Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

エゼキエル40章以降

イスラエルの地ではあっても、シオンともモリヤともしない『非常に高い山の上に』(「非常に高い」)

『エゼキエルが降ろされたのが北側であったためか、『その南側に街のように建設された物があった』としている。この「南側」とは「向かいに」の意かも知れない。であるから、エゼキエルの着地点は、更に北であった。

この40章以降の幻の内容は『あなたの見ることを、ことごとくイスラエルの家に告げよ』と同伴の『姿が青銅のように輝いている一人の人』に命じられる。
これは、捕囚の民への慰めと解されてきたが、この書に明言は無い。

神殿は、詳細な寸法がここに示されているので、幾らか(祭司の食堂の一部)を除いて、ほぼ全部の再現が可能なほど数値に矛盾が見られないほど具体的である。

その崇拝形態は、まったく律法に属するものであり、異なるところは神殿が存在していない新たなものであること、ザドク系祭司を任命するというソロモン以降の定式であること

外壁の長さが1500mほども有って、現状のモリヤの丘陵からははみ出すこと
それでも実際の建設が不可能ではないこと

「長」また「君」と呼ばれる者の存在

東に開かずの門があるとされるが、これが解釈によって分かれる

神殿からの水の流れについては分かり難いものではないが、ここに善悪の交錯がある

この神殿はエゼキエルが見ている時点では、無人で機能前である
アアロン ハブリート、またウリム ヴェ トンミムへの言及が無い Jer3:16

割当地の記載でダン族が明記され、それも第一に言及されている(!)

シメオン族の明記がある

北限がダマスカスを遥かに超えてハマトの入り口にまで及んでいる

同じくユダとベニヤミンの相続地の位置が逆になっている
(「地境を移してはならない」)

相続地の割り当ては歴史上のものと異なる

『街』の門についてはレヴィ族が含まれ、エフライムとマナセが『ヨセフ』の門に統一されている
(「十二部族の名が有る」)

ダンの門が東に位置して優遇されている

それから「長」と「レヴィ」の相続地は律法や史実からはまったく乖離したものになっている



キリスト教関連の人々からは、おおよそ二種類の見方がある。
一つには、これがキリストを大祭司とする象徴のものであるとするもの
一つには、実際にイスラエルに建築される預言であるというもの
<「長」とは再臨のキリストである、または反キリストとも>


ユダヤ教では
ベン ザッカイらはここに夢を見ていたのでは?おそらくはアキバも
現状では神殿什器類は再現されている(但し、解放時5400を数えたという金銀の什器に相当するほど、また祭祀を継続するに足るほど整備されているかは分からない)
ユダヤ教側が神殿再建に至らない理由は、建築者がメシアでなければならず、現状では至聖所の跡地を足で踏んでしまわないために入域せず、イスラームがモスクに向かうために入域しているが、ユダヤ教側は検問を設け当然これを喜んではいない。


イスラームでは
イーサーの先駆者であるマフディがエルサレムのドームに住まうことになるとハディースに記される。(ドームというこの預言に従う場合、エゼキエル神殿の建設は難しいことになる)




だが、四十章以降の文面を読むと、幾つかの謎がある。綿密に読むと「異様」なところが散見される。
そこで上記の二種類とは異なる理解の道がほんの僅かに小さく口を空けている。それは非常に分かり難く、且つ呪いと祝福とが交錯するように述べられていると読めるので、これは余程に慎重でないと、また前提条件を付けずに考慮しないとまず見出せない。

もし、それが正しければ・・これまでの解釈と根本から異なることになる。<信仰者とは概して自分に甘過ぎる。苦行者でさえ自分に関心が向いていないか>
これは深い倫理に関わるものとなるだけでなく、時限解釈の新たな領域に踏み込むことになる。

上記の律法と異なる幾つかの点、それから相続地の異なりと、無人であったこと、またこの13年以前の『第12年第12月の1日』の啓示により骨の谷とマゴグの地のゴグによる一連の滅びの預言が先行しているが、その順序で見るとこの神殿に有る種のニュアンスが加わる。
『神を畏れるは知恵のはじめ也』とはこうしたことなのかも知れない。

ダニエルの幻に匹敵するほどの黙示であり、ネイヴィームの全体に意味深い啓示が散らされている様がますます浮彫になる。ヨハネ黙示録はその司会者のように見えるほどに、旧約が余程に雄弁であることになる。これは漸進的啓示ではなく、既に精密に仕上がった素材が聖書中に散らされているというべきか。
おおよそは把握できたが、これはどう扱うか?余りにも倫理に関わっている。


その都市 - Notae ad Quartodecimani






<本日の未明に>



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