Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

Caspar Schwenckfeld

カスパール・シュヴェンクフェルト(1489/90-1561)⇒Wiki


セルヴェトの他に当時カトリックプロテスタント正統派に反対した「異端者」はいた。スイスとドイツに住んだグリバルディと、スイスとポーランドに住んだジェンティレと、ドイツのシュヴェンクフェルトである。
シュヴェンクフェルトは様々な面でドイツのセルヴェトであった。彼も宗教改革者と会い文通したが、やがて彼らを批判するようになった。
当初、彼はルターに共鳴し、ミュンツァーとカールシュタットを通して改革に顔を出すことになった。V・クラウプヴァルトと聖餐論議を共有し、やがて師ルターと対峙する。
セルヴェトがスペイン(仏?)を後にしたように、彼はシュレジエンをあとにし自発的亡命を図り、1529にシュトラスブルクに落ち着いた。

二人とも宗教家ではなく、私事を犠牲にしてキリストへの奉仕と見做したことに専心した。彼らは数回会っており、影響を与え合っていた。彼らの間で異なったことは、セルヴェトが聖書に重きを置いたのに対し、シュヴェンクフェルトは聖霊を媒介として真理が人々の心に直接に伝わることを信じていたことである。
彼にとってのキリスト教徒の生活は、説教や秘跡によらず、祈りと瞑想であった。(スピリチャリストの先駆)
セルヴェトが闘争的であったのに対し、シュヴェンクフェルトは寛容で説得力を持っていた。そのため、彼の著作は教条的でなく、精神的キリスト教の理想を描いた書物によって四百年も絶えることなく続いた。(というのだが、日本ではほとんど知られていない)


キリスト教と政治の関わりへの見解

わたしたちの時代になって、国家は病的に歪められ、悪しき助言を受け、主キリストの教会とキリスト教信仰の実質を剣と権力によって維持することを自ら認めるという、キリストの教えからは遥かに遠いものになってしまったのです。
というのは、国家の役割に関する限り、国家はキリスト教信仰、神の言葉、キリストの聖なる福音を支配する権利を持ってはいないからです。
その役割は、もう一人の主人であり支配者、即ち天にまします父が、その教会の王、頭として定められた神の子イエス・キリスト、我らの主であり神である方に属します。
・・市当局の役割は、現世の役割であり、その地上の事柄の秩序のものであり、特定の権力と特定の裁判法を持ち、特定の人々に属します。キリストの天の王国やその霊的な掟、権力、正義、秩序、それに新約の霊的な人々はそれから区別されねばならないのです。
・・聖なる使徒であるパウロは、キリスト教的政府について、その手紙のどこでも言及しておりません。キリスト教的政府というような用語は、我々の利益のために、最近創案されたものです。パウロは、ある人々が教えたように、カトリック教徒は、政府の確立後、身を引き、プロテスタントがその席を占めるなら、我らの主なるキリストの王国の運営がうまくゆくであろう、などとは教えませんでした。彼が教えているのは、ローマ人の手紙の13章で、ローマ市のあちこちに追い散らされたキリスト教徒が形式的な公務に属する事柄で、政府に従順でなければならないということであって、それ以上のことではないのです。

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