Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

エゼキエル後半註解撰

 

 

 

・メシェクとトゥバルの大君である<・・・>

マソラでは「マゴグの地の」というのは、ゴグと分離されて書かれ、この詳述は本来のものかが疑われている。LXXでは39:6をゴグと読む

<やはりマゴグは「ゴグの地」と解釈される⇒「GG」

 

・パラス、クシ、プト いずれも北アフリカであり北方のゴグの従属国には考えられない

 

・ゴメル ギリシアではキムメリア、アッシリアではギミルライ

前八世紀に小アジアのウラルトゥ、その後フリュギアとリュディアの征服者となる

 

・ベト・トガルマ Gen10:3によればゴメルの子、アッシリアではティルガリ

 

・マソラでは「ゴグがイスラエルの地に攻め入るその日には」は旁註

重装備の大軍と災いを予期していない無防備な農村

しかし、YHWHによりゴグの指示により民には知らされていたという要素がある

 

・アバリム

イスラエルの墓地として知られる地、海の東のアバリームの谷をゴグに与え(彼らはその谷を塞ぎ)そこにゴグと全ての装飾品を埋めてこれを「ゴグの装飾品の谷」と名付ける

モアブの高地の北西部はアバリームの名を持ち、この海は明らかに死海を指す

「GG」

 

 

・ハモナ

マソラ;「ひとつの街の名もハモナ(装飾)」、ハモナを「ゴグの装飾」と解説

 

 

 

エゼキエル神殿の記述

エゼキエルは捕囚民の長らに辱めを受けた後にこの神殿の図を描いて見せ、彼らがその通りに行うためにそうするようにと要求された。

ぜルバベルはこれに従わなかったし、しかも実現不可能なところが幾つかある。

アイヒロトはその土台の山はシオン以外にないとしていたが、これは今日一部のアマチュア学者にさえ論破されている。

 

神殿の建築の細部についてはオリエントの古い建造物の正確な知識を必要とする

特にイスラエルの建築の広範な見識を要するが、この点でK.エリガーとH.ゲーゼの研究に負うところが大きい。<20世紀での研究>

また、ミシュナーと食い違うところが出て来ることもある

 

・40:1 ローシュハシャハナへの言及は聖書中ここのみ

それで捕囚後25年=前573-572ながら、それが教歴か政歴かで意見が分かれている

Lvi23:24-25での月の十日を新年の始まりとは言えないので、年の第一月を言うことは間違いがない

ただ、エゼキエル書では民事歴が繰り返し用いられている

<45:21には第一の月にペサハを行うとあるが?>

 

<W.Eichrodtは前753年3-4月と想定し、その山はシオン以外に考えられないというのだが、これはどうか?>

 

ムンナーハ 空地は建物ビンヤーンの周囲に有ってその幅は20エレ

西に向かって閉じられた場所ギズラーに面する建物は奥行70

 

・二つある門の幅 おそらく折り戸としての幅と門全体の幅の違い

「入口の幅は6エレ、入口の幅は7エレ」

 

・聖所の周囲に50エレの空地あり、W.アイヒロトはこれを傾斜地と見ているらしい

<しかし、後のソーレグのような障壁の内側を指していたかも知れない>

 

・40:40「北門のホールの片側に」とする方が「北に向かった門を上ると外側に二つの台が」とするよりも良い

 

40:7 謎句「脇間には階から階へと通路がしだいに広くなっていた」

H.ゲーゼは「そのために建物は上に行くにしたがって広くなっていたから」と捉えるが疑問を呈されている

<建築物の設計としてはやや異様だが、狭き門としてこの字句のままでよいのでは?>

 

40:8 「脇間の基礎は」というのは高さか?不明箇所の一つ

 

40:45 祭司たちの二つの食堂 これは独自のもの

南向きは奉仕の祭司ら、北向きはザドク系の者らのため

歌手らの食堂は一か所

第一神殿では中庭の内壁に沿って食堂が並んでいたが、そこでイスラエルの民と祭司らが供与の犠牲に与ったと思われる。但し、コハト系祭司の聖なる食事は聖所内で行われたであろう

第二神殿には個人専用の食堂が神殿に設置されていた Jer35:4-

エズラとネヘミヤは神殿の中庭付属の大食堂について何度か述べている

特にエズラはエホハナンの食堂に引きこもる時期があった

第二神殿での祭司らは神殿付属の食堂で連れて来た子らと共に食事に与っている

 

41:3 「彼が内部に入り」とは控えめの言い方で天使が至聖所に入ったことを言う

至聖所は20×20で第一神殿に相当するとのこと

 

