Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

Hilarius Pictaviae

ピクタヴィウムのヒラリウス ⇒ 前記事
c.310 – c.367 B&D Pictavium

ニケアーの裁定を支持したため、「西方のアタナシウス」とも
315年にピクタヴィウムの富裕な家に生まれ、ラテン文化人として教育される
しかし「神によってわれわれに与えられた理解に相応しい生活」を追求したいと望み聖書を読み始めた。
<との事だが、実際はポワティエ市民のキリスト教徒らに推されて新プラトン主義からキリスト教に転向したとのこと>

出埃3:14の「我は有りて有る者なり」に「神の本性の神秘」を感じ、まもなく洗礼を受け、教会に迎えられた。

30歳代の半ばで、ピクタヴィウムの司教が没したが、その時に歓呼礼によって彼が司教に迎えられた。<ローマ帝政に発する歓呼礼は当時の教会でも習慣化していたので、ヒッポのアウグスティヌスなどは空位の教区には赴かないよう用心していた→アンブロジウス>

コンスタンティヌス大帝は337に崩御しており、それでなくとも三一派は迫害を受けていた。
彼はニカイアの裁定を支持したためにコンスタンティウス帝からフリュギアに追放されて、四年間ピクタヴィウムに戻れなかった。⇒聖アブラ

しかし、その追放の間に長々しい「三位一体」を著したが、それ以前の識者らの論議に通じ、且つ新たな世代の議論を再構成し「逞しい想像力を示している」
この著は神学的専門書であるが、冒頭に自身の回心の次第が記され、第一巻への議論への導入とされている。

彼は再三に「我は有りて有る者なり」を引用し、読者をこの一節に注目させることを意図している。
神を知り、神を探求する中で、神が常に「我々の思考の先に居る」ことを見出すとしている。それは「存在するという方の本性」は「実在する」ということだからである。もし何かが存在するのなら、思考であろうと言葉であろうと、それを否定することはできないからである。(PS139:8)
しかし、神の前に立つ唯一の方法は、謙った賛美に於いてである。神に関することを議論するのであれば、我々は従順を学び、敬虔さと敬意をもって神に仕えねばならない。我々の探求対象へ自らを差し出すことによって求める神を知ることができるようになる。「神は献身に於いてのみ知られ得る」

『我々が受けたのは世の霊ではなく、神からの霊である』1Cor2:12からヒラリウスは『受容』という言葉を強調した。誰もが神を理解する能力を有するが、「認識の贈り物」がその人のものとなるのは、霊の贈り物を(信仰に於いて)受け取ったときに初めてそうなる。
ヒラリウスの理解で、この「受容」とは、個人的経験のことであるとするが、それは教会の信条、洗礼式のときの式文、また福音書からの言葉Mt28:19-20が朗読されること、聖餐なのである。
ヒラリウスが意図するのは、神について考えることは聖書の中で与えられた言語、教会の実践によって形成されてきた確信(父と子と聖霊の名による洗礼)と共に始まるということである。

彼は「神と共に神が最初に居た」という謎めいた言葉の背後にキリスト教的思考を貫く真理が横たわっている。三位一体の神認識は、キリストが身体と共に到来したことの内に基礎づけられており、古代教会がオイコノミアと呼んだものであるが、これを神の秩序ある自己開示、創造まで遡ってキリストに於いて頂点に至るものを意味するとした。ひとつの神は創造されたものを通して知られるが、父と子と聖霊として知るのはオイコノミアを通してであり、神の神秘を知るのはキリストの身体を通してである としている。

ヒラリウスは、初期のキリスト教徒がシェマを毎朝朗誦していたことを認めるが、そこで使徒トマスの『我が主、我が神』の言葉を発して後、イエスが『わたしと父とはひとつである』の意味を悟ったとしている。イエスが復活することで、使徒らは神について違った風に考えさせるようにしたとも言う。復活に照らしてトマスが「信仰の神秘全体を理解するようになった」と言う。
そうして復活の後も彼らはシェマを唱えることができたが、「ひとつの神への献身を放棄することなく」キリストを神として告白することができるようになったとも言う。神はひとつではあるが、「孤独ではない」
ヒラリウスは「言葉は神であった」に依拠してキリストの神性を主張もしたが、特にオイコノミアに於いて彼の独自性がある。つまり、復活を通してキリストの神性を擁護したことにある。復活とは神だけが行い得るものであるという論拠からであった。<しかし、彼はキリストが自身で復活したとは述べていない>


