註解選揖
律法と異なる規定 ⇒「エゼキエルの異様な文言」
Ezk43:19 ザドク系祭司の任官 牛の子一頭 二日目やぎの雄一頭 祭壇の角に血を塗る
Ex29:10 コハト系祭司の任官の浄め
一頭の若い雄牛と二頭の雄羊 祭壇の角に血を塗る
Ezk43:23 牛の子一頭と、群れの中からきずのない雄羊一頭 全焼燔
神殿の使用までの七日の間、罪の捧げ物として一日につき雄やぎ一頭
八日目から全焼燔の捧げ物と共与の犠牲とを祭壇に捧げ始める
そうすればわたしは必ずあなた方に喜びを見いだす
Ezk44:11 レヴィらはわたしの聖なる所で、必ず家の門を監督する地位に就く奉仕者,家の奉仕者となる
1Chr26:1 門衛の組について。すなわち、コラ人ではアサフの子らのコレの子
Ezk44:17 彼らは亜麻布の衣を身に着けるべきであり、奥の中庭の門や内側で仕えるときには,毛織物を身に着けてはならない
Lev16:4 彼は聖なる亜麻の長い衣を身に着け、亜麻の股引きがその肉の上にある
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加えて『長』(ナシー)という立場が何かが不明
バビロニアに服属していたために王の意味であったかも知れないが、エゼキエルは祭祀の一部を司らせている。王であれば契約に在るイスラエルの民を代表する立場での献供を行うべき立場ではあるにしても、この『長』は特別の祭儀を行っている。
長が王より下位にあるにしては、割り当て地にしても権威がより大きく見える。
但し、本書にはザドク系に関する記述以外、大祭司についての言及がない特徴がある。
また、ネティニムの語が存在していない。(これはゼカリヤと関連するか)
中庭にの水盤や海への言及がないが、だからと言って存在しないとは言い切れない。聖所で神の顔の前の机には言及があっても、聖所の他の什器については省略されているに違いないところからそのように言える。
至聖所に入った天使はアーロン ハブリートについて語らないが、これも所在は不明となっている。但しエレミヤ3:16との関連があるのか、それとも敢えて語らなかったということも考えられる。<臨在光は至聖所に入らずエゼキエルと語ったか?>
エゼキエル神殿には契約の箱なく大祭司なく、祭司団は居ても長が主要な役割を持つのかも知れない。もちろんダヴィド王朝の王も居ない。これは当時の政治情勢を通して末日の異様さを映し出しているのでは
またネティニムが居ないことも意味深だが、これは却って異邦人には祝福といえる。
しかし、これらのどこが律法祭祀なのか、また、より進んだ崇拝と言えるのか。
随所に語られる神の言葉には譴責と皮肉が込められている。
ただ、ほぼ実現不可能な水流には意義を感じさせる。
そこに二重性があり、これを建てるとなれば、不完全なものが出来上がることになる。象徴の優美さと具象の片手落ちがそこに出現することになり、それは霊の聖性と肉の俗性の隔たりを強調するようなことになる。
この神殿を黙示録は拒んでいるように書かれている。新しいエルサレムはまったく超絶的で具象では有り得ないが、エゼキエル神殿は中途半端に建設可能なものであり、完全無欠な実現だけが不可能であり、それは今日のユダヤ教の様相を見るかのようなところがある。
言い訳がましい建設理由が今からでも唱えられているが、これが一気に暴発することになるのでは?この神殿が実現する最大の困難はイスラムにあり、次いでメシアの要件がある。
明らかにエゼキエルの預言は建設を誘っており、ユダヤ教徒もキリスト教徒の多くもこの誘惑に耐えられないと思われる。さらにイスラムが関わってくるとこの神殿がシオン山上にない理由が加わる。
ラビ・ハナニヤ・ベン・ヒゼキヤ
Rabbi Hananiah ben Hezekiah ben Garon
「エゼキエル書を受け入れるために大量の油を燃やした」の意味は
自宅に300バレル(47,700L)もの灯油を持ち込み、エゼキエルの矛盾を解決するためにそれだけの灯火を費やして研究を続行したということらしい。この話は、彼の息子エリエゼル・ベン・ハナニヤによって伝えられたとされる。
ラヴ・ユダはラヴの名で彼をエゼキエル書への功績で讃えられるべきとしたと言われる。
彼ハナニヤはエルサレム攻囲世代のタンナーであり、ヤムニヤ会議への参画者であったと思われる。派閥は不明ながらパウロと同門か面識があった蓋然性はある。
この件はヨセフスの発言に関するものではないか?
Khirbet monastery Hebron NE 15km
From En Gedi 14km From Hebron 14km From Jerusalem 30km
Negeb=south
ゼカリヤの新芽とエシュア(イエスと同名)の冠、大祭司にして王
神殿の最期?