41:5-12は列王第二6:5-6.8:10に対応するが、細部までを特定するのは難しい

神殿の両側面と背後に三階建ての建物があり30の小部屋があるが、その目的について書かれていない。これらは歴代第二3章以下に相当するものがないので、第二神殿にはなかったと思われる。

<あるいは第一神殿を知る者には分かったのかも知れない>

 

41:8 神殿の周囲に「高いもの」がある

これについてはそれ以上の言及がない

<ソーレグの予見か、但しこの神殿の場合は、聖所が一段高い位置にあるので自ずと壁の必要はないことになる。そのために三方に各一か所の門以外から中庭には近づけない。第二神殿では聖所への門が9か所有ったと伝承される>

 

42:1-14 最も難解な箇所

神殿背後の建物の南北に三つの祭司用の広間がある

祭司らの食事と着替えの場所で、民衆との間に建ち相互の接触が妨げられる

 

42:15- 神殿敷地の測定 (文体が幾らか変化)

一辺が500の正方形(各250m)で外側より高い台地

内庭は一辺50mの正方形で中央に燔祭の祭壇がある

そこから十段上がって神殿の建物がある。しかし神殿の高さは言及なし

また、聖所内の机以外に什器の説明もない

<神殿は入口の門より三段高いので、太陽崇拝の可能性はないとアイヒロトは言うのだが、背教を抑えるのは建築物の構造なのだろうか。三段高いと彼が云うのは聖所の周囲を傾斜地と見做す場合であり、確実性はない>

 

43:1-

神の栄光が東門から入って聖所に入ることで地を照らす光は消え、神殿の内部が照らされる

エゼキエルはその前でその語りに耳を傾けることになる

 

43:3 ケバル川のほとりでみた幻」

LXXでは「そして車の幻」マソラは「幻の幻」

 

43:「神の顕現に照らされた神殿の中」

この反対の描写が10:3-5に在る

 

43:7- 王たちの死骸 姦淫 敷居の一重

<これらについてのアイヒロトの想定は浅い>

<多分、自分はより厳しいカトリック系学者の見解を読んだことがある>

 

43:15 アリエールから上に四本の角が

この最上段は「神の獅子」ではなく「燃やす」の語根から「神の炉」とすべき

 

43:21  罪祭の家畜をとり、聖所の外、家のミフカードで焼かねばならない

意味不明の語、おそらくは「定めの場所」の意

(レヴィ9での罪祭の犠牲の残りは宿営外で焼き尽くされる)

<僅かな違いのようでいて相当な意味があるのでは。つまり、この神殿域にミフガードと呼ばれる場があるとすると、『宿営の外の聖い場所』というもの、また『任官の牡牛の犠牲』や『罪祭』や贖罪の牡牛と山羊の血を至聖所に携えた犠牲の残りを焼き尽くす場が、外ではなくこの神殿域の内部にあることになり、これはレヴィへの規定に反する。だが、問題はただ祭祀の規定の問題には留まらないことになる>*

 

44:15- ザドク系祭司らは反逆の時代にも崇拝を固守したことを理由にしているが

これは歴史的な根拠がないとされる

 

44:6でレヴィの家の務めとザドクの聖所の務めに分かれるが40:45-46では祭司に二つの階級があり、内勤と外勤に分かれている

17節以下では祭司の規定事項が律法に即して求められる

 

<ネティニムが居ない上にレヴィがその任についているがこれはゼカリヤとの関連が匂う>

<この悪行に関わったレヴィというのは・・>

 

 

<上図では水流が描かれていないが、第二神殿のような埋没水路を想定しているのかもしれない>

*<癩病人、父に卑しめられた娘、などが同じく『宿営外』に置かれるところからすると、聖なる犠牲の意味に見えるものがある>

 

献納地の割り当て

45:1- YHWHへの献納地 長さ25000 幅20000 聖域

その中の幅10000に聖所を設けるそこは聖所に仕える祭司のもの

また幅10000は神殿に仕えるレヴィのもの

残りの幅5000は聖都の場となる

25000は大海からヨルダン川に及ぶ

君侯の分は、聖域と都市の両側にあり一部族分の長さとなる

君侯は聖地に隣接することで民の供え物の仲介者としての優位性を与えている

 

 

45:9-17 君侯らの奉儀義務

エゼキエルはダヴィド朝の王については語らず、君侯とその伴である君侯らについて語り、この神殿での祭儀への関与を求める

君侯らは民への課税を行い、祭儀を支える役割を負う 13-15

それが民の贖罪制度を存立させ、民全体の福祉となる

45:18の命令は前の節からすると君侯への命令であるが、名を挙げずに「お前」としている。これは律法との相違にもあるように、それまで存在したことのない祭儀が命じられている

<君侯というのが眉唾ものの扱い>

 

45:22 「国の民」との用語はほかにみられない

俗人を指すものと思われている

 