Memo from
Robert Louis Wilken "The Spirit of Early Christian Thought"
2003 Yale Univ



所見;三位一体の主張に付き物の「在りて在る者」の援用の源はここにあった。よくもそこまで捏ね繰り回せるものだと思う。
この時期(四世紀)には、キリスト教はすっかりヘブライ文化を離れ、聖句を神秘にまで深めようとする始まりを見るかのようで、これならば哲学化は避けられないと思える。この時代ユダヤ教はアモライームの時代で、ゲマラからタルムード編纂に向かっていた。その状況で、キリスト教はヨーロッパの思想に沿って再構成されてゆき、純粋性を失い、異なるものへと変質を遂げつつ在った。
彼の場合には、先にラテン文化的な思考法が据えられたところに『有りて有る者』の句がその文化の室内で反響したのであろう。それはヘブライ的な把握とは言い難い。それが彼をして三一擁護の原動力であったことが見える。彼自身が第三世紀から流行し始めていた新プラトン主義の哲学者であり、その方向からキリスト教を見る傾向は強く、ヘブライの伝統文化から聖書を見るよりは、黙示的な言葉の綾を宗教的になっていたヘレニズムの観点で謎解きをするようなところがあり、キリストの宣教の主題である『神の王国』また、アブラハムへの約束の要素が抜け落ちているように見える。これでは、神の様態を追求はしても、人間への神の意志の方はなおざりにされる。信仰と認識、奇跡と哲学の差が見えていない。この時代には当然ながら奇跡の聖霊への理解なく、ただスピリチャルな聖人伝説が民間伝承的に行われるだけであったことに異論の余地はない。
また、オイコノミアの捉え方はエフェソス書やコロサイ書のようではなく、キリスト個人の身体について集中し、聖徒との関連が失われているように見える。
それから、聖書を神聖視し過ぎていて、その言葉の一つ一つに神秘的なまでに深い洞察が引き出せるほどの意味ある啓示がそれぞれに込められていると捉えているが、その辺りがヘレニズム神秘主義へと向かう入口にしてしまっている。ユダヤでもカバラという異様な逸脱を起こしているが、根は同じようである。この捏ね繰り回しが不当であることは、パウロが明かす奥義から脱線してゆくところに明らかに窺える。
しかし、三一を主張する動機や目的は何であったのか。パスカや律法祭祀に見えるキリストの『神の子羊』としての役割への言及が見当たらないし、この件を教会関係者に話して深く感動されたりするのも、三一を唱えている間に、メシアの重要な役割の理解が捨てられた様を確認するようなことになったからではないか。
そこで、三一派が目指したものとは何であったのか?ただ、それが「正しいから」と言うとしても、メシアの意義を見失うほどに益ある「何か」が有ったのだろうか?それが本当に正しいことなのか?
神秘論に耽溺し、神が三位かどうかと言い争っている内に当時のキリスト教界に欠けたのは『聖なる国民、王なる祭司』つまりエレミヤの予告した新約による『神の王国』ではないか?結果として三一がもたらしたのは、この新旧の契約に一貫する人類救済の手段の喪失ではないか。何という「正しさ」!
キリスト教が欧州化しながら失ったのは、旧約から一貫して受け継ぐべきメシアの王国であったというべきか。
アウグスティヌスが冗長な「神の国」を著したのも、それがキリストの宣教の中心的主題であるにも関わらず、キリスト教の担い手を自認する自分たちが、確固たる『神の王国』の見識を持たなかったところに、ローマ帝国への愛着から、ユダヤのメシア王国を二つの国家論に入れ替えることを試みたということではないのだろうか。アウグスティヌスについては、あの神秘主義と長い祈りによってキリスト教に厚い霧がかかってしまったかのようで、いよいよ宗教的になっては行ったが、絶えることのない長文で、キリスト教にただのアニミズムを行うよう呪文をかけてしまったかのようでもある。




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