

4.聖徒への攻撃 (大いなるバビロンの慫慂)
十分の一の離脱

5.獣の崇拝 (666)
人間主義賛美

6.大いなるバビロンの滅び


7.シオンへの北王の恫喝
北王の滅び セナケリブの敗走

8.聖徒の招集
シオンの娘は脱穀橇となる

9.ハルマゲドンの戦い (怒りの葡萄搾り場)
イェホシャファトの谷の裁き (顕現)







                           






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