Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

「裁き」[シャファト]

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断罪だけでなく調停による救いをも意味する。
Gen16:11 בעיניה ישפט יהוה 「イシュポット」裁くように


2Chr Joe3
エホシャファトの勝利 ⇒ ベラカ(賛美)の谷 ⇒ 「裁可」の谷Joel
この王のモアブ・アンモン・セイル連合への勝利と「裁きの日」は関連するか?

Joe3:2 וקבצתי
את־כל־הגוים
והורדתים אל־עמק
יהושפט ונשפטתיעמם שם על־ עמי
ונחלתי ישראל אשר
פזרו בגוים
ואת־ארצי חלקו

1Joh4:17「裁きの日」に憚りなく語るため・・我らは世にあって彼の方とまったく同じであるから
(神は我らに霊を与え給うた・これによって神と結びついている/キリストを神の子と告白する者は皆、神と結ばれている)


Mt12:36-37人は語るすべての言葉について「裁きの日」に申し開きせねばならない。
あなたは自分の言葉によって義と宣せられ、また罪せられる。
(心にあるものから口は語り、善良な者は自分の善い宝から善いものを出し、邪悪な者は自分の邪まな宝から邪まなものを出す)



Rom10:10人は義のために心で信仰し、救いのために公に語る。
(キリストが主であると公言し、神が復活させたと信じる)



2pet2:9-10 エウセベイアを行う人たちを試みから救い出し、他方で主権者#「キュリオテース」(単)を見下す者(単)を処断するために「裁きの日」まで留置する方法を主(神)は知っている。
頑なであるこれらの者ら(複)は栄光ある者たちに慄かず、あしざまに言う。
(バラムの道を行き、大言を吐き唆す)(義の道を知らない方が良かった)
(豚は洗われてまた泥に転げまわる)(罪せる天使・ノアの世代・ソドムとゴモラへの忍耐)
#この訳語には問題を感じる

ヨエルは自分の百年ほど以前のエホシャファトの故事を引き合いに出している。
その預言の一半は使徒時代に成就した。
黙示録は蝗害を繰り返す。
「裁可の谷」(エルサレム南東方向)に実際に諸国民が群がる姿はエホシャファト以来見られていない。

戦わない勝利 賛美を前面に立てる 


聖徒との関連:聖徒は最終攻撃の時点で天軍に在る*。憚り無く語る必要があるのはその以前の地上であろう。
それに反対する者=荒憎者の阻供 不法の人からの慫慂


「裁きの日」と「裁可の谷」には幾分かのズレがある。
別のものを語っているのではないか?

「裁きの日」は聖徒に関わるが、「裁可の谷」は聖都(飾りの地)に関わるようだ。


Danの攻撃がラキシュからもたらされるのなら、ベラカの谷はその東側となる。
共に聖都の「南に面する」Ezcことでは共通する。


ではエホシャファト自身は誰の予型か?
他方、「裁きの日」は何時終了するか?


結論:
もし、「裁きの日」が聖徒の忠誠に関わるなら、その「日」は天への召集には終わる。
「裁可の谷」の事象はその後に起こることになる。
エホシャファト自身の対型は見出せそうにない。

ヒゼキヤが先、エホシャファトが後で歴史順とは逆になる。

1Sam2:10「【主】は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。【主】は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます。」(新改訳)





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