46:1- 中庭の東門と君侯

安息日新月には東の内門が日中開かれる

君侯はその際に門の傍らに立ち、その間に祭司らは燔祭と酬恩祭を捧げ、君侯はその後に同じ門から出て行く

但し民は北門から入り南門に抜ける

 

君侯は安息日新月以外にも自発的に奉納できるが、同じ手順を踏む

 

46:22 「庭の四隅には小さな庭があり・・」ここはマソラ学者の点符号で意義を唱えられてきた箇所で多くの写本に欠けている

 

オーラト・ターミード 常供の犠牲、とくに朝のもの

 

<聖所内では御前の机のほかに特に言及かないらしいが

それは外庭にも言えることで、水盤も海もない。これを省略と見るか>

<オーラームとはいえ、何度絶えたことか、ダヴィド契約も同様>

 

この他の不明点 ↓

エゼキエル書40章以降の註釈 - Notae ad Quartodecimani

 

 

エゼキエルの神殿祭祀と律法祭祀との相違

・大祭司だけでなく祭司全員が至聖所に入る 44:15-16

婚姻の規定が大祭司だけでなくあらゆる祭司に及ぶ 44:22

ニサン1日を聖日としている 45:18

その日に屠られる山羊は宿営の中で屠られる

しかも神殿の戸柱、門柱にその血が塗布される

 

・祭壇の聖別がない

 

・異様なペサハ

各戸で行われる祭礼が、神殿での長による国民祭にされている

子羊の犠牲が雄牛に変えられている

ペサハとマツォートの区別なく七日の祭日になっている

<これはエゼキエルの時代でも考えられない>

 

・常供の捧げ物の数と時刻が合わない

・スッコートが異邦人にも義務付けられている

<黙示録の先取りでゼカリヤにもある>

 

・携挙信奉者は、天に去った者と地上の神殿の存在の矛盾を

イスラエルと教会の区別として解決できる”とする

 

メシアニックジューは、キリストの再臨により新たな律法が与えられ

第三神殿を用い、悔い改め回復したイスラエル国民によって崇拝されると解釈する

従って、律法的祭儀が肉のイスラエルによって繰り返されると???

 

 

聖都の東西南北に三つずつの門があり十二部族名が与えられる

居住者は十二部族の出身で」なくてはならない

君侯の領域は広大でかつての王の権威をはるかに上回る

<また、王宮のようなものが神殿を含む祭司の領域にない

それでも君侯は聖都に住むと思われる>

 

地名;エングライム 確実な同定ではないが、ヨルダン河口にある

セダドはパルミラに向かう途中にある

 

聖都の北に7部族、南に5部族で聖都は中央より南側に位置している

ヨルダン川以東への土地の断念があり、これは現状に近い

 

 

神殿については設計図とまでにはならず、おおよその見取り図というほどであり、詳細を詰めると不明な箇所が少なくない。

 

シェキーナー光の来臨について述べ、自らは神と語るが至聖所には入らず、そのためか契約の箱への言及が一切ない。

 

トーラーに手を付けることに於いて、これはミシュナーどころではないので、後のタンナーを悩ませたに違いない。神からの啓示でありながら律法を変更しているのであり、そこでどちらに従うか悩むはず。ただこの神殿には不可能なところが幾つかあり、現にぜルバベルは施行しなかった。

 

 

 

 

 

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『一週の間、契約を固く継続させる』2520日÷2=1260日

『42か月、1260日の間預言させる』

『彼らが証を終えた後』

『ひと時とふた時と半時の間』

『絶えず聖なる民を苦しめる』

『時と法を変えようとして』

『1290日がある』(+1カ月)

『1335日に達する者は幸い』(+75日[2ケ月半;++45日])

『三日半の後』

1150日+1260日=2410日 6.666666666666666年 6年216日

大麦の振揺から贖罪の日まで115日

 

『2300の夕と朝』 76.66666666666666月 6.388888888888888年

3年6ヵ月、6年4ヵ月

3年6ヵ月+2か月半=1335日 3年8ヵ月半後

残り 約2年6ヵ月 <どの時点で聖域が破壊されるか不明>

 

週の祭りまでが七週 『七週と六十二週』 49+434=483  

<『七つの時』は週の祭りまで間では? >

契約の開始から完了が一週 (7+62+0.5+0.5)

2300 2070 230 残り450 225

6年4ヵ月-2ヵ月半=6年1ヵ月半 

<おそらく最終的な日数は不明にされているのでは?>

Nisan16-Siwan6 - Tsh10(115)15(120)+50=170 

ヨム・テルアからヨム・キプル 10日 ハグ・ハスッコートまで 5日 合計15

日数は今後も秘儀らしい

『三日半』は実日数ではないらしい